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第43話 ありふれた些細な孤独感

 ゆっくりと歩いていたはずなのに、まもなく百均についてしまう。

 池本は弱弱しく、俺を見てきた。


 そうか、分かっていないのか。

 俺は知っている。

 彼女が抱えてしまったそれの正体。


 ありふれて些細なものであるからこそ、それに他人は共感ができず、ゆっくりと全てを蝕んでいく。

 その孤独感の正体は――。


 ただ、俺ではダメだ。出来得る限りのことはできても、それは一時のものになってしまう。

 それでは再発するだろう。

 軽く息を吸い、言葉を選ぶ。

 そしてゆっくりと声に出し、並べる。


「それは二人が羨ましかったり嫉妬したりしたわけではないんだろ?」


「……はい」


「自分だけ違う答えを言ったことが嫌だったわけではなかったんだろ?」


「……はい」


「けど、ほんの少しだけ、どうしようもない孤独感を感じたか?」


「…………先輩は知っているのですか?」


 何かを期待するような声で、池本が聞いてくる。

 出かかった答えを飲み込み、俺は別の言葉を話す。


「まぁ、似たようなことは知っているよ」


「それって――」


 池本が何かを聞こうとしたが百均の店の前に着いたためか、言葉が止まった。

 このまま話を続けるか、迷ったのかもしれない。


「とりあえず話しながらバケツとかライターとか買おうか」


「はい」


 そう言うと池本は素直に頷いた。

 百均に入っていく。意外と店内は広かった。

 ほんのわずかな間が生まれたが、俺は話を戻した。


「俺なりの答えを言ってもいいが、一つ条件がある」


「条件ですか?」


「ああ、そんな大層なもんじゃないかもしれないがな」


「なんでしょうか?」


 真剣な表情で池本は俺が言うのを待った。

 この条件が正しいのか、こっちが迷ってしまうほどの真っ直ぐな瞳。

 だが、悪いな。俺では解消できないんだ。


「いつか、いつかでいいから、その感覚について田島と金子と話せ」


「それが条件ですか?」


「ああ、まぁ、先輩面ってわけじゃないけどさ。今から俺が言うことでその感覚について池本が納得しても、たぶんまた起こるんだよそれは。タイミングは違うかもしれないし、感覚も違う反応かもしれないけどな」


「二人に話したら、もう起こらないんですか?」


「分からない。けど、今よりは受け入れられるだろうな、きっと」


「受け入れられる…………分かりました。言えるようになったら必ず、二人に話します」


 その力強い断定と決意を持った瞳を見た俺は、少し安心した。

 俺は頷いて、知っていることを話す。


「俺の知っているのは、それが『渇望』だってことだよ池本」


「渇望ですか? でも私、二人を羨ましかったわけでは」


「ああ、だから羨望ではなくて渇望だ」


 できるだけ優しく、力を入れずに俺は言う。

 渇望という人のさがについて。


「まぁ、羨望とか渇望とかその言葉の違いに、どれだけの意味があるかなんて計り知れないかもしれないが、池本は二人と同じものが欲しかったわけじゃないんだろ?」


「……同じもの、そうですね。たぶん、違います」


「だから羨望じゃない。渇きなんだ。二人が持っていた満足感に対する渇き」


「それは劣等感ってことですか?」


 いわゆるコンプレックスかどうかってことか。

 ちょっとだけ考える。そこまで負の方向性なのかを。


「違うな。感覚ではなく感性の話さ」


「かんせい?」


「そう、感じるに性別の性って書いて感性」


「すみません。難しいです」


 俺の答えに、池本は正直に謝った。

 言葉を尽くして話を進める。


「例えば、俺が渇望と言ったそれは、外からの衝撃か内からの衝撃かって聞かれたら、池本はどっちだと答える?」


「………………そう、ですね。内から、でしょうか」


「ならやっぱり外から感じた感覚じゃなく、内から生まれた感性だよ」


「内から生まれた……」


「ああ、たしかに田島と金子の満足そうな顔がきっかけだったかもしれない。ただ、その衝撃は池本が自分自身と向き合うことで生まれたものなんだよ。他人との比較じゃないから劣等感じゃない。外でなく内にあった性の話だ」


 一生懸命に俺の話を聞いている。

 言わんとしていることは分かっているのだろう。


 ただ言葉の意味やその外側ある意図は分からないのかもしれない。

 きっぱりと何かをつかんだ表情にはならない。

 やはり俺ではダメか。


「池本が何に渇望したのかまでは、俺には分からない。でも、衝撃を受けたその時に生まれたそれは池本の望みだ。のどが渇いてどうしようもなく水が欲しくなるように、待ち焦がれていた望みだ」


「望み……」


「まぁ、感性の話だから、感覚よりも言葉にも経験にも表現しにくいことではあるよ」


「いえ、その、分かります…………って言うとおこがましいですね。すみません」


「いいや、そんなことない」


 俺は首を横に振り、小さく答える。

 池本は言葉を選んでいるのか、少し悩んだ様子だったがゆっくり話し出す。


「感覚でなく感性の話とかその、難しいですが分かる、気がするんです。内からくる衝撃っていうのも、すごく。言葉じゃなくて体験として分かります」


 体験として。それは彼女なりの表現だろう。

 言葉を分かろうと、そして自分を表現しようとしている。


「あのとき、二人を見て感じたものが私の望みなら、なんとなくこれだろうなってものがあるんです。その腑に落ちたというか、先輩の言う渇望って納得なんです」


「その望みは言いたくない?」


「その…………すみません。先輩がどうのとかではないのですが」


「いやそれでいいよ。そっから先は一度独りにならないといけないから。独りになって、考えたり抗ったりして、それで現実で叶えたいってなったときに、言葉にする意味が出てくるから」


 そこで、会話が止まった。

 俺はバケツやライターなどの買う物を持ち、レジに向かう。

 池本は黙って後ろをついてくる。


 セルフレジで会計をして、店を出る。


 どうしようか。

 このまま夏村たちに連絡して待ち合わせると、たぶんこの話は終わる。


 今この瞬間としてではなく金輪際、ここまでの話はしなくなるかもしれない。

 そんなことを考えていると、池本が口を開けた。


「せ、先輩は、どうやって自分の渇望と向き合いましたか……?」


 その質問は答えが知りたいとかヒントを求めてというわけでないように俺は思えた。

 何かを掴みたい。何かを得たいという必死の一言。


「難しいな。ちゃんと向き合ったのかって言われると肯定できないかもしれない。俺が体験した渇望は、独りで考えて、独りで抗って、それでも苦しかった。それが渇望だと分かるまでも、分かってからも、叶えようとしてからも。ずっとずっと何かが落ち着かなくて、渇いて渇いてしかなかった」


「…………」


「でも、結局最後はみんなが解決したくれた」


「みんなが……」


「ああ綺麗事で申し訳ないが、少なくとも正しく向き合うことも解決することも、俺一人ではできなかったと思う……悪いな。散々言っておいて、こんなこと答えで」


 我ながら、ありふれた答えだと思う。

 じゃあ、周りに人がいなかったら、みんななんて曖昧な人がいなかったらどうするんだ。

 そんな反論が自分でも浮かんでしまう。


「そんなことないです。ありがとうございます。すごくその、私が何を気にしていたのか、その入口に立てた気がします」


 だが、池本はそんなこと言わずに、感謝をした。


「そうか、ならお役に立てたみたいでなりよりだ……でも、どうして俺だったんだ? 夏村でも良かったんじゃないか?」


 話が一区切りついたと感じた俺は、気になっていた疑問を聞いた。

 なぜ俺に聞いたのか?


 焼き肉屋での話から俺と夏村の二人が候補にあってのでは? そしてそういう話なら同性の夏村にしても良かったのでは? と思っていた。

 俺の質問に、池本は答えた。


「乾杯の時の言葉が、心に響いたからです」


 珍しく、いたずらっ子のような笑い方をした池本。

 それが本当か冗談か、俺には判断つかなかった。



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