翌日。当たり前のように学校で過ごし、当たり前のように部活が始まった。
しかし俺はいつもの教室ではなく、別の教室に向かっていた。
「失礼します」
「お、来たね杉野ん。さ、座って座って」
空き教室に入ると、部長である轟先輩が手招きをしてきた。
入ってすぐの椅子に座る轟先輩に向かい合うようにして座った。
部長と二人と言う状況に少し緊張しながらも、面談が始まった。
「さてと、何から話そうかなー」
轟先輩は楽しそうな様子で言った。
その笑顔に俺は緊張がより一層強まった。
これからどんな真面目な話をするのだろうかと、真剣に耳を澄ました。
先輩たちの引退、次の部長のこと、後輩たちのこと。
いったい何を話すのだろうか。
「じゃあまずは恋バナでもしよっか」
「は?」
思わず、そんな声が出てしまった。
え、この人今なんて言った? 恋バナ?
そんな驚いた俺を見て轟先輩は笑顔で話を続けた。
「恋バナだよ、恋バナ。杉野んは誰か好きな人とかいないの? 好きじゃなくても気になっている人でもいいよ」
「い、いませんけど」
「えー、つまんない。あ、ちなみに私はいるよ」
「あ、先輩の好きな人には興味ないんで」
「辛辣だ!!」
轟先輩が誰を好きかって? そんなの木崎先輩に決まっている。
これは演劇部において周知の事実だ。ってそうじゃなくて!
「じゃあ、何の話しよっか。昨日見たテレビの話? それと最近話題の芸能人の不倫問題?」
「主婦の井戸端会議じゃないんですから」
「じゃあ、なんかある?」
「普通に部活の話しましょうよ」
俺がそう言うと、轟先輩は疲れたようにため息をついた。
「ふぅ。正直もう部活の話はお腹一杯なんだよね」
今までの面談で何があった!?
まだ女子としか面談していないはずの轟先輩から驚愕の愚痴が出た。
「まぁ、冗談はこれぐらいにしといて、部活の話しよっか」
いったいどこまでが冗談なのか分からなかったが、ようやく本題に進んだ。
「杉野んはさ、今の部活はどう? 不満とかあったりする?」
おお、それっぽい質問だ。
「いえ、特にないです。毎日楽しく過ごしています」
「おお、模範的な回答だね」
俺の回答に轟先輩が感嘆の声を上げた。
まぁ、模範的も何も事実だから仕方がない。
「じゃあじゃあ、二年生に上ったわけだけど、どう、環境に変化はあった?」
「…………いいえ、特には」
椎名から全国目指そうと言われたり、大槻の好きな人を知ったりとここのところ新しいことだらけだったが、変に突っ込まれても困るから俺は黙っとくことにした。
「そっかー。まぁ、まだ四月だもんね。大変なのはこれからだ」
確かに、轟先輩の言う通りたいへんなのはこれからだ。
部活動紹介の劇決めなども大変だったが、これから先には本番の春大会があるのだ。
ここでふと気になることができた。
「そういえば、春大会の台本ってもう決まったんですか?」
「そりゃもう、ばっちり決めってるよ」
そういってグーサインを突き出してくる轟先輩。
そっか、決まったのか。先輩たちの最後の劇が。
「ただ、一年生が何人入るかで誰が何の役やるかは変わるからまだ発表はできないけどね」
「今のところ、一年生は三人ですね」
「三人も入ってくれれば上出来だよ」
轟先輩は笑顔でそう言った。
数少ない先輩たちの代からすればそうなのだろう。けれどやはり七人もいる俺らの代からすると少なく感じてしまう。
「それよりも心配なのは君たちの代だよ」
「え」
「人数が多い分、問題児も多いからねー」
「問題児?」
はて? 誰かいただろうか?
そんな目立った問題児はいないような気するが。
「あー、問題児っていうか。みんなそれぞれ違った問題を抱えているっていうか」
「はぁ」
轟先輩の歯切れの悪い言い方に、思わずそんな空返事をしてしまう。
「分かってないね。杉野んはあんま周り見えないところが問題だよね」
「いや、まぁ、はい」
大槻の好きな人を知った時も、樫田と山路はすでに知っていた。分かっていなかったのは俺だけだった。
そう考えると、俺はあまり周りが見えていないのかもしれない。
「この際だから、少し言うと、まず香菜んは真面目過ぎて厳しくなっちゃうところが問題ね。正しさ故に少し冷徹すぎるの。対して栞んは緩すぎたり楽しさ優先しすぎて、甘すぎるところがあるの。そんで佐恵んは一年……今は二年か、二年の中で一番我が強いからね。女子は問題が多い。まぁそれ言ったら、サボりがちな大槻んと山路んもそうだけど、ああ後、樫田んは……ん? どうしたの杉野ん?」
…………。
思わず、驚いてしまった。
「……いや、轟先輩ってちゃんとみんなのこと見てたんすね」
俺の一言に、轟先輩はムッとした表情を一瞬したが、すぐに笑顔で答えた。
「エッヘン。これでも部長ですから!」
いや、本当に感心したわ。
まさかそこまでみんなのこと見ているとは思わなかった。
「とにかく! みんな二年生は課題があるの! それは演劇に対してというより、人間としてだけど!」
「人間として、ですか」
なんか難しいことだな。
「私思うの。部活動って人間としても成長しないといけない場所でもあるんだなって」
「はぁ」
「あ、分かってないでしょ!」
「いや、まぁ、正直言うと」
何だろうか、人間的な成長って。
というか部活動にそんな教育的というか、なんというか、難しいこと必要だろうか。
演劇部なんだから楽しく演劇できればいいじゃないのか。
俺がそう思っていると、轟先輩は笑顔で言った。
「今はわかんなくてもいいよ。後輩ができたらきっとわかるよ」
「そういうもん、ですかね」
「そういうもんだ」
即答する轟先輩。
俺と一歳しか変わらないのに、何だろうか。この経験に裏付けされたような自信は。
きっと三年生にしかわからない何かがあるのだろう。
「まぁ、それは置いといて、質問の続き、続き」
轟先輩は話を元に戻した。
なんか含蓄ある言葉を聞いた気がするが、今は質問のほうが大切だった。
椎名とのこともあるし、できるだけのことはしよう。
「うーん、じゃあ、杉野んは今後、部活はどうなっていくと思う?」
なんか、抽象的な質問だな。
どうなっていくって、どうなるんだろうか。
椎名が全国大会に出たがっていることは伏せたほうがいいのだろうか。てかそれ以前に、俺たちが二年生になって何が変わるのだろうか。いやまぁ、先輩たちは辞めるし、後輩たちは入ってくるし、環境自体は変わるのだろうけど、俺たち自身は変わるのだろうか。
想像がつかない。
うーん。
「悩んでいるみたいだね。答え出ない?」
「……そうですね。正直、分からないです。先輩たちが辞めたり、後輩たちが入ってきたりで色々と変わる部分はあるんでしょうけど、俺たちが今度どうなるか想像もつかないです」
俺は素直に、思ったことをそのまま口に出した。
ここで俺たちは全国目指しますっていうのはおかしいだろうし、正直、これが俺の中では最善の答えだった。
「うん。杉野んは正直だね。今はそれでいいんだと思うよ。後輩の世話だったり部活の方針だったり、色々あるんだろうけどやってみなきゃわからないことのほうが多いしね」
轟先輩は俺の答えに満足そうに頷きながら、そう笑った。
確かにそうだ。やってみなきゃ分からないことだらけだった。
「ん、じゃあ次の質問。杉野んはこの一年間、どうだった? 楽しかった?」
今度は過去のことを聞いてきた。
何か意図があるのか。そんな深読みをしてしますが、俺の答えは決まっていた。
「ええ、楽しかったですよ」
「おお、即答だね」
そう言って驚きの表情になる轟先輩。
そんな驚くことだろうか。
「まぁ、楽しいことだけじゃなかったですけど、それでも、それを含めてもいい思い出です」
「ふーん、そっかそっか」
そういいながら、嬉しそうな轟先輩。
俺自身、今の言葉は忖度や気を遣って言ったわけではない。
本当にこの一年、後悔がないぐらい部活動が楽しかったのだ。
辛いことも苦しいことも、何なら部活動の時間外のみんなとのやり取りも含めて、俺の高校生活は部活が中心といっても過言じゃない。
「それは何よりだ。じゃ、そろそろ踏み入った質問しちゃおっかなー」
轟先輩は笑顔のまま、しかし目の奥には真剣さを含んでいた。
俺の全身に緊張が走った。
そして、
「ぶっちゃけさ、次の部長、誰がいいと思う?」