そして教室に戻ると、樫田が大槻と山路と話していた。
どうやら部活開始に間に合ったらしい。
「おう、樫田、おはよ」
「おう、おはよ。はぁあー」
挨拶をすると、樫田が眠そうにあくびをした。
よく見ると、樫田の目の下にもクマができていた。
「眠いか」
「当たり前だろ、寝てないんだから」
「俺さぁ、なんか逆に眠くないんだが、今」
大槻がどこか自慢げに言った。
「あー、あるよねー。寝なさすぎて逆に起きちゃうやつ」
「あるある」
「そんなこと言ってまた昼夜逆転するなよ、そろそろ春休み終わるんだから」
「大丈夫だって、俺、意外と適応力あるから」
「部活サボっていた奴が何言ってんだか」
「てか、適応力関係あるのか?」
久々に四人顔を合わせたせいか、あるいは徹夜明けのテンションのせいか、皆どことなくハイになっていた。
そんなとき、夏村がこっちへ歩いてくる。
「そろそろ部活始める」
「「「「りょうかいー」」」」
四人の声がそろう。
俺たちは、それぞれ、渡された台本を手に持って黒板の前に集まる。
「あれ、先輩たちは?」
「お前たちだけにしてやるから早く部活動紹介でやる劇決めろって」
大槻の疑問に、増倉が答える。
なるほど、先輩たちはいないのか。
「みんなもう、台本には目通したわよね?」
え。
みんなが頷く中、俺は一人頭を動かさなかった。
そんな俺に気づいた樫田が言う。
「杉野、お前まさかまだ……」
「……すまん、まだ読んでない」
みんなの視線が痛かったが、こういう時は素直に謝る。
「……まぁいいわ。最終確認も含めて、十分間、各自で黙読しましょ。どっちの劇が部活動紹介でやるに相応しいか考えながらね」
どこか棘のある椎名の意見に従い、各自が台本の黙読が始まった。
俺も台本を読む。
「……」
まずは増倉が持ってきた台本を読んだ。
内容は、童話をモチーフとしたコメディだった。簡単に説明すると、悪い魔女がお姫様を殺そうとするのだが、ポンコツな部下のせいでことごとく失敗。終いには魔女の家が爆発。そして王子様が「俺の出番は!?」と叫ぶところで劇は終わっている。
悪い魔女のツッコミとポンコツな部下のボケがポイントなのだろう。
なるほどなるほど。確かに、楽しくて面白い劇ではある。
対して椎名が持ってきた劇は、青春部活ものだった。
全国を目指そうとする部員が、他のやる気のない部員たちを次々に改心させる話。最後は全員で全国を目指して終了。特に笑えるようなところはないが、全体的なストーリーは良く、小説を一冊読み終わったような満足感が得られるだろう。
どちらの台本も面白かった。甲乙つけがたいものであった。
「みんな、読み終わったかしら」
椎名が集合をかける。
「じゃあ、樫田後のことは任せていい?」
「あ、やっぱ俺が司会進行するの?」
「ええ、任せていいかしら?」
「まぁ、いつものことだし」
そう言って樫田は黒板と教卓の間に立った。
こういった会議の時、司会をするのは樫田が多い。なぜなら俺たちの代で唯一の裏方であるがため、みんなと違った視点を持ち、なおかつ樫田の性格上、公平に物事を判断してくれるという信頼があるからだ。
「えー、分かっているとは思うが、これから四月の頭にある部活動紹介でやる劇を決めたいと思う。候補は二つ。椎名が持ってきた台本と、増倉が持ってきた台本。どっちも今さっき読んだだろう。大丈夫だな?」
樫田が最終確認を促す。
みんな、返事をしたり頷いたりした。
「じゃあ、どっちの台本が部活動紹介でやる劇にふさわしいか、決を採りたいが、先輩たちからは全員の合意の元で決めるように言われている。あくまで現状の意見であって、多数決で決まると思わないでほしい」
つまりは、全会一致を目指すというわけだ。
これは骨が折れそうだ。
「とりあえずは……そうだな。増倉の台本がいいと思った人は右手を。椎名の台本がいいと思った人は左手を、みんなで同時に挙げるってことでどうだ?」
なるほど、同時に挙げるのなら他の人の影響を受けずに、自分の意見で手を挙げるしかない。
とても公平なやり方と言えるだろう。
「異論はなさそうだな。それじゃあ、二分やるからどっちが良かったか決めてくれ」
樫田がそう言うと、各々台本を読み返したり腕を組んだりして考え始めた。
俺も考える。さて、どっちにしたものか。
単純な面白さではやはり増倉の劇になるだろう、しかし今回の劇は部活動紹介でやるものである。面白さだけを追求したものでいいのだろうか。その点、椎名が持ってきた劇は俺たちが日頃やっている内容に近いものがある。「演劇部ってこういった劇やるんだ」と思われることを考えると、椎名の方がいいのかもしれない。だがやっぱり大衆受けした方が部活見学に来てくれる人も増えるかなぁ。いやでも…………。
「そこまで、二分経ったぞ」
樫田の声に、俺の思考はピタッと止まる。
よし。決めた。
俺の中でどちらがいいか答えが出る。
「じゃあ、もう一回確認するぞ。増倉の台本がいいと思った人は右手を。椎名の台本がいいと思った人は左手を、みんなで同時に挙げる。いいな…………よし、手を挙げてくれ」
そうしてみんなが一斉に手を挙げた。
右手を挙げたのは、増倉、大槻、山路の三人。
左手を挙げたのは、椎名、夏村、俺の三人。
また、きれいに分かれたものである。
ちなみに今更だが、司会をやっている樫田は無効票である。
「まぁ、きれいに分かれたな。じゃあ、とりあえず、増倉、大槻、山路の三人は右、椎名、夏村、杉野は左に移動してくれ。そんでお互いどうして選んだのか、長所なり理由なりを説明してもらおうか…………つってもアレか。椎名と増倉は台本持ってきた当人だもんな。それ以外の四人の話聞くか」
「話って言ってもよ。特にこれと言って理由なんかないぜ? ただなんとなくこっちの方が面白そうだったから」
大槻が悪びれる様子もなく言った。
それでいいなら誰だってそう言うと思ったが、樫田は冷静に聞き返した。
「どこが面白いと思った?」
「どこがって、そりゃ、悪い魔女とポンコツな部下のやり取りとか」
「じゃあ、逆に椎名の台本の方で面白いと思ったところはなかったのか?」
「なくはなかったけど、椎名の方はなんていうか真面目? 演劇全く知らない奴が見て楽しめるのかって言われると違うと思う」
「もう少し、まとめて言えるか?」
「そうだな…………難しいんだよ、椎名の劇は。多分やっても半分の人は寝ると思う。その点、増倉の劇は派手で分かりやすいから目を引くと思う」
「なるほど」
樫田は後ろを向き、黒板に大槻の意見を書いていく。
増倉の劇を選んだ理由
・分かりやすくて、派手さがある。
「じゃあ、次、山路言えるか」
「はいはい、僕はねー。部活動紹介でやる劇でふさわしいかどうかで考えたんだ」
山路は始めにそう言った。
何を当たり前のことを、と思いながらも続きを聞いた。
「それってつまりは、そこで興味を持ってもらって、その後、多くの人に部活見学に来てもらうことが目的だよね。なら面白い劇をして多くの人にウケた方がいいと思うんだ。あ、この部活楽しそうだな、面白そうだなって思ってもらえるのが一番なんじゃないかな。椎名さんの劇も良かったけど、なんていうんだろ。大衆向けじゃない? かな」
つまり大切なのはその後、部活見学に来てもらえるかで、劇そのものではないと。
確かに、増倉の台本の方が面白く、終始楽しい感じでいられるだろう。
樫田が黒板に山路の意見をまとめる、
増倉の劇を選んだ理由
・分かりやすくて、派手さがある。
・大切なのは部活見学に来てもらえるかで、それ故、大衆に楽しんでもらえるかが重要。
「次、夏村頼む」
「ん、私の理由は簡単。日頃している劇に近いのはこっちの台本だったから」
……え、それだけ?
端的に述べる夏村に、樫田は困ったような笑みを浮かべながら言った。
「……もうちょい、なんか言いたいことないか?」
「…………確かに、山路の言う通り、楽しそうな部活って思ってもらうことは大切。けど、だからといって誇張するのは良くない。やるなら日頃やっている劇を見せた方がいいと思う。そうしないと、辞めていく人が出てくる」
言われてみれば増倉が持ってきた台本は俺たちが今まで、あまりやってこなかった種類の台本だ。部活に入った後で、なんか思っていたのと違うと言われるのも嫌だ。その点では、夏村の言っていることは正しかった。
椎名の劇を選んだ理由
・ありのまま、日頃の劇を見せた方が良い。
「最後、杉野頼む」
樫田が夏村の意見を黒板に書いたところで、俺に話を振ってくる。
「まぁ、そうだな。大槻や山路の言う通り、純粋な楽しさ面白さだったら、増倉の劇の方がいいと思う。けどさ。せっかく新一年生に見せる劇なんだから、楽しいそうや面白そうだけじゃなくて、劇ってすげー! とかさいこーだった! って思ってもらえて、そんで演劇ってこんな人の感情を動かせるんだって知ってほしいんだ……確かに椎名の台本には派手さや面白さはないかもしれない。けどなんつーか、、人を元気にさせる劇だと思う」
言った後、気恥ずかしさが襲ってきた。
我ながら臭いセリフだった。もう少し論理的に言えたらよかった。
「杉野……」
横を向くと椎名が感動した様子でこちらを見ていた。
止めてくれ! なんか恥ずかしい!
「なるほどなるほど。みんなの意見を並べるとこうだな」
増倉の劇を選んだ理由
・分かりやすくて、派手さがある。
・大切なのは部活見学に来てもらえるかで、それ故、大衆に楽しんでもらえるかが重要。
椎名の劇を選んだ理由
・ありのまま、日頃の劇を見せた方が良い。
・人の感情を動かせる劇がしたい。
「これでみんなの意見が出たわけだが……」
司会を勧めようとする樫田だったが、言葉に詰まった。
なぜなら椎名と増倉が「私にも話させろよ」と樫田を凝視していたからだ。
これは怖い。俺だったら耐えられないだろう。
「まぁ、一応……そうだな。一応椎名と増倉の意見も聞いておこうか。まずは増倉から」
樫田がそう言うと、増倉は満面の笑みで話出す。
「まず、私は多くの人に演劇部に来てほしいと考えているの。それが私がこの台本を持ってきた理由。童話がモチーフならみんな入りやすいでしょ。それに派手さや分かりやすく笑えるところがあった方が楽しくて客受けがいいと思うの。それで多くの人に部活見学に来てもらえたならって思っている。それと佐恵は日頃やっている劇を見せた方がいいっていうけど、ならこれから私たちが二年生になったらこういった劇を中心にやっていけば問題ないと思うの。それに杉野は感情を動かせる劇したいって言ってたけど、私が持ってきた台本でも充分、すげー! とか最高だった! って感じてもらえると思うの」
前半の意見は分かったが、後半のそれは、もはや反論意見だった。それに二年生になったとか、少し話が飛躍し過ぎじゃないだろうか。
同じことを思ったのか、司会の樫田も渋い顔をする。
「できれば、まだ反論意見は言わないでほしかったんだが……まぁ仕方ない。次は椎名だな。ほどほどに、ほどほどの意見でいいからな」
「ええ、分かったわ」
椎名も満面の笑みで頷く。ああ、これ分かってないやつだ。
「私がこの台本を持ってきた理由は、劇を見て感動してほしいからよ。それは杉野の言う通り、感情を動かせる劇ってやつね。楽しいとか面白いとかを超えた、演劇でしか表現できない凄さを感じてもらいたいの。客受けなんか知ったことじゃないわ。分かってくれる人にだけわかってもらえればいいのよ。私は本気で演劇やりたい人だけに部活見学に来てもらえればいいと思っている。だから派手さや分かりやすさは必要ないし、多くの人を部活見学に来させようとも考えてないわ。大勢来たところで後々辞めてく人が出てくるのは目に見えているもの」
椎名も、自分が持ってきた台本の理由を語り、その後反論を述べた。
しかし言い方がやや攻撃的だったせいか、増倉たちの表情が怖い。
「ちょっと我が儘なんじゃない? 客受けはどうでもいいとか――」
「増倉増倉、いま議論中だから。反論意見は後で聞くからな、な?」
増倉の反論を樫田が急いで止める。
もの言いたげな表情をしたが増倉はなんとか黙る。
「えー、では改めて異論反論等を言い合うことにしたいが、いいか?」
全体の状況を見ながら、樫田が司会進行していく。
とくに反論する人はいなかった。