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[6]姿を現したのは

 ぼうっと白い、ほっそりとした肢体。ワンピースかスリップのような薄い布を纏い、だらりと両手を下げた長い黒髪の若い女性。ぼんやりとシルエット程度しか視えていないはずなのに、何故かそこまではっきりとわかった。硝子戸の外側、どこからか来ることなどありえないその場所に、その女は立ち――

 ゆっくりと頭を上げて、その蒼白い顔をこっちに向けた。


「――ぎゃあああぁぁぁぁああああっ!!」

「で、でたっ……!!」

 文字通り跳びあがり、誰かに掴まりつつも千切るように押し退けて、我先にと部屋を飛びだす。もうパニックのような状態で、必死に走ってマンションの外まで辿り着いたとき、田名辺は自分がエレベーターを使ったのか階段を下りたのかさえわからなかった。両膝に手をつき、乱れた息を整えながら顔を上げると、同じように自分を見ている古峯と目が合った。

 来たときと同じにマンションは静かに聳え立ち、駐車場には他に人影もない。なんとなく、今見てきたのは現実だったのだろうか、という気がした。田名辺はそう尋ねるように、そのまま古峯の顔をじっと見ていた。すると。

「……困ったらまた貸してやるから。もう帰ろう。今日はうちに泊まるか?」

「……うん、そうさせてもらうかな」

 さすがに、もう此処に越したいという気持ちは消えていた。

 歩き始めてふと気づき、「岩渕さんたち出てこないけど、大丈夫かな?」と振り返る。しかし、古峯は首を横に振った。

「放っておけばいいよ。おまえは、あの人たちとはもう関わらなくていい。……俺が連れてきといてなんだけど」

「……おまえがそう云うなら、いっか」

 戻って施錠するために、部屋から離れただけでまだ留まっているのかもしれない。そうでなければ、自分が気づかないうちに反対側へ出ていったのかもしれない。田名辺はそう考え、もう岩渕と諫山のことは気にしないことにし、古峯と一緒にドミール川添を後にした。




       * * *




「――うまくいったな」

「すげえ、俺、嘘モンだってわかってるのにまじでびびっちまった。おまえ、凄いわ

 洋室のクローゼットから出てリビングにやってきた岡元は、得意そうにふふんと笑みを浮かべた。

「そんなに難しいことはやってないぞ。ただ蛇口を、髪の毛と水入れて凍らせておいたやつと交換して、壁の文字は二枚重ねて貼っておいただけだ。うまくいったろ?」

「二枚って、文字を書いたうえからもう一枚貼ってあったってことか。でも、それをいつどうやって剥がしたんだ? 剥がす音もなにも聞こえなかったぞ」

「上から覆ってあったのは薄い布で、すぐに剥がれるように養生テープで止めてあったんだ。大きさも色も壁とほとんど同じにしたし、暗いからわからなかったろ? あとは、端を結んだ細いテグスをドローンに繋いで、バルコニーに隠しておいて、みんなが風呂場に行った隙に――」

 岡元はそう云って、手をくるくると回しながら上げた。岩渕が感心したように「だから左側を開けろって云ったのか」と興奮気味に笑う。

「じゃ、あのなんか割れた音は?」

「あんなのスマホから再生しただけに決まってんだろ」

「それであんなリアルな音が響くのか? それに、音はキッチンから聞こえてきたぞ」

「流し台の下見てみ? いいスピーカー入ってるから」

Bluetoothブルートゥース で飛ばしたのか、なるほど」

「まあ、とりあえずよくやった。岡元にはボーナスを出そう」

 諫山はそう云ってにやりと笑った。「明日には契約して、部屋が使えるようになったらまた人員も増やす。おまえらも心当たりがあったら誰か連れてこい。いつも云ってるようになるべく彼女持ちじゃない、結婚もしてない奴、金に困っていて親にも頼れない、友達も大勢いないような奴だ。……ああ、口下手な奴はやめとけよ。ちゃんと電話で奴じゃないと困る」

 いわゆる振り込め詐欺グループのリーダーである諫山は、そう云って煙草を取りだし、一本咥えて火をつけた。諫山の右腕である岩渕がポケットから携帯灰皿をだしてぱちりと開き、カウンターテーブルに置く。

「しかし、ほんとに広いしいい部屋だな。別に家賃半額じゃなくても新たな拠点にちょうどよかった。ラッキーだな」

 岩渕の言葉に、壁一面に貼ってあったリメイクシートを剥がしながら、岡元が「そういえば」と振り返る。

「ここって、本当はどうして家賃が半額だったんだろうな」

「さあな。どうだっていいじゃないか」

「まあ、実は事故物件だったのかもしれんが、まさか本当に幽霊が出たりはしないさ」

 諫山が云うと、岩渕は「まったくだ」と笑った。

「しかし、水滴や文字のトリックはわかったが、最後のは特に凄かったな。あの女の幽霊、いったいどんな手を使ったんだ」

 その言葉に、岡元は怪訝そうに眉根を寄せた。岩渕もつられるように顔から笑みを消し、諫山も煙草を持った手を空で止め、真顔になる。

 岡元は云った。

「女の幽霊ってなに……俺、そんな仕掛けはしてない……」

 その言葉を合図にしたかのように、部屋の温度がまた下がった。その瞬間、諫山の煙草の火がふっと消え、三人は顔を見合わせた。

「なんだ……!?」

 風など吹き込んでいない。硝子戸はまだ開いたままだったが、風ではなく冷たい空気が――そう、まるで冷凍室を開けたときのような冷気が、すぅっと足許に忍び寄っていた。

 何故か額に冷や汗が浮かぶのを感じながら、三人は同時に、ゆっくりと――

 バルコニーのほうを向いた。









𝖱𝗈𝗈𝗆 𝖿𝗈𝗋 𝖱𝖾𝗇𝗍 -𝖳𝗁𝖾 𝖭𝗂𝗀𝗁𝗍 𝖢𝗈𝗆𝖾𝗌 𝖣𝗈𝗐𝗇- [𝖲𝗂𝗇𝗀𝗅𝖾 𝖼𝗎𝗍 𝗏𝖾𝗋𝗌𝗂𝗈𝗇]

© 𝟤𝟢𝟤𝟦 𝖪𝖠𝖱𝖠𝖲𝖴𝖬𝖠 𝖢𝗁𝗂𝗓𝗎𝗋𝗎

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