目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
[5]続発する怪現象

 ――ピシッ


 ――パキッ……


「な……なんの音?」

「しっ」

 枯れ枝を踏み折るような音が、今度ははっきりと聞こえた。が、どっちからかはよくわからない。岩渕は片膝を立て、口許に人差し指を当ててこっちを見ていて、諫山は立ちあがって部屋を見まわしていた。

「ラップ音だ」

 諫山が小声で云う。まさかと眉根を寄せている田名辺と諫山の顔を、古峯が途惑ったように何度も見る。ラップ音なんてありえないと思いつつ耳をそばだてていると、またパシッ、という音がして田名辺は引き攣った笑いを浮かべた。

「……お隣さんじゃないの……?」

「そういう感じじゃないな」

 皆、緊張した様子でその場に留まり、静かに耳を澄ませている。すると――


 ――パタッ……


「……な、なに……?」


 ――ピタン……


 どこからか微かにピタン、と水が滴るような音が聞こえた。さすがに気味が悪く、すくっと立ちあがりながら田名辺と古峯はどちらからともなく腕を組み合った。

 パタッ……ピチャーン……と、水音は不気味に響き続けている。諫山と岩渕は頷き合い、またスマートフォンを取りだしてライトをつけると、そろりそろりとリビングを出た。

 その場に取り残されるのもなんだか厭で、田名辺は古峯と腕を組んだまま、その後に続いた。廊下に出、洗面所のドアを開けて諫山がその向こうに姿を消す。がらっと浴室のドアが開く音とともに、ピチャンと云う水音も更にはっきりと耳に届く。田名辺は思わず絡めている腕に、しがみつくように力を込めた。

「……蛇口から雫が落ちてるだけ、といえばそうなんだが……さっき、水なんか誰も出してないよな」

「出してない……」

「そもそも、入居が決まらないと水道って止められてるのでは?」

 うむ、と諫山の声がして、岩渕の後ろから風呂場のなかを覗きこむ。諫山は蛇口を捻ったりしてなにか確かめていたが――

「やっぱり水は止まってる。だが……見てみろ」

 そう云って、諫山は浴槽の中を照らした。岩渕が浴室に入り、ライトの先に目を凝らす。

「……ありえない。きちんと清掃されてるはずだ」

「ああ、昼間見たときにはなかった」

「えっ、なんすか。なにが……」

 田名辺も堪らず浴槽を覗きこんだ。そして、を認めた瞬間「ひっ」と息を呑む。

 浴槽の中、ライトの光が照らしだしたのは、水滴が伝った跡と、それに沿って貼りついている数本の長い黒髪だった。

 ――しかし、怪現象はそれだけでは終わらなかった。

「今度はなんだ……!?」

 キッチンのほうでガシャーンと、ガラスが割れるような音がした。ぎゅっと古峯の腕にしがみついたままの田名辺を押し退け、岩渕と諫山が洗面所を出る。リビングに駆けこんだ岩渕がキッチンを見て「……なにもないぞ」と云ったが、広いリビングを見まわした諫山は、こんなことありえないとでも云うように首をゆるゆると振った。

 恐る恐るついてきた田名辺も、諫山の背後に隠れるようにしながらそれを見た。暗がりの中、諫山がゆらりと照らした光に鮮明な色が浮かびあがる。いやでも目に入ってしまうに、田名辺は恐怖に慄き引き攣ったまま表情を凍らせた。

「……なんだよこれ!!」



『たすけて』『タスケテ』『たすけて』『みつけて』『たすけて』『たすけて』『タスケテ』『たすけて』『みつけて』『タスケテ』『みつけて』『たすけて』『タスケテ』『みつけて』『タスケテ』『たすけて』『たすけて』『タスケテ』『みつけて』――



 数えきれないほどの『たすけて』『タスケテ』『みつけて』という、まるで血のように赤い文字が、キッチンとは反対側の壁一面に書き殴られていた。これでぞっとしない者はいないだろう――怪現象など信じていない田名辺も、ついさっきまではなかった不気味な文字にがくがくと震えあがった。

 ライトの光を彷徨わせながら、諫山が独り言のように呟く。

「……これは凄い。家賃が安いわけだ」

「もういいじゃないか、田名辺……おまえ、これでもまだここに住みたいって云うつもりか!? もう帰ろうぜ、俺、もうやだよ、勘弁してくれ――」

「こんなとこ、俺ならただでも住みたくないね……! 田名辺くん、わかったろう。ここはもう諦めることだ……」

 確かに。古峯と岩渕に云われるまでもなく、こんな怖ろしい現象が起こる部屋に住むなんてとんでもない、無理だと思った。しかし――

 田名辺は考えた。これは、本当に本物の心霊現象なのだろうか。こんな、まるっきりホラー映画そのままのベタな怪現象が、現実に起こるものだろうか? ひょっとして、誰かが自分を騙そうとしているのでは――

 恐怖心は確かにあるのだが、田名辺はまだ半信半疑、これが本物の心霊現象かどうか疑っていた。諫山も岩渕ももう帰ろう、こんな場所から早く出ようと声をかけてきていたが、田名辺はまだこの部屋に未練があるようにバルコニーに向いたまま、その場に突っ立っていた。

 しかし。

 ひんやりとした風が入ってきて、部屋の温度が下がったと思ったそのとき――バルコニーに、すぅっとなにかが浮かびあがった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?