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第六章 「闇をみつめる」2


 怪我から復帰し、店に戻る頃には騒ぎは完全に鎮静化し、客の足もいつにも増して健在だった。


 極楽浄土は、密かな知名度を獲得したようだった。今までと比べて、一見さんが多くなっていた。たいていの客は蘭堂に夢中になるが、白のような中性的な美貌の男を求めるファンも根強く、白も順調に新規の客を獲得していった。


 季節は進み、冬になった。


「クリスマスデートがしたい」と早くから約束を取りつけた女性客と並んで街を歩いていた白は、前を行く人々の中に、見知った背中を見つけた。


 相変わらず猫背で、うつむきがちに歩いている彼女。


 懐かしいと感じた。


 彼女も変われないのだ。望むと望まないとに関わらず、自分が自分であることをさらけ出して生きている。取り繕えない生身の人間の存在を感じた。


 彼女のそばに、数人の女性たちがいるのに気がついた。職場の同僚だろうか。


 話しかけられた彼女は、ふいと横を向く。


 白は目を見開いた。


 彼女が、笑っていた。


 ほんの少しだけ、微笑みに近いほどの静かな表情だったが、確かに笑顔を見せている。


 唐突に、脳内に光が走ったような気がした。


『優は、天使みたいな子だね』とささやいた、母の言葉がフラッシュバックした。


 母も、本当は彼女のような性格だったのではないか。


 知らずに過ごしていたかつての日々が、白の脳裏に浮かび始める。優しく頭を撫でてくれた母の手つき。頬を殴った時の、憎しみすべてをぶつけるような力強さ。


 父と、どうやって出会い、結婚するに至ったのか、母はいったい心の奥で何を思い、考えていたのか、欠片も興味を持てなかった親の過去が、白の中に巡る。


 お母さん、と、長い間口にできなかった親を、呼びたくなった。


 もう、どこで生きているのかも知らないけれど。


 つながりさえ持てなくなったけれど。


 何もかも許したくなった。


 母は、か弱い人だったから。


 白は少しだけ目を閉じた。


 一呼吸おいて、再び目を開き、世界を見つめる。


 女性たちのグループは歩く速度を上げ、白たちから遠ざかっていった。夜の大通りを楽しそうに、軽快な足取りで。


 白は彼女を見送った。


 懐かしいと、再び思う。


 心の中には、穏やかな感情の波が流れていた。


 白は隣の客の手を握り、自らのジャケットのポケットに一緒に入れた。恋人つなぎをされた女性客は嬉しそうにはにかむ。


 東京の空におあつらえ向きの雪は降らない。空は澄み渡った夜空で、ビルの隙間から星々がチカチカ光っている。都会の空気でも見える強さの星が、白は好きだ。輝かしい人工ネオンの光と溶け合うように、街行く人の何もかもを照らしているように感じる。


 自分は意外とロマンチストだから、これぐらいは夢想しても罰は当たらないだろう。


 白はふっと笑った。「どうしたの?」と愛おしそうに尋ねる女性客にぴたりと身を添わせて、幸せだと思った。


 はたから見たら外れているだろう。まともじゃないと、誰かは軽蔑するだろう。しかしそれでいいとも思う。白が今この瞬間を幸福と捉えているならば、誰に後ろ指をさされても、白は幸福な人間なのだ。


(だから、もう、いいんだ)


 白は、姿が見えなくなったあの日の彼女に、再びのさようならを告げた。


 またどこかで会うのか、二度と関わり合うことはないのか、白には判断もつかないけれど、あなたが幸福でありますようにと。


 女性客と寄り添い合うように、白はクリスマスのイルミネーションを眺めながら、ゆっくりと歩き続けた。


 夜が、更けていく。




   〇





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