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恋で生計は立てられない
泉花凜
恋愛夜の世界
2024年11月05日
公開日
62,839文字
完結
恋人なし、友人なし、仕事休職中の崖っぷちアラサー、影山明(かげやま あかり)は三十路の誕生日が迫ってくる年、言いようのない孤独感と虚無感に襲われ、衝動的に夜の繁華街へ飛び出してしまう。そこで客引きをしていたホストの男に紹介された女性向けの性風俗店『極楽浄土(ごくらくじょうど)』を知り、とっさに利用した初回キャスト、白(シロ)の美貌と天使のような優しさに、恋に落とされた明(あかり)は、なけなしの貯金を崩してキャストにつぎ込み始める。
終わりのない課金地獄の果てに、明の将来はどこへ行くのか。白は、なぜこの道を選んだのか。
性とは、愛とは何か。ヒューマンドラマ強めの恋愛小説。

※物語の一場面に過激な描写がありますが、当作品は人に対する暴力行為を促す意図で書かれたものではありません。

序章 「偽善」


 あ、しまった。下着三百均で買ったやつだ今日。


 百均じゃないだけまだマシか? いやそんなに大差はないだろう。衝動的に財布を握りしめて外に出てしまったおかげで、化粧もオシャレもしていない。最悪だ。死にたい。いや、嘘。本当は生きていたい。だって生きなきゃ次いつシロくんとヤれるかどうかわからないもん。白くんはあのお店のトップキャストだから、お客さんの私を無下に扱うことは絶対にしない。私たちは客と従業員の関係。絶対にあのお店では私は拒否されないのだ。誰からも。こんな天国ってある? みんな優しく接してくれるんだよ? 何の特徴もない没個性的な私の顔を、可愛いですね! 愛らしい人形みたい。とか、おしとやかで素敵です、とか、天にも昇るようなリップサービスをくれるんだ。しまいには私の頭をそっと撫でてくれて、愛おしそうに唇を落としてくれて、慈しむように手を握ってくれてさあ、ちょっと悪戯っぽく服の下をさわられたり、「園子そのこさん……」と色っぽく私の名前を呼んでくれて……。


 ちげーよ。「園子」じゃねーよ私は。あかりだよ。影山明かげやま あかりっていうんだよ。誰だよ園子って。


 園子って誰?


 聞くまでもなく、それは私の名前だ。


 お店に通う時の、私のシークレットネーム。


 その場の勢いで適当につけてしまったやつ。


 何で「明」って言えなかったのか。カタカナ表記で「アカリ」とか、ひらがなの「あかり」とかにしなかったのか。


 できなかったのだ。


 私は、乙女ゲームのプレイヤーの名前にすら、「明」と記入できないのだ。


 恥ずかしいから。


 自分の存在が、恥ずかしくてたまらないから。


 自分を好きでいられたことがないから。


 だからいつも仮の名前を入れている。架空の名前は架空の女となり、知らない名前の女が自分好みの男キャラといちゃいちゃしているゲームを死ぬ思いでプレイし続けて、結局「その女誰だよぉっ!!」って自爆してスマホを投げ飛ばす。もちろんゲームはクリアしないまま、やがてIDもパスワードも忘れてログインできない状態になって、余計にやる気がそがれて、データそのものを削除する。最近の私の行動といえばそれくらい。私の生活サイクルはこんな感じ。


 友だちは、いない。


 仕事も、今はしていない。


 今年、三十になった。


 そして今、私はあのお店を目指して歩いている。


 元風俗街で有名だった、今は小規模なライブハウスや劇場などの文化的な施設で地元の経済を成り立たせている、ちょっとばかり小綺麗になった街。


 東京より南の位置にあるからか、若干風のめぐりが暑くて、海のある場所なんだと思える、潮の匂いが含まれた風の街。


 だからか、東京にいる時よりも人通りがそこまで多くなく、空が心なしか広い気がする。空気が私を優しく通り過ぎていくような、自然の音がする。


 早く白くんに会いたい。


 白、今どこにいる? まだお店で仕事中?


 白、あなたの本名は、何ていうの?


 聞きたくて、でも一生聞けないだろう質問を、私は胸の内にしまいながら店までの道を進む。外は常闇。会社帰りのサラリーマンやOLが横をすり抜けていく。街灯が私の顔を亡霊のように照らす。だいぶ歩いたところで、街ビルのネオンが見えてきた。今度は人工の明かりが私を問答無用であぶり出す。


 あんた、どこ行くの? そんなださい格好して。


 街々が私を見下ろすように、存在感をあらわに建立している。私に何らかのメッセージを投げかけているように思える。


 私は、白くんに会いたいの。


極楽浄土ごくらくじょうど』に向かう最中なの。


 関東で初めて開店された、女性向け性風俗サービス店。


 白くんは、そこのトップキャストなの。『癒し系イケメン』コーナーで一位をキープしている、とっても優しくて可愛くて綺麗で儚い、美青年なんだよ。


 白くんは、誰も見向きもしない私を、「ここにいていいよ」と抱きしめてくれた。


 怖がる私を、優しく丁寧に包んでくれた。


 白くんだけが、私のすべて。


 どんなに大金を捨てても、それで白くんの生活が成り立つのなら、私はいくらでも貢ぐ。


 白くんは、私のキャスト。


 私の友だち。


 私の恋人。


 私の、最愛の人。


 街のネオンはいよいよきらびやかになっていく。通りを一カ所右にそれた、表のビルから隠れるように建っている長方形の焦げ茶のコンクリート。一見すると古風の書店や、レトロな喫茶店にも思えるような様相だ。


 これが、『極楽浄土』である。


 私の唯一のオアシス。


 私は今月分の財産を詰め込んだ財布を握りしめて、手動の入り口扉を開けた。




   〇



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