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第34話 「父親そっくりだわ」

 弥幸は部屋から出ると、襖に背中を預け天井を見上げ、大きく息を吐いた。

 まるで後悔しているような、諦めたような。複雑な思いが彼の表情から滲み出ている。


 天井に向けられている真紅の瞳は微かに揺らぎ、静かに閉じられた。

 頭を乱暴にガシガシと掻くと、廊下を歩き出す。


 弥幸が歩いている廊下には何も置かれていない。せいぜい、廊下を照らすための灯りが壁に等間隔で備え付けられている程度。


 突き当りまで行くと曲がり角があり、右に進む。すると、美味しそうな匂いが鼻をくすぐった。


 導かれるように進むと、暖簾がが掲げられている部屋を見つけた。

 弥幸は片手ですくい上げ、顔を覗かせる。


「あら、弥幸じゃない。珍しいわね」

「ん」


 暖簾の先には大きなキッチン。ガスコンロの前には、着物を着た一人の女性が立っている。

 袖が汚れないように紐で括り、白いエプロンを付け、味噌の香りが漂う鍋をかき混ぜていた。


 なんの前置きもなく、突如来た弥幸に驚きつつも、横目で見て声をかける。

 瞳は弥幸と同じく真紅色、髪は逢花と同じで黒。暖かな微笑みを浮かべる彼女は、なんとなく弥幸と雰囲気が似ていた。


「んー? どうしたの、弥幸」

「え、何が」

「また、昔と同じ顔をしているわよ」


 鍋にかけていた火を止め、エプロンで手を拭き出入り口に立っている弥幸へと近づく。背丈はほぼ同じで、二人の目が意識しなくても自然とあった。


 女性が弥幸の頬に手を伸ばし、軽く添える。

 優しいぬくもりが頬から伝わり、弥幸は安心したように目を細めた。


「ふふっ、疲れたのかしら。少し、辛そうに見えるわよ」

「そんなことはないよ。めんどくさい妖傀が現れただけ」

「お母さんに、貴方の嘘が見抜けないと思うの?」

「嘘なんて言ってないよ」

「確かに、嘘ではないわね。貴方は昔から嘘は言わないもの。ただ、人に伝えるのが苦手なだけなんだものね」


 頬から手を離した彼女は、弥幸を引き寄せ大事に抱きしめる。されるがままの弥幸は、一切抵抗することなく肩に顔をうずめた。


「我慢をして、想いを吐き出せなくなってしまったのは分かっているわ。大丈夫よ、口に出さなくてもわかる。私は、貴方の母親だもの」


 笑顔を浮かべ、弥幸を大事に抱きしめる母親。彼も母親の温もりには抗えず、背中に手を回し抱きしめ返した。

 肩に顔を埋め、表情を隠しながらポツポツと弥幸は、母親に縋るように話し出す。


「精神の核を持っている人を、見つけたんだ」


 もごもごと、ぐぐもった声だったがしっかりと聞きとれた彼女は、目を細め小さく「そう」と零す。

 弥幸も小さく頷き、その後は何も言わなくなった。


「――――もしかして、今部屋で逢花と話している友達のうちの一人かしら」


 思い出すように彼女は弥幸に問いかける。すぐに、頷いた。


「もしかして、髪を下ろしているおっとりしたような子?」

「おっとりしているかはわからないけど、髪を解いている方なのはあっているよ」

「そう。あの子が…………」


 笑みが消え、遠くを見る母親。

 弥幸は体を離し、俯きながら小さな声で伝えた。


翡翠星桜ひすいしおんって名前なんだけど、普段から無防備で危なっかしいんだよ。今回も二人から憎まれ、一気に二体も妖傀を引き寄せた。しかも、男女ともに。そんな奴が精神の核を持ってるんだ、今後の生活に関わる」

「そうだったのね。弥幸は、その子が心配なの?」


 彼女からの質問に数秒考え、素直に小さく頷いた。

 彼の気持ちに彼女は笑顔を浮かべ、微笑みを向けた。


「やっぱり、貴方は優しい子。私の自慢の素敵な子。でも、抱えすぎてしまうのが考えものね」


 今の言葉が理解出来ず、弥幸は首を傾げ彼女を見る。

 優しく頬笑みを浮かべている母親の瞳は、彼の全てを包み込むように暖かい。


 彼の困惑に気づき、銀髪を撫でながら彼女は言葉を繋げた。


「一人で抱えるには重くても、貴方は妹の為、友人の為、家族の為。自分より他の人を優先してしまう。今も諦めていないのでしょう? 貴方の父親と兄の事」


 声のトーンが少しだけ下がる。

 過去を思い出し、悲しげに言う母親から目線だけを逸らし、無言を貫いた。


 彼の反応に母親は浅く息を吐き、困ったように弥幸の頭を乱暴に撫で回す。


「え、ちょ、なに?」


 さすがに困惑の声をあげ、止めようと彼女の手を握った。

 「ふふっ」と楽しげに笑う彼女は、撫で回されたことにより乱れてしまった彼の銀髪を、今度は整えるように優しく撫でた。


「本当に、悪いところだけ似てしまったわね。その諦めの悪さ、父親そっくりだわ」

「うげっ、勘弁して。あんな人と似ているとか、生きているのが嫌になるよ」

「そこまで言えるようになったのなら大丈夫ね。安心したわ」


 パッと、弥幸から手を離し、クスクスと笑う。手を口元に添え控えめに笑う彼女の姿に、弥幸も思わず頬が緩み笑みを零す。


「さぁてと、弥幸」

「なに、かーさん」

「私は何も出来ないけれど、貴方のことを少しでも楽にしてあげたいの。だから、これから翡翠さんとの関係をどうしていくのか教えて欲しいわ」

「関係?」

「これからはその子を貴方が守るのでしょう?」


 意味深な問いかけに戸惑いながらも、弥幸は恐る恐る頷いた。


「男女なのよ? もしかしたら、将来のお嫁さんになるかもしれっ──」

「ありえないから、やめて」

「あらあら、それは分からないのに。全力で否定なんて、もしかしてもう気があるの?」

「めんどくさいモードになったね。僕はもう部屋に戻って寝るよ。ご飯になったら教えて」

「お友達は?」

「逢花に任せた」

「そこは完全に任せるのよねぇ……。妖傀が出た時は絶対に任せないのに」

「まるっきり違うから」

「そうね」


 弥幸は振り返りキッチンを出る。彼の去っていく背中を見つめ、母親は手を振り送り出した。

 完全に彼の姿が見えなくなると、振っていた手を下ろし鍋に目線を戻す。


 鍋の中には、今日の夜ご飯のために作ったお味噌汁が湯気を立て美味しそうに入っている。豆腐もワカメが味噌味のスープの中で漂っていた。


 火をつけ、ゆっくりとかき回す。

 カシャカシャと音を鳴らす中、彼女は口を結び眉を下げた。


「…………全てをあの子が背負っている現状。早くあの二人の居場所を突き止め、彼らが今やろうとしていることを止めなければ……」


 過去を思い出し、眉間に皺を寄せる。

 握っているおたまに力が込められ、指先が白くなった。


 廊下に出た弥幸は、どこにも寄ることなく自身の部屋へと向かい、布団の中に滑り込む。そのまま、深い眠りについた。

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