弥幸は、緊張の糸が伸びている空気にそぐわない、緩い声で星桜に声をかけた。
咄嗟に手を止め、彼を見る。その顔は焦りと緊張で強ばっており、汗が額から流れ、息を切らしていた。
「君は他の人より精神力が莫大なんだから、数時間で成功させるなんて無謀。期待していないから安心して」
「で、でも──」
「別に、君がいなくても今まで僕は戦ってきた。君がいると楽にはなるけど、それだけ。戦えないわけではない。だから、今のように自身を追い込む必要はないよ」
胡坐をかき、欠伸を零しながら淡々と弥幸は伝える。
それでも、星桜は成功させたいという気持ちを全面に出しすぎており、今は焦りしかない。
「私は必ず成功させて、貴方の役に──」
「だから、その考えが迷惑なんだよ」
「えっ……」
星桜は弥幸から言い放たれた言葉に顔を強ばらせた。
隣で聞いていた翔月は、弥幸の言い方に怒りが芽生え、「そんな言い方はないだろ!!」と顔を赤くし叫ぶ。だが、弥幸はどこ吹く風。まったく気にせず言葉を続けた。
「別に。僕は思ったことを口にしただけ」
「それがお前のために頑張っている星桜にかける言葉かよ!!」
「このままじゃ成功しないし、仕方がないんじゃない?」
「そういう問題じゃないだろ!!」
「なら、どういう問題なのさ。僕は精神の核を持っているからお願いしただけ。コントロールが出来る出来ないでお願いしたわけではない」
弥幸の言葉に翔月はとうとう我慢が出来なくなり、拳を握り殴ろうと振り上げた。だが、それを星桜が慌てて止める。
「待って翔月!! 私が悪いの、私が出来ないから。だから、赤鬼君は何も悪くない!!」
「いや、こいつは悪い。そもそもこれは難しいんだろ? なら出来ないのも無理はないじゃねぇか。ここまで言われる必要はないだろ!」
「諦めないのはそっちの方じゃん。出来ないなら諦めるのもまた手だよって事。僕みたいにね」
弥幸の言葉にまた翔月が突っかかる。
星桜は翔月の腕を掴み止めながら、弥幸の言葉を聞き、俯く。
和室には殺伐とした空気が流れ、もう、先ほど見たいに集中するのは不可能。
逢花も呆れたように息を吐き、三人を見ていた。
数秒、気まずい空気が流れ、もう無理だなと逢花は判断。蝋燭の炎を消そうと手を伸ばしかけた時、星桜が閉ざされていた口を開いた。
「────赤鬼君。お願い、教えて」
「……」
星桜は、俯きながら弥幸にお願いした。
その声は震えているが芯があり、決意が込められている。弥幸は何も言わず、続きの言葉を待った。
「私、絶対に出来るようになりたいの。絶対に、貴方の力になりたいの。恩をあだで返すなんてしたくない!」
俯かせていた顔を上げ、弥幸を真っ直ぐ見る。決意の炎が彼女の瞳に宿り、メラメラと燃えていた。
その目を弥幸は横目で受け止め、試練を与えるような口調で言い放つ。
「簡単にそんな事、言わない方がいいよ。今回出来たとしても、次の壁がある。今回より酷い試練が待っているかもしれない。僕が行っていることは命が関わることなんだからね。それでも君は、僕の力になりたいと思う?」
弥幸の言葉に、星桜は迷うことなく大きく頷き、再度お願いした。
「私は絶対に諦めない、途中で逃げ出さない。約束するよ。だからお願い!! 出来るコツか何かを、教えて欲しいの!!」
頭を下げる星桜の言葉は嘘ではないか、本気なのか見定めるように弥幸は赤く鋭い瞳で見つめる。
数分後、弥幸は何を思ったのか。鋭かった瞳を細め、薄く笑みを浮かべた。
「んっ。君の覚悟は受け取った」
右手を伸ばし、弥幸は星桜の頭を優しく撫でた。
何が起きたのか思考が追い付かず、星桜はポカンと見上げ、翔月は顔を青くし「ゲッ」と苦い顔を浮かべた。
逢花は顔を赤くして「キャー」と一人で興奮している。
そんな三人の様子など気にせず、弥幸は手を引っ込めて何も無かったかのように話を続けた。
その時にはもう、先ほど浮かべていた笑みは消え、いつもの無表情に戻っていた。
「なら、これから僕が言うことをしっかり聞いて、想像して。すぐに出来るとは思っていないから力む必要はない。出来る?」
「あ、はい!!」
星桜は撫でられた頭を触りながら、曖昧な返事が口から出る。
そのため、弥幸からは疑いの目を向けられてしまった。
高揚した頬を抑え、気を取り直し何度も「大丈夫」と星桜は言った。
二人のやり取りを見ながら、逢花は呆れたような顔で「天然タラシ」とボソッと呟き、翔月も賛同するように頷いた。
「んじゃ、まずは集中して」
星桜は言われた通り目を閉じ集中する。だが、”出来なかったら”と不安がまたしても頭に浮かび、焦りが芽生える。集中したくても気ばかり焦り集中できない。
焦るな、落ち着けと心中で何度もつぶやくが逆効果。出来ない自分にいら立ちまで覚える。
「っ!」
目を閉じていた星桜は、背中に添えられる温もりに驚き、咄嗟に後ろを向いた。
「えっと、赤鬼君?」
「まずは、呼吸を一定にすること。焦らなくていい。焦ったところで意味なんてないよ。目を閉じ、呼吸に意識を集中させて」
背中に添えられているのは、弥幸の右手。
一定のリズムでぽんぽんと、優しく星桜の背中を叩き始めた。
まるで童話を聞かせるように優しく語るように、弥幸は星桜の耳元でアドバイスを伝える。
落ち着かせたはずの頬が再度高揚し、心臓も高鳴り始めた。だが、すぐにかぶりを振り、言われたように呼吸に集中し始める。
彼のぽんぽんと叩くリズムに合わせるように、徐々に集中力が増し呼吸も一定になる。彼女の変化を察し、タイミングを見計らい弥幸が次の助言をした。
「頭の中で、広い海を想像するの」
「海を、想像……」
「波が立っていない、静かな海が君の目の前には広がっている」
物語を読んでいるようにゆっくりと、わかりやすいイメージを提示。
星桜は背中から伝わるリズムに意識を集中しながら、頭の中では静かな海を想像した。
「目の前には静かな海。澄んだ光景が広がっている」
どんどんイメージが膨らみ、集中力が高まる。すると、星桜の体から今まで感じた事がないような澄んでいる空気が湧き上がり、オーラとなり彼女を包み込む。
逢花は驚きと歓喜で目を開き、笑顔を浮かべた。
翔月も同じく驚き「すげっ」と言葉が零れる。
「その海に身を任せるんだ。大丈夫、波が立っていない海は、優しく君を包み込んでくれる」
最後の言葉のように、弥幸は星桜から手を離し距離を取る。
イメージが頭の中でしっかりと固められ、星桜は炎を見つめ左手をゆっくり近づかせた。
近付かせた際は、ほんの少し炎が揺れた。だが、焦りはなく、星桜は手を近づかせる。
炎に近付くにつれ、今までなら大きく揺れ消えてしまっていた。だが、今回は違う。近づくにつれ、どんどん揺れは収まり静かに燃え続ける。
息を一定にし、頭の中には澄んでいる海をイメージし続けていると、星桜はやっと左手を炎に添える事が出来た。
瞬間、逢花は右手に持っていたストップウォッチのボタンを押し、スタートさせる。
時間がどんどん進んでいき、一分が過ぎた。
それでも、星桜は余裕そうな笑みを浮かべ、炎を消さないように添え続ける。
少しも炎が揺れない。星桜がしっかりと精神力をコントロール出来ている証拠だ。
それからも星桜は集中を切らさず操り続け、当初五分と言っていたが、二十分も灯し続けることが出来た。