翔月が準備を整え、ドアから出てきた。
薄い長袖のシャツに、七分くらいの上着。
下は、ストレッチパンツに足元はスニーカー。何が起きても対処しやすいようにと考えられている服装だ。
「用意周到ですね」
「勝手だろ」
笑みを浮かべている弥幸と、嫌悪感むき出しの翔月がお互い睨み合いながら言葉を交わす。
星桜は、そんな二人の雰囲気に気付かず「行かないの?」と問いかけ、やっと歩き出した。
弥幸が先頭を歩き、後ろを星桜と翔月が付いて行く。
誰も話そうとはせず、空気が重たい。
気まずい空気に弥幸と翔月は口を開けない。
目すら合わせられず歩いていると、鈍感な星桜は構わずいつも通り翔月に話しかけた。
「翔月、今日本当に用事無かった? 大丈夫?」
「あ、あぁ。普通にゲームしてたわ」
「そっか。何やってたの?」
「スマホゲーム」
「それってもしかして、今流行ってるゾンビをバンバン撃ちまくるやつ?!」
「まぁな。でも、始めたばかりだから武器とか揃ってねぇんだよ。すぐ負ける」
「そっかぁ。私もそれやろうか悩んでるの。面白い?」
星桜がいつも通りに話すため、翔月も気まずい空気など拭い捨て、いつも通りに話せた。
弥幸は二人の会話を耳にしながらも、歩き続ける。
星桜と翔月が楽し気に話しながら歩いていると、どんどん木々が増え陽光が遮られ始める。薄暗い道に、二人は会話を中断し周りを見回した。
今、どこを歩いているのか把握した星桜は、どんどん顔を曇らせていく。
胸元に手を置き、前を歩く弥幸に声をかけた。
「あの、あかっ──ナナシさん。ここって……」
癖で弥幸の名前を呼びかけた星桜は、慌てて口を閉ざし言い直す。
翔月を待っている間、星桜は弥幸に「絶対に僕を名前で呼ばないで」とすごい剣幕で言われていた。
今も、言いかけただけで肩口に鋭い視線を向けられる。
呼んでしまえば何をされるかわからず、星桜は顔を引きつらせた。
「はい、貴方が事故に合ってしまった現場ですね」
弥幸は、前方に向き直しながら丁寧語で答える。
今までとのギャップに星桜は気持ち悪さを感じ、笑みを張りつけたまま顔を青くした。
「ですよね……」
これ以上今の弥幸と会話をするのは耐えきれず、星桜は早急に会話を切り上げ黙り込む。その様子を翔月は不思議そうに首を傾げながら、二人を交互に見た。
橋の上まで歩くと、弥幸は突如足を止め周りを見渡しながら静かにぼやく。
「ここら辺でなら、お話出来るでしょう」
辿り着いたのは、星桜と弥幸にとって三回目となる崖近くの道路。
今は昼過ぎというのもあり、車の通りは今までと比べると少しだけある。だが、それでも大通りと比べると車の数は少なく、歩いている人もいない。
翔月は、なぜこんな所に呼ばれたのかわからず、周りを見回しながら弥幸を警戒する。
星桜は「また……」と呟きながら彼を見ていた。
崖を背中に、弥幸は柵に寄りかかりながら二人に目線を送り話し出した。
「さて、ここで話しましょうか。と言っても、口で話して信じていただけるような内容ではないことは分かっていますので、少し強引な手を使わせていただきます」
「強引な手だと?」
「はい」
言うと、弥幸は翔月へとゆっくり近付く。
翔月は、近付かれたことで嫌な予感が走り、少し後ずさっていた。
めんどくさいと思った弥幸は、瞬きする一瞬で翔月の横に移動し、米俵のように抱えた。
「えっ?」
翔月の困惑など気にせず、当たり前のように振り向き崖へと向かい、柵を飛び降りた。
何をされ、今がどんな状況なのか理解できない翔月は、自身に襲ってきた浮遊感と風が顔に当たる感覚で我に返り、近づいて来る地面に悲鳴を上げた。
「ひっ!? うぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」
「あぁー。ナム」
翔月の叫び声が崖に響き渡り、数秒もしないうちに聞こえなくなる。
星桜は何度も経験しているため、哀れみの目を下に向け、手を合わせ見送った。
※
「………っるさ」
弥幸は、地面に着地し、翔月を乱暴に地面に下ろした。
「いってて……。おい、何をするんだ!!」
地面に落とされた翔月は、服についた土を払いながら立ち上がり怒った。
今、二人がいる場所は、大きな樹木がいくつも立ち並ぶ崖の上。陽光が木々により遮られ、薄暗く不気味な空気が漂っていた。
翔月の怒気の込められた声に続く言葉はない。弥幸は口を閉ざし、目の前に立つ翔月を真紅の瞳で見続ける。
弥幸に真紅の瞳は澄んでおり、思わず見入ってしまう。まるで、金縛りにでもあってしまったかのように翔月は動かない。
弥幸は、やっと翔月が静かになったため、今までの丁寧語を外し、普段の口調で話しかけた。
「君、翡翠に恋心抱いてるだろ」
「──はぁ? な、なにを突然言いやがる……」
この場に関係のない質問をされ、翔月は動揺し、震えた声で言い返す
「前に言ったはずだよ、取り返しがつかなくなる──とね。それなのに、君は一向に想いを出そうとしなかった。そしてこのザマ。君は自分の身勝手な嫉妬心で、好いている人を殺そうと拳を振るっているの、毎晩」
突然の説明に、翔月は恥ずかしさや怒りで、青いのか赤いのか顔色を浮かべる。
横に垂らしている拳をきつく握り、顔を引きつらせながら慌てて反論した。
「い、意味わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ。俺が星桜に恋心? 馬鹿も休み休み言いやがれ。それに、俺が星桜を傷つけてるだって? いつ俺がやった。証拠はあるのかよ!!!」
つばを撒き散らす勢いで弥幸へと怒りをぶつけた。
だが、弥幸は慌てる事もなく、冷静に見返すのみ。肩を上下に動かし、まだ収まらない怒りをぶつけた。
「適当なことばかりいいやがって。根拠もねぇのにこんな所に連れてくるとか、どんな神経してやがんだよ!!!」
黒い感情が徐々に収まりが利かなくなり、表へと溢れ出る。
このままでは翔月自身、自我を保てない。それでも翔月は我慢できず、体全体で弥幸へと全ての負の感情をぶつけた。
怒り、焦り、悲しみ。負の感情が翔月の口が飛び出し、弥幸を罵り否定した。
口を結び、すべての罵声に耐えていた弥幸は、ゆっくりと右手を動かし、腰に着けていた狐の面に手を伸ばす。
「このままでは、君は君でいられない。なぜ感情を我慢する必要がある。伝えたい想いがあるなら、それを口に出せばいい。伝える前から諦めていたら、一生後悔することになるぞ」
「黙れ!!! 俺は何も我慢なんてしていない。思ったことは口に出している。伝えている。それでも、あいつは気付いてくれない。全く気付かない!! 俺は何度も伝えようとした!!!」
弥幸の言葉をすべて否定する。今まで自分が行っていた事を正当化したく、間違いだと認めたくなく。自分を否定するモノ、すべてを否定した。
まだ夜ではない。だが、恨みが強くなればなるほど、妖傀の力は強くなり、薄暗い所なら昼間でも出現する。
「────早く、もっと恨みを」
あともう少しで妖傀が現れてしまいそうな雰囲気を纏う翔月を見て、弥幸は薄く笑みを浮かべた──……