「それでは新郎のご友人でいらっしゃいます山田様、お願いいたします」
よく通るキンキン声をした女性司会者にうながされ、山田は口元をナプキンでぬぐって立ち上がった。
多少緊張はしていたものの、今日のために新郎新婦と打ち合わせを重ねてきたこともあり、職場のプレゼンよりはいくらかリラックスしてステージに上がった。
咳払いのあと、ちょっと大げさな調子で話し始める。
「いや、びっくりしましたよ。中島君がこんなにも若くてお綺麗な方と結婚するなんて」
恩師や上司による堅苦しい挨拶が続いただけに、こんなくだけた入り方も悪くないのでは、という山田の読みは当たったようだ。
ダラダラと続くコース料理に退屈していた子どもたちも、何だかおもしろいことが始まりそうだと、一斉に山田の方を向いた。
「あ、いきなり失礼しました。ご紹介に預かりました新郎の友人、山田と申します。新郎の中島君とは大学の超能力研究会で知り合って以来、かれこれ二十年にわたって親交を深めてまいりました」
耳慣れないサークル名に興味をそそられたのか、あちこちで「超能力」「スプーン曲げ?」などとざわめきが起こる。
「結婚披露宴の余興を頼まれましても、これといった芸の一つもない私ではございますが、学生時代に培った催眠術の腕を披露させていただきたいと思います」
ここで指笛を鳴らす者や「待ってました」と合いの手を入れるお調子者も現れ、会場の空気は一気に温まった。
「万全を期すため、ちょっと失礼していつもの呼び方をさせていただきます。さあ慎吾君、キミに催眠術をかけるのは久しぶりだけど、用意はいいかな?」
「もちろん!」
中島は立ち上がって、取ってつけたようにガッツポーズをしてみせた。
その横では彼よりかなり年下で子連れ再婚となる新婦の真美、そして6歳になったばかりの一人息子ヒロが嬉しそうに拍手している。
「慎吾君にはあまり無理のないよう、ゴリラになってもらおうと思ったのですが……」ここで今日一番の笑いが起き、山田は静かになるまでしばらく待たねばならなかった。「おめでたい席ですし、暴れられたら式場の方にもご迷惑ですので、今回はきちんと調教されたニホンザルの慎吾君になってもらいます」
そう言うと山田は、猿回しのサルが着ているような赤いちゃんちゃんこを新郎に羽織らせた。
「さあ、ここからが腕の見せどころです。私が彼の目を見ながら3つカウントします。すると」山田はマイクに指を近づけパチっと鳴らす。「この音を合図に、彼はサルの慎吾君に変身します。あ、でもご安心ください。もう一度指を鳴らせば、ちゃんと元に戻りますからね」
中島はまだ催眠にかかっていないにもかかわらず、雑なサル顔をして頷いている。
「それでは劇的瞬間をお見逃しなく。3、2、1」
静まり返った会場に指パッチンが響き渡る。
「ウホッ」
打ち合わせの時の恥じらいなどどこへやら、中島は完全に振り切った様子で、手を叩きながらサルの慎吾君に早変わりした。
ポケットから数本のバナナを取り出し、いかにも満足げに食べ出したときには、段取りになかったことだけに山田も思わず吹き出してしまった。
「ええ、先ほど二人はチャペルで永遠の愛を誓ったわけですが、こんな状況でもその気持ちに変わりはないのでしょうか。僭越ながらここで私から質問させていただきます。慎吾君、キミは真美さんとその最愛の息子ヒロ君を、一生幸せにすると誓いますか?」
「ウッキー!」
中島は勢いよく手を上げ、サルらしく宣誓する。
「では真美さん、あなたはこんな慎吾君でも一生添い遂げると誓いますか?」
「誓います」
真美も台本通りに、笑いをこらえながら返事する。
会場は温かい拍手と笑いに包まれ、最高潮の盛り上りを見せた。
しかし事情を知らされていないヒロだけは、母親のドレスをつかんで、しかめっ面をしている。
「ママ、中島さん大丈夫かな? あのまんま戻れなくなったらどうしよう」
そんな言葉を耳にして、山田はシメシメとほくそ笑む。
実はこのベタなお芝居、いつまでも中島のことを『パパ』と呼べないヒロに、そのきっかけを作ってやろうと、大人たちが軽い思いつきで作った台本なのであった。
最初はあまり乗り気ではなかった真美も、結局、男二人の熱意に押し切られる形となった。
流れとしてはこの後、催眠術が解けないと山田が焦り出し、ヒロに助けを求める。
そして少年があるセリフ──ボクのパパになれ──を言うことによって中島はたちまち人間に戻り、「ヒロありがとう。そして初めてパパと呼んでくれたね」とか何とか言って、会場を感動の渦に巻き込むという心温まる展開となるわけだ。
山田はクサい芝居を続けた。
「ああ大変だ。やはり二十年というブランクは長すぎたようです。今、何度も指を鳴らしているのですが、催眠を解くことができません!」
この声に合わせ、中島はもう一本バナナを頬張り、さらに会場を沸かせる。
「こうなったら知る人ぞ知る天才超能力少年の力を借りるしかありません。確かこの辺りにいたはずだが……」山田はわざとらしく双眼鏡を覗くフリをしてから、素っ頓狂な声を上げた。「あ、いたいた。ヒロ君、こっちにおいで」
そう言われて、ヒロはキョトンとする。
「ほら、あのおじさんを助けてあげて」
真美は打ち合わせ通り、わが子を立ち上がらせ、優しく背中を押した。
「ヒロ君、今からサルの慎吾君を見ながら、ある呪文を唱えてくれるかな」
山田はマイクをスタンドから外し、少しかがんでヒロの口元に持っていった。
「呪文?」
「そう、サルを人間に戻す魔法の呪文さ。これはヒロ君みたいに心が綺麗で勇気のある子が言わなきゃ効かないんだ。いいかい?」
山田はそう言うと一旦マイクを切り、ヒロの耳元で例のセリフをささやく。
するとみるみるうちに、あどけない少年の顔がゆがんでいった。
「ボクやだよ。だってパパはお空にいるパパだけだもん」
一瞬にして頭の中が真っ白になる山田。
どうやら真美は産後早々ケンカ別れした元夫について、息子を傷つけたくなかったのか、今日の今日まで適当な嘘をついて誤魔化してきたようだ。
あらぬ方を向いている真美に怒りをぶつけたくもなったが、今はそれどころではない。
「皆さん、ちょっと失礼して作戦会議を……」
山田は顔をひきつらせながら、ステージ裏手に少年を引っぱって行った。
「ヒロ君、呪文にそんな深い意味はないんだ。ちょっと言うだけで〇〇みたいなカッコいいヒーローになれるんだよ」
ヒロが大のヒーロー好きということを前もって聞いていた山田は、今夢中になっている戦隊モノの名を挙げてみた。
「本当? 〇〇レッドみたいになれるかな」
簡単に食いついてきたことで、山田はホッと胸をなでおろす。
「もちろんレッドさ。ブルーじゃないぞ」
「でも……」しかしヒロは顔をそむけ、申し訳なさそうに言う。「ボクやっぱり言えない。だってお空のパパがかわいそうだもん」
こんな状況でなければ、山田も少年の健気さに心を打たれたことだろう。
しかし立場上、何としてもこの場を丸くおさめなければならない。
その使命感が彼の口調をきつくさせた。
「ヒロ君、呪文を言わなきゃ、中島のおじさんは一生人間には戻れないんだぞ」脅迫じみているとは思ったが背に腹は変えられない、山田は少年の眉間にシワが寄るのを確認してから続けた。「それにママはどう思う? キミのワガママのせいで、結婚相手がサルのまんまになったって悲しむんじゃないかな」
しかしながら、6歳の少年は山田の予想をはるかに超えて賢かった。
ここで真っ当なツッコミを入れる。
「でも、サルになったのはおじさんのせいだよ」
この発言に、山田は大人げもなく声を荒らげた。
「き、聞き分けのないこと言うなよ。そんなんじゃ一生レッドになれないぞ!」
意外にもこのセリフが効いたようだ。
ヒロは意を決したように、山田をジッと見つめて言った。
「わかった。ボク呪文言うよ」
「そう来なくっちゃ。それでこそキミは真のヒーローだ」
山田は天にも昇るような気持ちでヒロをステージに押し出した。
「さあ、サルの慎吾君を見ながら、大声で呪文を唱えてごらん!」
これで大団円──となるはずだった。
しかしヒロはなぜか中島ではなく、山田をにらみつけたまま叫んだ。
「中島さんの代わりに、こっちのおじさんがサルになれ!」
次の瞬間、人間の心を持った山田は消え失せた。
新郎の手からもぎ取ったバナナを口いっぱいに頬張ると、山田は目を閉じて恍惚の表情を浮かべた。
その間、女性司会者のキンキン声が鳴り響いていたが、もはや彼にとってそれは何の意味も持たない、ただの雑音でしかなくなっていた。