「わかりましたてつだいます」
「……」
「……」
放課後。
ヴィルヘルムとグズルトは二人で魔法科の教室を訪れ、フローズへ協力を仰いだ。結果として送られたのが、壊滅的なまでの棒読みと感情の一切が伺えない凍り付いた笑みであった。
一目で見れる不調に二人は顔を合わせ、無言で答えを合わせる。
そして改めてフローズの方を向くと、僅かに頬を引きつらせた彼女へヴィルヘルムは告げた。方針の転換と、休養を。
「あー……無理はしなくていいんですよ。フローズ」
「そうそう、少しは自分の都合を優先しても……」
「……う態度が」
「え?」
小さく呟かれる言葉にグズルトが反応すると、フローズは張りつけた仮面を拭い瞳孔を限界まで開く。
普段の物静かな印象から乖離した、激しい感情を言葉に乗せると落涙にも気づかずに声を張り上げた。
「そういう態度が気に食わないんですよッ。
いつもいつもいつもいつもッ。二人で一緒にいて、訓練だのなんだと理由をつけて放課後も一緒にいてッ、それで遂に私を除け者ですか!」
「い、いや除け者って……」
ヴィルヘルムとグズルトが出会ったのは偶然が大半を占め、約束をした上で顔を合わせたのはそれこそ訓練の時に限られる。ましてや意識的にフローズを仲間外れにした覚えなど皆目見当がつかないが、肝心の当事者がそう考えていない以上は意味がない。
教室や廊下の生徒から突き刺さる視線を意識することなく、フローズは決壊した感情に流されるままに白髪を振り乱して言葉の濁流を吐き続ける。
「二人だけにしたら次はどこに行くんですかッ、私を置き去りにしてどこへ行くんですか。置いていかないで下さいよッ、わ、わた、私だってヴィル様が望むなら誰だって殺ッ……!」
「バカバカバカッ。何言ってんですか、このバカはッ!」
覚悟の表現としては適切なのかもしれないが、少女が恥じらいながら口にする内容としては最低の部類に入る。ヴィルヘルムとしても、せめて周りに人がいない状況でもなければトキメキよりも先に動揺が走るというもの。
慌てて口を抑えようと腕を伸ばすも、一度漏れ出た感情の濁流は止まらない。
「何ですか今更ッ、ちょっ、口を……あぅ、じゃなくですね……!」
「グズルトさん、ちょっとコイツを適当な場所にッ」
「え、あ、うん!」
突然話を振られて一瞬理解が及ばなかったグズルト。だが、すぐに意図を把握すると赤毛を揺らしてフローズの腕を引っ張る。
小柄な体躯を覆う青の制服は中身の存在を疑う程に隙間が目立ち、指の間からは大量に布が食み出た。そして、彼女が触れたことで少女は怒髪天を突く怒りを露わにする。
「あぅ……触らないでッ、下さいッ。私の身体はヴィル様のッ、ヴィル様のォッ!」
「もう黙ってろ本当にッ」
騒がしい一団を見つめる生徒の視線が次々と突き刺さるも、彼らに意識を傾けて反応する余裕は一切なかった。
「おい、さっきのはどういうつもりですか。フローズ、フローズ・シルヴェイド……!」
学園の校舎裏。
校舎の背に当たる場所には陽光の温かみも降り注がず、湿気た足元では蟻や百足のような虫が雑草の間を進む。
誰かが水属性の魔法を練習したのかと疑う湿度の中、ヴィルヘルムは努めて平坦な、しかし確かな怒りを込めてフローズを睨みつける。漆黒の瞳に光はなく、ともすれば虚無的でさえある視線は見る者の恐怖を徒に煽った。
だが眼前に立つ白髪の少女は身を震わせこそすれども、頬を僅かに上気させる余裕さえ持ち合わせていた。
「ぅ、だ、だってヴィル様……私だって」
目元に涙を浮かべる少女は移動を経たことで冷静さを取り戻したのか、先程までの濁流の如き勢いは失われていた。
フローズは左右で色身の異なる紫でヴィルヘルムの横に立つ少女、グズルトを視界に収める。細められる瞳に嫉妬の炎を悠然と燃やして。
「私だって……そこの娘よりも、ヴィル様の役に立ちますし……」
「んなことは関係ないんですよ。グズルトさんは貴女を気遣ってたんですよ、それをいきなり喚き散らして……」
相手からの好意を無碍にする振舞いは、ヴィルヘルムとしてもあまり好むものではなかった。仮に興味のない相手からであっても相応の対応を取り、不要であっても感謝の意自体は前提に置くべきだと考えている。
にも関わらず、フローズはグズルトの好意を敵意で返した。
「あぁいう態度は好きじゃないですね」
「あぅ!」
「人の好意を無碍にしては碌なことになりませんし」
「あぅぅ!」
「そもそも人として……」
「うぅぅぅ……」
「ヴィ、ヴィル君。もうそのくらいで……」
淡々と言葉を紡ぐヴィルヘルムを嗜めたのは、フローズに失礼な態度を取られたはずのグズルトだった。
グズルトからすれば、現在こそ攻撃的な眼差しを向けられこそすれども、元々フローズにも訓練を手伝ってもらっていた。故に彼女の過失だとしても、過剰に叱責を受けている場面を目にするのは忍びない。
失礼を働かれた当人に言われたからか、ヴィルヘルムは渋々ながらも一歩引くと両腕を組んで押し黙った。
「フローズさんだって事情はあったんでしょ。なんでなのかは分からないけど……」
「そういういい人感が嫌なんですッ。善人をヴィル様と二人きりにするのが嫌なんです!」
グズルトから気を使われたのを切欠に、再びフローズは狂犬さながらに噛みつく。
ヴィルヘルムが一睨みするだけで一気に萎縮するも、なおも少女は左目を細めて睨みつけることを止めない。
「だから私も手伝います。これは譲れないです」
「いやまぁ、病気とかじゃないのは良かったけど……」
「別に貴女の意見は……!」
「あー、フローズ、あまり無理をすることは……」
「しますよ、無理もッ。二人を一緒にしたらどうなることか……!」
少年からの言葉で一層顔を赤くして反論する様に、グズルトは一つの可能性へと思い至る。意識などしたこともない、思慮の外からの不意打ちに呆けると思考に空白が生まれる。
そして脳内が半ば強制的に情景を想像させ、空白を埋め尽くす内容に顔を赤くした。湧き立つ血潮が外界の気温とは関係なしに体温を持ち上げ、赤毛を自然と震えさせる。
呼応して上下する唇から放たれたのは、本人も予想だにしなかった声音。
「そ、そそそ、そういうのじゃないからッ。ヴィル君のことはそんな気なんてないからッ。ホントにホントにッ!」
「本当ですかッ。訓練にかこつけて仲を深めようなんて目論見じゃないでしょうねッ?!」
「違う違う違う違うッ。だだだだって訓練はフローズさんにも手伝ってもらってるしッ」
「何やってんです、二人とも?」
激しさを増す口論を一歩引いた立場で見つめながら、ヴィルヘルムは一人頭上に疑問符を浮かべていた。
首を傾げる仕草を一つ。
自身の思いがフローズから揺れた瞬間など一瞬たりともないはずだが、相手には届いていなかったのかと痛感した。