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【終章】

 グラズヘイムに雨が降る。

 故人との別れを惜しむように。人々の感情に一つの落とし処を与えるように。

 曇天の空模様同様に落ち込んだ雰囲気の漂うゲイルスコグル魔法学園の体育館には、全校生徒に加えて多数の来賓が訪れていた。

 両者の反応は両極端。

 来賓の方々はわざわざ足を運ぶだけの事はあり、また多少付き合いが浅かろうとも彼が打ち立てた多数の実績は無関係に過ごすことを困難とする程。故に来賓の大部分は涙を流し、中にはハンカチで拭う者も少なくない。

 一方で生徒側の反応は淡白。

 確かに落涙し、咽び泣く者も点在する。が、大部分は直接的関わりの薄い理事長の死に感情を揺さぶることもできず、中には授業が潰れたと内心でほくそ笑む者さえもいる。


「うぅ……理事長……!」

「お前、そんな涙脆いタイプだったの……?」


 咽び泣く側に立った少年、ヴィルヘルムの仕草に横に立つフレンは頬を引きつらせた。

 なまじ前世の葬式関係で人生に大きな影響を及ぼしている彼からすれば、嘘泣きだと思われても涙を流すことに意味を見出していた。が、周囲との温度差は誤算というべきか、級友の表情に自身の失策を内心で自覚した。

 とはいえ、急に泣き止めばそれこそ非難は免れない。故にこそ、ヴィルヘルムは演技の裏で適切な言い訳を思案する。


「この前さ、グズルトさんとフローズを、交えた四人で夕食に行ったんですよ……!」

「そうかよ……悪いな」

「いや、いいさ……」


 声を震わして告げた繋がりに、フレンは理解を示したのか頭を下げる。

 涙を流すには些か薄い繋がりではないかと危惧もあったが、不良然とした容姿の少年は深く追及する類ではないことに救われた。

 尤も視線を魔法科の列へと向けて、大欠伸を浮かべるフローズを一瞥されては印象も大きく乖離するかもしれないが。


「続きまして故人グンタラ・メロヴィング様の娘、グズルト・メロヴィング様による弔辞」


 葬儀は進み、一人の少女がステージに登壇する。

 赤毛のお下げを散髪し、桜の瞳に憂いを宿す少女。眠れない日々が続いているのか、目元には深い隈を刻んでいた。

 生気に乏しい、ともすれば自死を選ぶのではないかと不安を抱かせる印象の少女はしかし、憂いの奥に憎悪の炎を煌々と燃やす。ショートボブに切り揃えた髪も死に装束というよりも、少女との決別という印象を周囲に与えた。

 グズルトは頭を下げ、手元に用意していた紙を広げる。


「私の父、グンタラ・メロヴィングは立派な人でした」


 父の人柄や思い出を娘の視点から語った弔辞の内容は、来賓の涙を誘いすすり泣く声を誘発する。元々表に出ていた要素は立派な上、父親を亡くした娘という立場も相まって同情の気運は一層高まる。


「なんて強い子なのかしら」


 来賓の零した感想が鼓膜を震わす。

 彼らがグズルトへ抱いた感想が、ヴィルヘルムの耳にまで届く。

 否が応にも意識が注がれてしまうからか。次々と内容を脳裏で反芻してしまう。


「涙の一つも流さないで立派なことね」

「気丈に振る舞って。本当は泣きたいだろうに」

「しっかりしているのね、動じる様子もない」


 どこか過去を想起させ、けれども決定的に異なる内容の数々にヴィルヘルムは複雑な心境を抱く。

 来賓が前世の葬儀に訪れた人々とは異なると頭では理解していても、感情が追いつくかとは別問題。葬儀に持ち込まざるべき思考を追い払うため、少年は頭を振る。


「だから」


 不意に、力強い声音が体育館に響く。

 人々の意識が一身に集まり、赤毛の少女は顔を上げる。

 誰かを強く憎み、憎悪の炎を内に宿した瞳が正面を見据えた。別に自身が睨まれた訳でもないにも関わらず、来賓や生徒の何人かが後退る。

 ヴィルヘルムも思う所があったが故か、息を呑んで次の言葉を待ち望んだ。


「私は犯人を許せません。殺したい程に」


 弔辞にはあまりにも不釣り合いなフレーズは、彼女流の宣戦布告にも思える程に殺意を孕む。滲み出す感情が成せる業なのか、ヴィルヘルムには強く印象に残った。




「ヴィル様、良かったのですか?」


 葬儀を終え、今日は休業ということで解散した後。

 渡り廊下の一角で、フローズはヴィルヘルムと顔を合わせた開口一番に問いかけた。少女の呼びかけに振り返った少年の髪は不自然な切り口を描き、左右の長さ以前のアンバランスさを晒す。

 彼女が気にしているのが何なのか、直接口にするまでもなく彼には理解できた。

 故に、ヴィルヘルムは肩を竦めて嘆息を零す。


「実の父親が実はクソ野郎よりも、元々持ってた善人って印象の方が葬式には泣けるでしょう」


 グンタラ・メロヴィングは彼の夜に、リンクネット売買を目論む謎の氷使いによる襲撃に遭い、健闘虚しく殺害された。ということになっている。

 理事長室には魔力の残滓と共に荒らされた痕跡が残り、一部では琥珀の液体が床にぶちまけられていた。また学園内に滞留した魔力残滓も多数の回路を利用するリンクネットの特性を反映した煩雑としたものであり、個人の特定は困難を極める。

 唯一残されているのはグズルトの証言だが、彼女が語る人物像と一致する学生は在籍していない。


「一方で僕は、理由は不明ながらフェーデ数学教諭に襲われて、何とか撃退したところで倒れて、そこを偶然通りがかったフローズに助けられました、と」

「そ、それは……」


 夜風を浴びたいからと消灯時間後に学生寮を抜け出したフローズは、学園周辺で偶然にもヴィルヘルムを発見。そのまま寮へ運んでいた、と調書の際には説明している。

 無論これもヴィルヘルムからの指示であり、結果としてグンタラ殺しの犯人は霧の中。


「事実を明かすのは、グンタラがリンクネットをばら撒くクソ野郎だったと彼女に明かすのと同じ。そんなどうしようもない事実よりも、誰とも知れない悪人を憎んだ方が生きる希望にもなりますよ」


 肩を竦めて冗談交じりに語るヴィルヘルムだが、少なくとも虚言のつもりはない。

 事実として、葬儀の中でグズルトの態度を批判する声はなかった。少年の鼓膜を震わすものは彼女の気丈な振舞いを賞賛するものであり、複雑な心境こそあれども人格を捻じ曲げる暴言が溢れるよりは遥かにマシ。

 しかし、なおも珍しく納得する様子のないフローズはでも、と続けて反論する。


「だったら……せめて面倒な手間をかけずとも、私がヴィル様の制服でも着れば良かったのでは……」


 自身の髪を伸ばさずとも、フローズが散髪でもした上で後ろ姿を晒せばより確実だったと。ヴィルヘルムがわざわざリスクを負う必要は絶無であったと少女は口を開く。

 彼女が警戒しているのが最悪のケース──ヴィルヘルムの逮捕であると理解し、少年は口元を抑える。

 吹き出す笑いを、堪えるために。


「ヴィル様、私は真剣に……!」

「いえいえ、真剣なのは分かるんですが、フフ……いったい、どこの世界に斬り殺しておいて剣が悪いと宣う人がいますかっての、ハハハ……!」

「え、それは……」

「だってフローズは、僕がやれって言ったから殺しただけでしょう……ハハハ、それに君の立場は奴隷で、僕はその主……!」


 そこまで言い、ヴィルヘルムは咳払いを一つすると、声音を幾分か真剣なものにして続ける。

 漆黒の瞳で彼女の焼け爛れた側面を持つ歪な顔を、呆然として次の言葉を待ち侘びる顔を見つめて。


「君の犯した罪は僕のもので、僕の犯した罪は僕のもの。君は役目を果たしただけですよ、フローズ」


 伸ばされた腕は彼女の頭に触れると、白髪を幾度となく撫で回す。

 何度も何度も執拗に、呆然とした表情が徐々に緩やかな曲線を描き、そして心地よさげな顔色を浮かべるまで。


「実に不本意ですけど、君と出会えたことは神様とやらに感謝しなきゃですよ。本当に」

「でしたら私は、ヴィル様の前世を轢いたクルマ……という道具に感謝しますね」


 不謹慎な言い回しに苦笑を浮かべるも、ヴィルヘルムは不思議と悪い気がしなかった。元より自分が感謝を述べた相手も殆んど皮肉の意味が強いのも関係あるのかもしれない。

 グンタラ殺害から葬儀までの間、彼はフローズに対して自分が前世の記憶を所持していることを告白していた。

 それまでの前提を反故にしかけない内容に当人としては拒絶されることも覚悟していたが、意外にもフローズが気にしていたのは二点だけ。

 即ち。

 前世の記憶とやらはいつ思い出したのか。

 そして、前世では恋人はいたのか。

 生まれ落ちた瞬間から記憶を有しており、前世では恋人の一人も作る前に轢殺されたことを告げると、彼女は安堵の溜め息を吐いた。不安が拭えた表情はヴィルヘルムの記憶にはまだ新しい。

 蕩けた顔のフローズは左右で色味の異なる紫の瞳で愛する主を見つめると、口を幾度か開閉させる。

 何か言いたげな態度に少年は待機していると、意を決したように音を紡いだ。


「そ、その……ヴィル様の髪を切らせて下さい……あの時は、丁寧にやる時間もなかったですし……その!」


 顔を朱に染め上げ、羞恥心を露わにした少女の告白に、少年は微笑みを投げかけると首肯で応じた。


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