「何、今の揺れは……?!」
学園を震撼させる衝撃と、それに伴う寒気にグズルトは身体を震わせた。
リンクネットの副作用と思わしき炎症で意識を失ったフェーデを教諭寮へ運び、彼女が知る範囲の事情を説明したグズルト。彼女は最初に会った先生へ一通りの事を話した後、時間が遅いからと学生寮へ帰宅するように促されて帰路につく最中で衝撃に遭遇したのだ。
疑問の言葉を零し、衝撃の源と思しき方角へ桜の視線を向けると、そこには自然からかけ離れた建造物が建設されていた。
「あれ、は……?」
学園の一角を呑み込む氷像はどこか獣の毛並を彷彿とさせ、天へ逆立つ先端は刃と見紛う鋭利さを誇る。
「犬、狼……いや、そんことよりッ」
直感染みた氷像への連想に被りを振って、グズルトは赤毛を揺らして駆け出した。
未だに学園で息を整えているかもしれないヴィルヘルム。彼が氷像に巻き込まれている可能性が否定できず、巻き込まれてないにしても逃走の最中というケースもあり得る。
ましてや、万が一があれば少年に抵抗する手段は乏しい。
魔法が全うに運用できるのであらば、わざわざ放課後の度にフローズを呼び出す必要はないのだから。
「待ってて、ヴィル君……!」
零した言葉に祈りを乗せて、グズルトは来た道を逆走する。
祈った張本人が屋上から覗いていることも気づかず。
やがて氷像との距離が近づき、少女は足音を殺して息を潜める。ヴィルヘルムに抵抗の術はないが、自分ならば対峙できるのかと問われれば、それもまた否なため。
可能ならば隠密。敵に気づかれることなく級友の無事を確認し、場合によっては強引に連れて帰るために。
氷像から漏れた冷気が周囲の気温を奪い、グズルトの身体を著しく冷やす。
気づけば、両手で身体を摩ることが自然な仕草となっていた。極端な気温変動に対応し切れない身体が熱を欲し、グズルトは魔法の行使が出来ぬ自身の身を呪った。
「さっきみたいに魔法が……いやいや」
フェーデへ魔法を放った瞬間を思い出そうとし、慌てて被りを振る。
咄嗟とはいえ他者への攻撃で魔法を行使した事実に、グズルト自身もどう受け止めればいいか混迷していた。
安易に訓練の成果が出たと喜ぶには、些か痛苦が伴い。
何の感情も抱かず受け入れるには、初の魔法は強烈過ぎた。
そうこうしている内にグズルトは現場への距離を近づけ。
「…………え?」
理解の追いつかぬ光景に絶句した。
胸元辺りまでを氷像に呑み込まれ、衣服の心臓付近を滴る鮮血が染め上げる光景。生気を失い、ただ眼前の光景を眼球に捉えるだけの瞳に光はない。血の巡りが停滞して刻一刻と人から肉塊へと変貌していくのは、彼女の現存した肉親のグンタラ・メロヴィング。
震える足取りで距離を詰めるも、現実を直視している様子はなく。ただ呆然とした意識が父親を起こすように促してくる。
「お、お父さん……こんな、ところで寝ると……風邪引くよ?」
紡がれる声音は恐怖と嗚咽に揺らぎ、自然と流れる涙が視界を滲ませる。
一人でに崩れ落ちる膝が彼我の距離を近づけると、腕が伸びた。
時折痙攣したかのように震える指先は、触れてしまえば否応なく最悪を認めざるを得ないとどこかで理解しているかの如く。
脳裏にリフレインするのは、八年前に母親が強盗に殺害された日。
無力な我が身を苛み、魔法を希求した時と何も変わらない。むしろ今際の瞬間を認めることすら叶わなかった分、悪化してさえいる。
「ねぇ、起きてよ……お父さん?」
懇願の声を漏らし、グズルトは父親の顔に手を触れる。
返ってきたのは、周囲の氷像にも負けない冷厳なる冷たさ。
彼女の父親が最早人ではなく、肉の塊へ堕したと証明されたことで限界を迎える。ただでさえ涙を目元に溜めていたグズルトは、堰を切ったように泣き出すと回りに配慮することも忘れて声を荒げる。
「お父さん、起きてよお父さんッ。お願いだからッ、ねぇ、置いていかないでッ。お母さんのところにいかないでよッ。ねぇ!」
激しく揺するも反応はなく、それが一層にグズルトの心中へ空虚な穴を開ける。
虚空に吸い込まれる絶叫は少女の心境を闇夜にも勝る絶望の闇へと落とし、埋まっていたはずの何かを欠落させる。
不意に反応が止まったのは、足跡が鼓膜を揺さぶったがために。
「……」
音の方角を乱れた赤毛の間から睨み、グズルトは虚ろな表情のままに立ち上がる。
足音の先には、幾つかの血痕。
導かれるように、操られるように。少女は朧気な足取りで血が示す道を辿る。
氷像の周囲を巡り、目的の存在はすぐに見つかった。
「お、前……が……」
腰まで伸ばした濡烏の髪を風にたなびかせ、赤の制服も寒気に呼応する。グズルトと同じ支援魔法科の制服を纏っているものの、後ろ姿では該当する人物が思い当たらない。
しかし、誰であろうとも構わない。
右手に握る氷刃の切先が血に濡れていることに比べれば、全ては些事であった。
「お父さんを……」
確信を抱いてグズルトが拳を握り締めると、眼前の誰かは疑問に答えて首を縦に振る。
「お前ェッ!!!」
咆哮し、グズルトは大振りの拳を振り抜かんと迫る。
が、誰かは悠々と跳躍すると、少女に視線を合わせることもなく回避。重力を感じさせない挙動で氷像の毛並に着地すると、頭上で輝く月を見つめる。誰かはそのまま暫しの間、動きを止めて立ち止まった。
グズルトが咄嗟に向けるは掌。翳した先には月を見上げる誰かの姿。憤激のままに唱えるは、怨敵を焼き尽くす炎熱の一撃。
「──焼きつけ燃え尽き焦土を織り成せ。
其は群れ為す炎熱の一団。火炎飛弾──!!!」
感情を剥き出しにした詠唱は、しかして生暖かい熱を放つ程度で殺傷能力は微塵も秘めていない。
「なんで出ないッ。さっきはできたのにッ?!」
半狂乱状態で喚くも、それで何が変わるでもない。グズルトは怒気を剥き出しにした表情で自らの掌を睨みつけ、反対の手で手首を砕かんばかりに握り締める。
誰かは視線を月から尖塔へと移すと、先程と同様に曲芸師さながらの動きで氷の毛並を飛び移っていく。
「待て、逃げるなッ。逃げるなぁッ!!!」
一人残されたグズルトの慟哭を置き去りにして。