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【フローズ・シルヴェイドその3】

「か、は……」


 肺に貯まった空気を吐き出し、ヴィルヘルムは目を覚ます。異常なまでに重い目蓋を何度か瞬かせ、開いた先には薄らと白煙が立ち込める夜闇。

 意識を取り戻すと全身を苛む激痛と鉛を身体に巻きつけたにも等しい倦怠感が襲いかかる。

 瓦礫をベッド代わりにしていたヴィルヘルムは、軋む身体に鞭を打って体勢を起こす。


「な、何が……いったい……?」


 時間にしてどれだけの間、眠っていたのかは分からない。だが、神の呪いを以ってしても完治とはいかず、各所には鮮やかな光が灯っている。それがより深く枯渇した体力を絞り取っていた。

 すると、徐々にだが意識を手放す前の記憶を取り戻していく。

 視界が白に埋め尽くされる寸前の、白髪の少女が氷山に幽閉された男へ跳びかかる瞬間を。


「そう、です……フローズは……?」


 片膝と地面を支えに起き上がり、ヴィルヘルムは周囲を見回す。

 傷がないにも関わらず右手も緑光に包まれている手前、彼女への魔力パスも健在のはず。意識の喪失さえも魔力供給を断つ理由となり得ないのは流石中級魔法といったところだが、魔力枯渇の危機と天秤だと考慮すれば悩みものか。

 肩を大きく上下させて進むと、喧騒は間近へと迫る。

 一つは氷を引き連れた狼の血族。左右に人間を磨り潰すには充分な質量を誇る氷腕を従え、振るう拳に吹雪が追随する。

 一つは多種多様な奇跡を使役する魔の法を統べし者。大振りな氷狼の連撃を紙一重で回避しては肉体に奇跡を着弾させる。


「ッ、フローズ……流石に、魔力が……!」


 ヴィルヘルムの魔力も有限。湯水の如く浪費していては、やがて底を覗かせるのも無理はない。

 背後で呟かれた、ともすれば拳圧で掻き消えかねない声を敏感に感じ取り、フローズは手口を変える。

 主に限界が近いのならば、奴隷としては速やかなる決着を希求する。

 幸いというべきか、フローズには勝負を決める手段に見当がついていた。上級魔法による氷結をも耐えるタフネスを相手に、動きを確実に静止させる手段に。


「何の真似だ?」


 呟くのは敵対者たるグンタラ。

 眼前で文字通りに手腕を振るう少女は、左肩を前にした半身の姿勢を取り追随する得物を取り換えたのだ。

 いとも容易く敵を撲殺する拳を、星々の輝きを一身に受けて光り輝く刃へと。

 狂的なまでの無垢な笑みは幾分か目を細められ、真剣味を増す。逆説的に先程までの戦いは手を抜いていたのかと、グンタラは自己完結した怒気を内に蓄積させるが。

 著しく魔力の偏った右腕は周囲との温度差に冷気を漂わせ、露骨なまでに警戒感を煽る。


「貴方を殺す真似」

「そうか」


 月並みな回答に加えて隠蔽の概念すらないフローズの手口に辟易さえして、グンタラは嘆息を零す。

 氷刃による剣戟は膂力に任せた大振りなどではない、細かな動きによる隙の少ないものを主軸としている。

 だが、根本的に手数が減っていては元も子もない。

 刃先に触れないように魔力を宿した腕を重ねて一閃を妨げ、返す拳や魔法の度にフローズの青白い肌に擦過傷を積み重ねる。それらはヴィルヘルムの行使した魔法によって瞬く間に修復されるが、彼自身の体力を削れるのならば許容範囲。

 戦闘経験の差か、ヴィルヘルムの回復魔法がなければ既に十度は撃破している手応えがあった。


「火炎飛弾──!」

「クッ……!」


 指揮棒の如く振るう腕に乗せ、放たれた炎熱がフローズの身体を直撃して十一度目の手応えを追加。

 度重なる傷に制服も限界を迎えたか、ブレザーが焼け落ちて内のシャツを露わにする。そちらも損耗が激しく、翌日の登校には用いれない程に。


「ハァッ!」


 短いかけ声と共に空を切る横一文字の刃を躱し、掬い上げる右腕に呼応して隆起した地面で頭を狙う。

 滑るように回避されるも、次の一手などたかが知れている。

 即ち、溜めた右腕を放つかなおも左腕で時間を稼ぐか。

 左方向から迫るフローズを凝視し、回路をより琥珀に輝かせた。引き出す魔力は彼の常を遥かに凌駕し、主神の槍を放った時にも匹敵する。

 上級魔法の詠唱を行う余裕こそないが、同等の魔力を他の魔法に注げば相応の威力となろう。


「感覚は掴めた。そろそろ仕舞いとしようか」


 翳した掌に炎熱が渦巻く。恒星の輝きを再現し、神の御業を地上に下ろし、その果てに眼前の氷狼を焼き尽くさんと。

 確実に着弾させるべく、敢えて接近を許す。

 少女も応じ、彼我の距離は急速に縮んでいく。元より右腕に魔力を偏らせている以上、左は魔法ではなく特異体質としての魔力操作。吹雪を使役する程のものではない。

 故に彼女には選択肢がない。

 やがてフローズは地を踏み締め、身体を滑空させる。

 グンタラも翳す掌に神経を研ぎ澄まし。


「回れ、フローズッ!」

「?」


 突然割り込んできた声に準じて少女は中空で身を捻り、身体を回す。

 結果、グンタラへ迫ったのは氷刃でも奥の手でもなく、闇夜の中でも目を引く白髪。彼女自身の意図ではないから直接的脅威はなく、目潰しが精一杯。

 くだらんと一笑に付し、悠々と長髪の間合いから逃れるべく身を引かせる。


「ッ、小細工を!」


 髪を裂き、漆黒より投擲されたナイフが迫る。

 とはいえあくまで単発。軽く手を振るうだけで迎撃は叶う。暗黒物質製の刀身は横合いから振るわれた単純無比な暴力によって二つに砕かれ、急速に勢いを無くす。

 そしてグンタラは視線を正面に戻そうとし。


「何ッ?」


 白髪の端が、眼球に触れて思わず目を瞑る。

 あり得ない。髪の間合いは正確に把握し、間違いなく回避し得る距離を確保していたはず。不意の乱入者ならばいざ知らず、既に何度も近距離で矛を交えた少女への目算がここにきて狂うなどあり得ない。

 それこそ、目を離した一瞬の間に髪が伸びたのでもない限り。


「──噛み砕け、咬み砕け、神砕け。

 葬滅の顎がこそ、世界を貪る」


 少女が言祝ぐは、魔法の変型。

 展開している法則を更に捻じ曲げ、新たな形へ作り変える所業。

 見応見真似で限界まで圧縮され、表面には霜すら積もらせた右腕が開放される。振るう度に吹雪を起こす氷腕、次いで二つを形成する程の魔力がたったの一撃に集約される。

 刮目せよ、これより放たれるは空前にして絶後。

 世界を喰らう魔狼の再現たる一撃。

 奴隷と主という歪な二人の連携が成し遂げた、世界の一片を氷結し得る終わりの顎なり。


「氷極に囚われし魔狼の爪牙よ・ヴァナルガント・テュールズグレイプ──!!!」


 振るわれる腕を起点に顕現せしめたのは、学園を喰らってなお足りぬ氷狼の顎。

 それがたった一人の男を噛み砕かんと追い迫る。恒星の輝きなど、天を埋め尽くす狼の前では篝火にも劣る。

 決着と呼ぶべき一撃は、学園ごとグンタラの肉体を呑み込んだ。

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