「驚いたな。君の方から始末するとは」
凡そ感情の籠っていない空虚な言葉を吐き、グンタラは掌の渦巻く水流をヴィルヘルムへと向ける。だが、肝心の少年は注がれた殺気など意にも介さず、大仰に肩を竦めてわざとらしく嘆息するのみ。
「分かってないですね。いやはや、本当に何も分かってない」
「何?」
「それは決着じゃなくて第二ラウンドのゴングってことですよ」
理解不能なヴィルヘルムの言葉に思考を割かれ、フローズへの警戒が疎かになる。
その隙を突くかの如く浮上した爪が男の肉体へと迫り、先程までとは異なる大幅な、回避のための回避をグンタラは余儀なくされた。
氷山によって遮られた視界を利用し、グンタラは両手を向ける。
直後、周囲に形成されるは渦巻く炎熱の集団。
一つや二つでは収まらず、三つ四つと後に続く。
「──焼きつけ燃え尽き焦土を織り成せ。
其は群れ為す炎熱の一団。火炎飛弾──!」
詠唱の後、殺到するは計六つの連弾。一発一発が先と何ら変わることのない出力と密度を誇る、あり得ざる太陽の共存。
莫大な熱量は周囲を瞬時に乾燥させ、氷山から水蒸気すらも奪い去って消滅させる。
隠れ蓑を穿った先には、制服の一部を血に染めたフローズ・シルヴェイド。
しかし、肝心の傷口自体は跡形もなく消滅し、さながら狐に化かされたように無傷。青白い肌を晒す腹部もまた、生娘のそれと相違ない。
「
世界の理を乱したカラクリよりも先決すべきは、眼前にまで迫った少女の迎撃。
右手を開き、グンタラは五指に神経を研ぎ澄ます。
瞬間、フローズを囲う五つの水流が渦巻き、それぞれが別個の地点から少女の速度に合わせて射線を微調整する。
「──逆巻き、穿て、貫き、抉れ。
水流の怒涛、水流閃牙──!」
詠唱の後、続く刃は五閃。
遠方から放たれたそれぞれが時間差でフローズへと直撃、肉体を貫き風穴から血を噴き出させる。
全うな人間ならば、動くこともままならない激痛の嵐に苛まれ勢いを保って倒れ伏す。そのために水流の内二つは両足を狙うように調整したのだから。
しかしてフローズの顔に痛苦の色はない。
「何?」
「ハァッ」
裂帛の気迫を放ち、振るう氷腕が怒涛の氷山を引き連れ、グンタラへと殺到。食い止めたと錯覚した男は反応が遅れ、後方へと飛び退くことを余儀なくされる。
合間に視界へ跳び込むは、穿ったはずの傷を修復する緑光。
音を立てて修復される様は時の巻き戻しすらも連想させ、しかして太古に失われた魔法の再現などあり得ない。
ならばと背後へ視線を注げば、一つの予想が的中する。
「なるほど、君が回復させているのか。シルヴィヴァレト君ッ」
「流石は理事長、視野が広い……!」
挑発混じりの言葉を吐くヴィルへルムの右腕は伸ばされ、前線で身体を張る少女へ向けられた掌が淡い光に包まれている。
断片に過ぎる情報だが、かつて頂点を目指して競い合った経験値が一つの仮定を組み立てる。
「先のナイフを通じて魔力のパスを形成。そこ経由で回復魔法を注いでいるといった所か、なッ!」
言葉の裏で暴虐の限りを尽くし、世界を閉ざさんと氷山を形成する吹雪を次々と回避するグンタラ。
一方で先程まで苛立ちすら乗せていたはずの少女の視線には、場違いな感情が計上されていた。肉食動物が獲物を目前にして頬を吊り上げた獰猛な笑みとも異なる、より人間的な感情から来る、故に一層場違いな様相を加速させるもの。
理解できないのではなく、理解を拒むためにグンタラは
「水流閃牙──!」
「うおっと!」
空を裂き、星を裂き、世界のあり方を裂く水流の一閃は背後に立つヴィルヘルムこそ体勢を崩すに留まる。
が、猪突気味に突撃していたフローズの肉体は逆袈裟に切り裂かれ、宙を舞う半身の切れ目からは視界を埋め尽くさん程の血が流れる。
だが、だが。だがしかし。
「フフ……!」
無邪気に純粋に、悪意の一片も覗かせない純真な笑みを零して、フローズは右腕を伸ばす。
「ッ……グッ!」
背筋の凍る感触に足を取られ、一瞬後退の判断が遅れた。
死に体を通り越して数刻と持たぬ肉体が前のめりになれば、頭を掴める程に。
頭部へ食い込む指の痛苦でグンタラは僅かに表情を歪めるも、程なく握力も失われると先決すべきヴィルヘルムを視界へ捉える。
「──神聖なるもの、聖域へ拝謁せしものよ」
鼓膜を震わす詠唱は、支援魔法科で習得するもの。だが、一般に習うのは二年に就学してからの話であり、入学して一月にも満たぬ生徒へ教える訳がない。
グンタラの予想を裏切り、少年は額に脂汗を浮かべながらも笑みを絶やさない。
「不浄の穢れをこそぎ落とし、偽りなき姿を晒せ。
虚飾を許さず、故に大罪より外れて個を示せ。
御身のあり方をこそ、主は渇望す。
故に奇跡は成り、少年の行使した魔法はナイフを通じた魔力のパスによってフローズの身体にまで流出し、分たれた肉体を繋ぐべく筋線維が波を打つ。
筋線維同士が、あるいは筋線維と傷口が、互いを求めて蠢動する。
生理的嫌悪すら催す光景を経て、フローズの肉体は切断という最悪など最初からなかったと言わんばかりに万全を取り戻す。最後の証明とも言えた傷口を覆う鮮やかな光も消え失せれば、残るは少女のより深まった笑顔のみ。
「もっと、もっと……もっと流させて……!」
穢れた血を、肉を、奴隷なんぞの身体を切り刻み、空白に好きな人の一部を注ぎ込め。中身を吐き出さねば器から漏れ出るというのなら、余さず吐き出してみせよう。
その果てにこそ、少しは側に入れるモノが成り立つのだから。
「そして死ね……!」
繋がった下半身の感覚を噛み締める踏み込みが、地を割り弓のように引き絞られた左腕へ力を供給する。
そして、一閃。
瀑布の衝撃が屋上に轟き、床を貫き階下にまで破壊を伝播させる氷山が遅れてグンタラを呑み込む。横一文字に抉られた爪傷ごと氷の監獄へと幽閉され、周囲には凍結した血飛沫が点在してある種の芸術性すらも与えている。
一秒、二秒。
抵抗の身動ぎ一つすらないことを確認すると、フローズは歓喜に身震いして両腕で自らを抱き締める。
漏れ出る呼気に熱を乗せ、上気した頬は初恋を自覚した生娘の如く。
「終わりましたか、フローズ……」
負傷を前提とした特攻の修復で魔力の消耗が激しかったのか、背後から投げられたヴィルヘルムの声に覇気はない。
しかして、今ならまだフローズの鼓膜は敏感に主の声を聞き届ける。
それこそ数秒声をかけるのが遅れていれば極度の高揚に伴う変性意識状態へと陥り、数刻は時間を無為に溶かす必要が生まれただろう。
「ヴィル様ッ!」
瞬時に振り返り、喜色満面に応じるとフローズはヴィルヘルムの下へと駆け寄る。
「──主よ、神域に座したる最高神よ」
目を離したからこそ、少女は気づかない。
「己が威光を、全能たる瞳の権能を解き放ち、蒙昧なる信徒へ救済の道を」
勝利を確信したが故に、少年は視線を注がない。
「汝が眷族の踏み締めたる大地を穂先へ示し、常勝の解を提示なされよ」
紡がれる祝詞に。
氷獄へ囚われてなお、戦意を滾らせる男の存在に。
「さすれば我ら神族、汝へ永劫なる隷属を誓い、世界樹へ首を括る覚悟を見せよう」
詠唱も半ばに差し当たり、大気に稲光が走る。
ひりつく感覚を鋭敏に感じ取ったヴィルヘルムが違和感を覚え、次いでフローズも体温とは異なる熱の高まりに振り返る。
上級魔法特有の魔力漏れにより、氷山が音を立てて崩れ落ちる。内から外から微細な雷鳴が鼓膜を震わす度に氷塊が落下し、地面に触れて崩壊する。
「光を、光を、常勝を定められし光をここに」
「まだ抵抗を……!」
なおも身体を削り、ヴィルヘルムの手で修復されることが叶う歓喜。
ヴィルヘルムと向き合う瞬間を台無しにされた憤激。
相反する感情を綯い交ぜにして、フローズは氷腕を振り被ってグンタラへと急速接近。
振るわれる一撃が吹雪を伴い、氷山を打ち砕く寸前。
「偽りの光砕く槍の名を、
世界が、白に包まれた。