ゲイルスコグル魔法学園を一望可能な尖塔の一角が派手な音を立てて弾け飛び、粉塵を引き連れて二つの流星が滑空する。
縺れ合い鍔競り合い落下する二つが向かう先は、学園の屋上。
「クッ……!」
タッチの差で先に着地した男、学園の理事長であるグンタラ・メロヴィングは交差させた両腕を振るい、もう一つを払い除けると右手中指に装着していた指輪を掴む。
既に琥珀の改良型リンクネットによって全身に魔力が満ち足りこそすれども、それのみに頼って勝てる相手ではない。僅か一度の接触で理解したグンタラの右腕は、並外れた冷気で服の繊維が崩れて肌と琥珀の幾何学模様が剥き出しとなっていた。
「クハハハッ、身体慣らしが上級魔法の使い手とは悪くないな。シルヴェイド君!」
一方、空中に投げ出される形となった少女、フローズ・シルヴェイドは仰け反った姿勢のまま、純然たる殺意を込めた眼差しを男へと注ぐ。
相手の歓喜など知ったことではない。敬愛すべき、愛を確かめた主に勝利を望まれたのだから渇望するは勝利ただ一つ。
故に、口から吐き出されるのは名を呼ばれた不快感。
「その名を呼ぶな、下郎ッ!」
無造作に力任せに、猫科の動物を連想させる柔軟な体躯を以って全身で振るう氷腕の一撃は破滅的なまでの冷気と氷山を伴い、生物には絶死の空間を形成する。
一端とはいえ世界を凍らせる冷気を前に、グンタラは避けるでもなく足を止めると、半身の姿勢で右手を突き出した。
落下する視界の中、フローズが敵手の一手を掴み損ねていると。
「
予備動作なしの無詠唱魔法が、太陽を連想させる灼熱が氷山を貫き瞬時に無力化。瞬く間に超高音を伝播させて水蒸気へと変換する。
行使された魔法そのものはヅヨイが使役したものと同一。
だが、かたや上級魔法の予備動作にすら傷一つつけられず、かたや上級魔法の一撃を霧散させるなど出力が出鱈目なまでに乖離している。
氷腕で床を擦って着地の勢いを殺すと即座に地面を蹴り抜き、悲鳴を上げる床を他所にフローズは突貫を仕掛けた。リンクネットの作用か、無法な魔力出力は遠距離での撃ち合い削り合いという選択肢を少女から消し去っていた。
「死ね、死ね死ね死ねェッ!」
神話の時代に於いて、神とは力である。
たとえば水、たとえば地震、たとえば雷。
元来人の手に余る超常を落とし込む器として生まれたのが神という概念であり、故に魔法の行使とは神座の一端へと触れるに等しい。
なれば、今まさに世界を原初の氷河へ落とさんと吹雪を巻き起こす化身は神の御使いと呼ぶに相応しく、振るわれる権能もまた人の手よりかけ離れる。
一撃ごとに屋上へ氷像を形成するフローズの拳は、しかして一発たりともグンタラの肉体を掠めることはない。尽くを射程範囲から僅かに離れた場所で見切られ、余裕の表情を晒し続けている。
「技が大振り過ぎる。力任せの大振りでは予選突破もままならんぞ」
「なッ……!」
身を滑らせ、フローズの懐へと跳び込んだ男は、愛でる仕草で掌を腹部へと添える。
何の脅威を感じることもない自然な、まるで日常の一コマをくり抜いた挙動にフローズは背筋に凄まじいまでの悪寒を走らせ、第六感が最大限の警鐘を鳴らす。
咄嗟に無理矢理身を捩って掌を避けようと試みる。
が。
「
焼きつくような太陽の輝きを回路が見せた直後、海そのものを圧縮したかの如き刃がフローズの腹部を掠める。制服を容易く切り裂き、抉り取られた肉片が宙を舞う。
「ガッ……こ、の!」
奥歯を噛み締め、直撃を回避したフローズは乱暴に反撃の爪を振るう。
人間の肉体など紙障子も同然に引き裂く狼の氷爪。正面から受け止めて無事で済む訳がなく、人の原形を留めるだけで賞賛に値する。
しかしグンタラは掌に水流を押し留めると、力強く爪へとぶつけた。
「な、にッ……!」
「力頼り才能頼り、そういったものを磨くこともまた学園の目的……今の私のようになッ」
「あ、あぁぁぁぁッ!!!」
ぶつけ合い、一方的に打ち砕けぬなどあってはならず、振るわれたからには破滅が必須。
人生でも初の経験にフローズは動揺し、なおも暴力的に正面からの突破を目論む。内心で吹き荒れる混乱から目を背けるために。
あり得てはならない、可能性すらも微塵と砕くべき眼前の光景を打ち壊すために。
地を一層踏み抜き、振り抜けぬ左へ更なる膂力を加える。が、グンタラは涼しい顔をして右手を翳したまま微動だにしない。
「そうやって正面突破に固執する」
グンタラが手首をスナップさせると、注いでいた力が逸れてフローズの体勢が前のめりに崩れる。
一瞬生まれた思考の空白へ、挟み込まれるはグンタラの膝。
「がッ……!」
顔面を撃ち抜く膝蹴りが少女の身体を浮かせ、折れた鼻と元々弱かった火傷痕から血を噴出させる。
更に足を素早く地へつけると、右足を軸にして身体を捻り、後ろ回し蹴りで追撃。
背後から迫る踵はフローズの首へ断頭台よろしく振り下ろされ、切断にこそ至らないまでも強烈な打撲痕を残して床へ叩きつける。
屋上を震撼させる揺れが収まると、グンタラはフローズを見下ろす。
未だ氷腕は維持されており、即ち意識を保ってこそいる。なれば起き上がれないのは肉体の問題か。
「他愛無い」
グンタラは掌を翳すと、何を言うでもなく一人でに水流が渦巻き開放の時を待ち侘びる。
介錯とばかりに照準を頭部に定めたグンタラの視界へ、割り込むは鮮やかな光を帯びた漆黒の刀身。背中に突き刺さるナイフは制服を貫通して少女の肉体から血を幾らか噴出させた。
全くの無感動を維持し、心底冷たい怜悧な眼光を注いだ先には濡烏の髪を持つ少年が立っていた。