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【リンクネットその9】

 ゲイルスコグル魔法学園の敷地内に、校内を一望可能な高度を誇る五階建ての尖塔が建設されている。塔内には過去の受験などに於ける資料や生徒の個人情報、図書館に設置できない閲覧制限のかかった書籍が蓄積されており、普段から足を運ぶ者は多くない。


「……」


 例外の内一人、学園の現理事長であるグンタラ・メロヴィングは眼鏡の奥から凡そ感情の籠っていない冷淡な眼差しで学園を見下ろす。

 二階の窓から燈の輝きが闇夜を照らし、中には熱波によって破損した硝子も多い。が、責任者にも関わらず彼の関心は著しく低い。精々が本日の警備担当であるフェーデの派手な活動に辟易している程度で、愛すべき学園が一角といえども崩壊している光景には何ら意味を見出さない。


「あの男も随分と面倒なことを」


 簡易自動人形のみで起き得る規模から乖離した破壊現象に、証拠隠滅は不可能と判断するのは容易くかった。彼からの事情説明次第だが、侵入者の迎撃に当たった結果とするのが自然であろうか。

 頭を悩ます話題に被りを振ると、グンタラは反対側にある棚へと歩みを進めた。

 塔の五階に位置する理事長室には華々しい功績を讃える賞状やトロフィーが列挙され、棚や壁面を圧迫している。

 一見すると学園が積み重ねた歴史の重み、偉業の数々が放つ威圧感に圧倒される。が、一度違和感を抱けば最早逃げ出すことは叶わない。

 銘に刻まれ、功績を讃えられる名が一様に統一されている。

 まるで偉業を成したのは彼一人であり、その他の誇るべき奇跡の具現など現世に存在しないとばかりに皆無。歴代の理事長を描いた肖像画や学園の歴史、更には集団の名すらも皆目見当がつかず、ただ一人を賞賛する空間としてのみ理事長室は形成されていた。

 グンタラは棚の一角、図書館建設を記念した賞状の額縁を取り外す。

 冷気を足元に零しながら姿を表したのは、部屋をくり抜いて増設した小さな冷却室と幾つかの液体を内包した試験管。琥珀に輝く液体を見つめ、白髪を蓄えた男は恍惚に頬を緩ませた。


「ようやっとこれだけか……ここまで本当に長かった」


 内に秘めた歓喜を凝縮した言葉を噛み締め、グンタラは目を瞑る。

 遠い昔に過ぎ去った過去を追想するべく。


「それが改良品のリンクネットって所、ですか?」

「ッ、誰だ?」


 無粋かつ無遠慮な指摘が割り込み、グンタラは声の方角へ振り返る。

 理事長室の扉から姿を見せたのは、赤の制服に身を包んだ少年。左右で長さの異なる濡烏の髪を持ち、漆黒の瞳は昨日の料理店で見せた年相応のものからは大きく乖離していた。

 懐疑と嘲笑の色を多分に含んだ眼差しを注ぐ少年へ、グンタラは咳払いすると穏やかな声を向けた。


「こんな時間にどうしたんだい、シルヴィヴァレト君。これは持病の薬だよ、最近腰が痛くてね」


 時計は既に深夜を回っている。

 学生寮の帰宅時間を大幅に超過しており、理事長として咎める意図で言葉を紡ぐ。無論、薬品の正体を誤魔化して。

 しかし少年は口を開かず、部屋主の主張など知らぬ存ぜぬと歩みを進める。

 変化が訪れたのは、近づく様にグンタラが俄かに視線を細めた時。


「四人で夕食を頂いた日、貴方はリンクネットの名をそれとなく口にしました。魔法科のフローズならばともかく、支援魔法科の二人ならば求めるのが分かっているにも関わらず。

 他所の国じゃ禁止薬物に指定されているのに、ね」

「……いったい何がいいたいのかな。シルヴィヴァレト君?」


 意図が読めない、と大袈裟に肩を竦めるグンタラに対して、ヴィルヘルムは口端を僅かに吊り上げる。歪で醜悪に、悪意を覗かせる喉の音を添えて。


「おいおいおいおい、人格者で売ってる人間が禁止薬物の使用を仄めかす生徒を放置しちゃ駄目でしょうよ。

 理事長がやらかしを放置する理由なんて、売る側の人間だから、以外にありますか?

 後は聞き取りの中で他の生徒に宣伝しても良し、与してるフェーデにまで通じても良し。どっちにしろ貴方には得しかない」

「随分と妄想逞しいな。何故理事長という立場についている私が、そのような危険に手を出さねばならない?」


 彼個人が地位を向上させるのに、わざわざ禁止薬物の売買などという形で危険を犯す必要はなく、地道に功績を積み上げていけば済む話。

 過去に上げてきた実績は部屋の壁面や棚を埋め尽くす賞状やトロフィーの山が雄弁に物語っていた。これからも以前同様に同じことを繰り返していけば、危険な橋を渡るまでもなくグンタラの名は国内外を超えて広がっていく。

 一方でヴィルヘルムは待ってましたと言わんばかりに両腕を広げると、芝居がかった様子で身を回す。


「単なる地位よりも大事なことがあるでしょうッ。たとえば友愛、たとえば親愛……たとえば溺愛。

 母親を亡くし、力を希求するグズルトへのプレゼントとして安全に配慮したリンクネットが必要だったッ。違いますか?」

「……」


 次はグンタラが表情を無くす番であった。

 凡そ無貌と呼ぶに相応しき、感情の削げ落ちた表情でヴィルヘルムを見つめる。ただ視界に収め、滑稽な道化が自己陶酔に突き動かされるままに動く様を目撃する。

 彼の抱く感情など知らず、その表情など眼中にないとばかりに少年は形なき杖を振るう。


「実の所、貴方には少し親近感を抱いてもいるんですよ。目的のためならば他者が被る損害など知らぬとばかりに突き進む様に。

 ですから。もしも改良品のリンクネットを譲っていただけるのでしたら、僕も貴方に危害を加えないと約束しましょう。当然、これを取り扱っていることを公言する気はありませんし、何なら誰かに試作品を紹介するのも……!」

「はぁ……」


 嘆息を零し、グンタラは冷却室から琥珀の薬品を一本取り出す。

 親指でキャップを外し、鋭利な針を露わにすると間髪入れずに首筋へ突き刺す。親指でシリンダーを押すと内容液が体内へと注入されていき、途端に全身へ力が滾った。

 身体に蓄積した熱を吐き出すと空になった注射器を投げ捨て、乾いた破砕音が響き渡る。


「あんな馬鹿娘にこれをやれるか」

「……は?」


 ヴィルヘルムが上機嫌な表情のまま静止した直後。

 鉄塊の如く握り締められた拳が鳩尾へと突き刺さる。骨の数本がへし折れた感触が伝わり、内臓にまで浸透する衝撃が数秒遅れで少年の表情を歪めさせる。

 大きく仰け反った身体が弾け飛び、血反吐を撒き散らして後方へと滑空。背後の壁に衝突すると、壁面に蜘蛛の巣を刻みつけてめり込んだ。

 赤黒い液体を垂れ流すヴィルヘルムの他所に、グンタラは指を鳴らしてゆっくりと距離を詰めた。


「この力だ。邪魔な万象を尽く踏み潰すに足る力こそが本当に欲していた、くだらん事故に巻き込まれるまで有していた力だ。

 所詮理事長の地位も他国の情報を自然と知るための手段に過ぎんさ。グラズヘイムよりも発展した自動人形の技術が他所の国にあるようにな」


 言い、裏拳でヴィルヘルムの顎を穿つと、並外れた膂力で身体を強制的に側転させる。

 床に転がる彼の姿へ足を突き立て、背を踏みつけた。枯れ木を砕くにも似た快音が足から伝わり、グンタラは俄かに表情を歪ませる。


「ガッ、ぎ、ぃ……!」

「そうして得たのがリンクネットの知識だ。尤も、他所の国では開発が中止してるから、独自に研究する羽目にはなったがね。

 そして基礎理論を構築した八年前に文句を言ってきたのが、あの馬鹿娘の馬鹿な母親のリトだ。ただ図書館の知識を求めて結婚しただけだというのに、何を勘違いしたのか邪魔をしてきたのだ。

 だから殺した」


 忌々しげに呟く名は、八年の時を超えても恨みが微塵も衰えていないことを意味し、自然と込められる力にヴィルヘルムは肺を圧迫される。

 鮮やかな光で破壊を上回る速度で回復するものの、痛苦は欠片も軽減されず。

 苦悶で表情を顰めつつ、少年は口を開く。


「前言、撤回といきま……しょうか。貴方と、僕は、違う……!」

「何を当たり前の……!」


 言い切る前に肌へ突き刺さる強烈な、鮮烈なまでの殺気にグンタラは咄嗟に両腕を交差させる。

 琥珀に輝く幾何学模様が照らし出したのは、氷腕を左右に従えた少女が振り被った腕で殴りかかる瞬間。跳びかかる姿勢から上乗せされた勢いが、老獪一人粉微塵に粉砕せんとばかりに渾身の力を振り絞る。


「僕は、大事な人を切り捨てるほどに落ちぶれてはいないッ……!」

「汚らわしい足を離せ、下郎がッ!」

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