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【リンクネットその7】

 ヴィルヘルムの短慮を咎めるように。

 愚策への憤りをぶつけるように。

 乱舞する破砕音が硝子の奥より鳴り響く。埋没しているはずのものが起き上がり、騒乱を引き連れて嵐を統べる。

 告げられる詠唱の意味を理解するよりも早く、少年の身体は風に巻き取られて宙へと浮かび自由を封じられた。素直に捕まえられるものかと手足を振って抵抗を試みるも、視点がブレるばかりで意味はない。


「座学で習わなかったかい。魔力とは純粋な力の集合体、精密にコントロールすることであらゆる障害を払い除ける、と」


 巻き上がる瓦礫を纏うかの如く、フェーデは姿を表す。

 服の端々に破れや解れこそ伺えるが、守る優先順序が低いからこその負傷で意味するものは凡そ無傷。シャンデリア一つを犠牲にしたとは思えぬ傷に、少年は歯軋りを鳴らした。

 それすらも律儀に回復させるため、一瞬ヴィルヘルムは虚脱感に言葉を乱す。


「まだ入学、数週間です……からね……!」

「そうかい。残念」


 無感情に呟き、杖が翻る。

 直後、視界が明滅する速度で地面へと叩きつけられ、ヴィルヘルムは理解が及ばずただ激痛のままに吐血。遅れて額から流れる朱が視界を滲ませたことで状況を理解した。

 なおも吹きつける暴風が身体を引きずり、制服の金具が火花を散らす。


「こ、のッ……!」


 懐から取り出したナイフをタイルへと突き刺すも、けたたましい音と共に轍を刻みつけるばかり。一向に勢いが収まる気配はない。

 何か状況を打破する術はないかと左右に視線を揺らすと、跳び込んできたのは一つの人影。

 暴風に飛ばされまいと柱にしがみつく赤い制服の少女。赤いお下げが風に舞って痛いほどに舞い踊る様は、天を目指して飛び立つ竜の姿を彷彿とさせた。


「グズルト、さんッ……!」

「何ッ」


 叫んだ名に動揺したのか。誤差程度の僅かにだが、魔法の精度が揺らぎ暴風の勢いが収まる。

 暴風の隙間を突き、ヴィルヘルムは身体を起こすと突き立てたナイフを支えに蹴り込み、初速を得たことで瞬時に駆け抜ける。柱に近づく程に風の勢いが収まったのも好都合であった。

 状況の理解が及ばず、身を丸めるグズルトに対してヴィルヘルムは素早く首に手を回し、盾にするように背後へ進む。懐から取り出したナイフを首筋へ当てることも忘れない。


「コイツがどうなってもいいんですか、先生ッ?」

「しまッ……!」


 さしものフェーデも理事長の娘を巻き込むことは本位ではないか、風が収束して足元に先程までの軟体が出現する。


「ヴィ、ヴィル君……!」

「合わせて下さい、ヤバいんです」


 突然生命の危機に瀕したグズルトが暴れるよりも早く、少年は耳元で囁く。

 実際問題、ナイフで首を切り裂いたとしても即座に回復するため意味はないのだが、現状でその事実を知るのはヴィルヘルム当人のみ。故にフェーデは無遠慮に魔法を振るうことも少年のみに照準を定めることも叶わず、杖を握る手を憤激で揺らすに留まる。

 グズルトを巻き込むことを良しとしないのは先の発言からも明白。実際、彼女がリンクネットを求めていた可能性には言及することもなく、少年にのみ刃を向けていた。

 即ち、彼女の人質には間違いなく価値がある。


「さぁ、どうします。彼女ごと魔法で吹き飛ばしますか?」

「そんな、ことが……!」

「でしたら、杖を捨てて貰いましょうか。それが制御の鍵でしょうし」


 ヴィルヘルムからの要求に反論することなく、フェーデは眼前へと杖を落とす。呼応するように軟体は途端に体積を減らしていき、瓦礫の中へと吸い込まれていった。

 しかし相手は歴戦、名門学園の教諭である以上、交渉時の立ち回りも仕込まれているはず。


「じゃあ、次は杖を蹴ってこっちへ飛ばして下さい。手品でも使って拾われたら堪ったものじゃありませんし」

「クッ……!」


 己が魂にも等しい杖を蹴ることに抵抗があるのか、身体を憤激に揺らすばかりで実行に移す気配はない。もしくはグズルトを傷つけるはずがないと甘く見られているのか。


「どうしました。まさか、この娘の命が杖なんぞよりも軽い、なんてことはないですよね?」

「ヒッ……!」


 頬をナイフの腹で叩くと、グズルトは引きつった声を上げて身を捩った。

 彼女はヴィルヘルムが凶行に及ぶことはないと信頼しているだろうが、それはそれとして漆黒の刀身には恐怖を覚える。

 少女の怯えた顔色が決定打となったか、フェーデは慌てて杖を蹴り上げた。

 放物線を描く杖は綺麗にヴィルヘルムの下へと飛来し、少年は口端を歪める。中空に浮かぶ杖を掴むべく右手を伸ばし──


「それが慢心というものだ」

「ガッ、ぎぃ……あぁぁッ!!!」


 鎌鼬の乱舞が背後から右腕を呑み込み、ヴィルヘルムは血飛沫を上げる自らの身体に絶叫した。不意の一撃に喉を張り上げ、枯れるのではないかとグズルトに不安視させるのも厭わずに痛苦を外部へ放出する。

 当然、迫るフェーデへの対処に思考を回す余地などありはしない。


「回路のオンオフはあくまで概念であり」


 顔面へ振り抜かれた掌打でグズルトへの拘束を外し。


「しなければならないという制約ではない」


 浮ついた上体へ追撃の一撃。


「故に見えやすい条件を崩したとしても油断せず」


 衝撃で前へ突出した頭部へ回し蹴りを叩き込み。


「死角への意識を怠ってはならない」


 生々しい音を立て、ヴィルヘルムの肉体はタイルを砕き崩壊させる。

 酩酊感すら覚える連携に、少年は胃の中身を僅かに吐露する。胃酸によって原形を無くした吐瀉物はグロテスクな様相を晒すが、全身に倦怠感も漂う状況では不快もまた身体を動かす口実となる。

 各所に回復と魔力消費に伴う疲労が襲いかかり、鉛の如く重くなった身体を起こすとフェーデは杖を握り締めている最中であった。


「ヴィ、ヴィル君……」

「随分とタフだ。回復魔法にしても連打が過ぎる」

「温いですね、先生。もっと全力の魔法でも使わないと陽が明けますよ……!」


 ナイフを構える姿勢にこそ怠さが滲み出ている。が、痛打を何度も受けながら立ち上がり、なおも戦意を滾らせる姿は脅威と認識するに易い。

 故にフェーデは回路を最大限に駆動させ、魔力を急速に充填する。

 迸る回路の輝きは恒星の煌めきに匹敵し、闇と淡い焔に包まれている学園内に光をもたらす。意味するものは星の失墜であり、だからこそ一年如きには抵抗する術のない余波が巻き起こる。

 純粋魔力による密度を以って瓦礫が粉砕される中、ヴィルヘルムは無造作にナイフを投擲。


「ふっ、今更そんなもの……」


 フェーデの言は正鵠を得ている。

 周囲に破壊を撒き散らす今の彼に届く魔法など、同等の上級魔法しか存在せず。魔力を通さぬ暗黒物質も当たり処に意識すれば済む話。

 空いた左腕を盾にしてナイフを受け止めると、フェーデは奔流する魔力に形を与えるべく詠唱を唱える。

 はずであった。


「ガッ……!」


 突如として内部を駆け抜けた焼けつく激痛に集中力が乱れ、フェーデは身体を痙攣させる。

 一瞬ナイフの刀身に毒が塗布されていたかと疑うも、にしても回りが早過ぎる。見開かれた両目が左腕に突き刺さったナイフを見つめ、そこで彼は違和感を覚えた。

 鮮やかな緑の輝きが表面を覆っている。魔力を通さぬはずの暗黒物質が、魔力を纏っている。


「どういう、ことだ……?」

「回路の酷使が炎症の原因、でしたよね?」


 理解の及ばないフェーデへ教授するように、自慢気にヴィルヘルムは教鞭を振るう。


「細胞の活性化を促せば、当然魔力の流れも加速する。そして全力で回路を使用している最中で更に加速されば……結果はもう先生なら明らかですよね?」

「あり得ないッ」


 片膝をついて全身から汗を垂れ流しにするフェーデは、なおも強情なまでに声を張り上げる。

 既に魔法の維持も出来ず、軟体は完全に霧散していたが男は敗走の原因を認める様子はない。素直にリンクネットの悪影響と口にすれば精神の糸も断ち切れるのかもしれないが、側にグズルトがいる状況ではそれも憚られた。

 ヴィルヘルムの内心など知らぬと、フェーデは現実逃避にも似た言葉の羅列を繰り返す。紫の恒星が如き輝きが赤黒い淀んだ血潮の煌めきに変化してなお、男は現実を拒絶する。


「私が、私の分は……改良品だと、問題は……取り除いたと……!」

「問題を、ね。たとえば都合のいい事実だけを見るとかです?」

「黙、れッ……!」


 血走った眼は濡烏の髪を有した少年だけを凝視し、炎症による激痛を主張する肉体を凌駕した。

 即ち、状態を起こして不格好な姿勢での突撃を許す。


「貴様さえ、貴様だけはァッ!」


 涎と涙を撒き散らし、滴る汗が回路の光に乱反射する。

 杖も手放し、最早焼けつく回路から無理矢理魔力を引き出すだけの強引な供給。破れかけのホースに最大まで捻った水流を通すにも等しい無茶は、発熱に蒸発する水気からしても数秒と持つ気配はない。

 だが、僅か数秒が稼げれば充分。魔力で後押しされた指圧を以って首なり心臓なりを抉って命を刈り取るには事足りる。


「ハッ、まだ足掻くんですかッ」


 ヴィルヘルムは鼻で息を鳴らしつつ、迎撃の構えを取った。が、反撃を度外視して初動に全振りした前傾姿勢は彼の反応を僅かに上回り、伸ばされた右手は数瞬と経たずに首を撫でる。

 その刹那。


「其は群れ為す炎熱の一団ッ。火炎飛弾フレアヴァレト──!」


 横合いから迫る炎熱の一射が、フェーデの伸ばされた腕を弾いた。

 貫通することもなく、火傷も服への焦げすら見当たらない様は魔法の行使が成功したとは思えず、多少距離を取れば自発的に霧散するのではないかとさえ感じさせる。

 出力を絞る螺旋回転すら描かない、弱火以下の火をぶつける程度の威力。しかし、名門学園の教諭が死力を振り絞った最後の抵抗を振り払うには充分な性能を発揮した。

 火を放った赤毛の少女を睨む男であったが、意識が削がれた隙に振るわれるナイフが首筋を切り裂く。

 傷口こそ瞬時に淡い光に包まれるが、更なる活性化が一層回路を酷使する。


「がッ……グン、タ……貴さッ……!」


 力尽きて前のめりに倒れる寸前、呟かれた名は最後まで意味を成すことはない。


「グンタ……お父さん……?」



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