「紫の発光……なるほど、貴方もリンクネットを……!」
薙がれる杖の一閃に追随し、炎熱を纏った軟体は身体を伸ばす。
蛸の触手よろしく振るわれる一撃を、ヴィルヘルムは身を屈めることで回避。頭上で響き渡る破滅的な破壊の乱舞は窓枠ごと窓を粉砕、熔解させる音か。
曲げた膝を発条の如く跳ねさせて距離を取りつつ、左に握るナイフを投擲。
素直な軌道を描いた刃はフェーデの杖に阻まれるが、迎撃の隙にヴィルヘルムは踵を返して逃亡の択を選ぶ。
「彼我の戦力差を見極め、撤退の選択を選ぶ冷静な思考は評価に値します。ですが……」
フェーデが杖を振ると、軟体は身を縮めて肉体を圧縮させた。
密度が増したことで炎熱が一層激しさを上昇させ、周囲の残り火を寒いとすら思わせる高温を形成。小刻みに揺れて限界だと、早く開放させてくれと嘆願する様を目にすることもなく、数学教諭は努めて冷静に言葉を綴る。
殊更ゆっくりと持ち上げられた杖が示す先はヴィルヘルムの背面。そして手首をスナップさせるのが、軟体にとって福音にも似た歓喜の瞬間であった。
「足止めが温い」
大気を震撼させる衝撃は残り火を薙ぎ払い、軌道周辺の窓を手当たり次第に粉砕する。螺旋回転を描く焔の線は残火のみを以って教室内の紙類を残さず炎上させ、当然の如く射線上にいた少年の右肩を射抜く。
「がッ……!」
全身が炭化したと錯覚する程の灼熱がヴィルヘルムの右肩から迸り、血煙と炎上の香りが鼻腔を激しく刺激する。
更に驚愕することに、廊下の端では背後にいたはずの軟体が周囲を炎上させながら待機していた。
縦横無尽、無造作に振るわれる触手を躱し、転げ落ちるようにヴィルヘルムは階段へと跳び込む。全身を殴りつける打撲の感覚も、灼熱の激痛と比較すれば無傷同然。
背中から踊り場へぶつかる衝撃に空気を吐き出すと、舌打ちを零しながら起き上がった。
「怪我も回復するのは、実証済みなんですよ。こっちは……!」
フェーデの指示が無ければ行動も制限されるのか、炎熱を纏った軟体が追撃に赴く気配はない。
階段を下るヴィルヘルムは、乱暴に頭を掻きながら頭に叩き込んだ自動人形の警備ルートを思い出す。周辺への警戒をしているようには見えないフェーデのやり口は、既に自動人形にも何らかの形で伝わっているはず。
「生徒、発見」
一階に下ると同時、進路を妨害するように割り込んできた自動人形が水晶のセンサーをヴィルヘルムに合わせた。
ちょうど良く鉢合わせたことに内心でほくそ笑みつつ、ヴィルヘルムは咄嗟に助けを求める。
「すみません、助けてくださいッ。今追われてるんですッ!」
「救援要請。事情説明、要きゅ……」
「──装いを変えよ。
黄衣の鱗、
自動人形が設定された動作に則って音を発する数秒すらも許さず、ヴィルヘルムの側を駆け抜けた稲光が自動人形を貫く。
一瞬にして内部機器をショートさせた人形は不定期に身体を揺らす以外の一切が失われ、関節などの隙間から黒煙を噴出させた。罅割れ、光を閉ざした水晶を見るまでもなく状態は明白。
背筋に悍ましいまでの悪寒が走ったヴィルヘルムは左に転がり、直後に白刃めいた閃光が逆袈裟に自動人形を切り裂く。一撃ごとに鳴り響く馬鹿馬鹿しいまでの轟音は心臓を激しく脈打たせ、自然と少年の手を胸元へと伸ばさせた。
崩れ落ちる人形の背後には、先程までの炎熱ではなく雷電を身に纏った軟体魔法の姿。
「属性が、変わってる……?」
「この魔法群はな。一度起動させてしまえば後から魔力を注ぐことで維持、属性の変化が可能なんだよ。ま、ガワの魔力を使い切ってから差し替えるのが本来の用途なんだけどな」
蘊蓄を垂れながら悠然と階段を下るフェーデ。背後では脱ぎ棄てられた炎熱の魔力が学園の一角を火の海に染め上げていた。
「おいおいおい……ここまで派手にやったら、警備担当の貴方も危ないんじゃないですか?」
「子供が大人の心配をする必要はないよ。それに、君はすぐに停学だって言ったろ?」
無造作に杖が振るわれ、同調した軟体は横薙ぎに雷鳴を轟かせる。
ヴィルヘルムは半ば反射でしゃがむことで髪数本を犠牲に一撃を回避し、腕を振る反動で反転。迎撃で突き出される刺突に対しては漆黒のナイフを二本手放すことで身代わりにして側面をすり抜けた。
余波で身体が痺れる感触こそあるものの、雷に纏わりつかれては全てが終わる。
目指すのは広大な面積を誇るエントランスホール。一階から四階まで吹き抜けの解放感に豪奢なシャンデリアが眼下を照らす、貴族の本家と言われても納得できる広大な場所。
足元のステンドグラスを彷彿とさせる彩りのタイルを夜目で確認すると、ヴィルヘルムは転身してフェーデの到来を待ち構えた。
「おやおや、鬼ごっこはもう終わりかい。ようやく諦めてくれたか」
万が一にも逃げられてはならない立場にも関わらず、男の足取りには余裕が伺えた。背後では軟体が身を回すことで後を追っている。
正対する二人の視線が火花を散らすも、彼我の戦力差は明白。投げナイフを幾ら投擲しようにもフェーデの前では無意味であり、更に言えば不傷の呪いが足を引っ張り命中した所で意味がない。
故にヴィルヘルムは視線を上向きにしつつ、男の杖にも注視する。
「浮気性の男は嫌われますよ、先生。やっぱり一途ですよ、一途」
腰を低く落として力なく両腕を垂らす前傾姿勢は突撃を予感させ、フェーデも背後に控える軟体を前面に押し出して迎撃の姿勢を取る。
「浮気? 何のことだい?」
「たとえば気が多くて色んな人に薬を売り捌いたり……男を追う背後に珍生物侍らせたりですよ!」
左腕を振り上げ、鮮やかな緑を纏ったナイフを投擲。
寸分違わず喉元へと迫る刃は乗せられた魔力を燃料に十数メートルの間合いを数秒と経たずに詰め、視認性の劣悪さも相まって突如暗闇から出現したようにすら錯覚させる。
しかし男は歴戦、伊達に名門魔法学園の教師を務めていない。
羽虫を払うにも等しい雑多な一振りで打ち落とすと、次なる一手へ意識を注視させる。
が、いつまで経っても二の矢が放たれることはなく、少年が無謀な突貫を仕掛ける様子もない。
不意に、硝子の擦れる不快な音が頭上から鳴り、男は視線を上げる。
「な……!」
そして、驚愕に目を見開いた。
豪奢なシャンデリアが、直立を考慮していない硝子製の刃を大量に取りつけた凶器が音を立てて落下している。人を五人は一気に巻き込める面積と四階分の重力加速を乗せ、たった一人の男性を踏み潰さんと迫っていた。
フェーダの側からでは見えないものの、本来落下を防止するはずの鎖は残らず鋭利な刃物で両断され、断面を晒していた。
「この……!」
瞬時に杖を振るい、迎撃の構えを取った直後に男の肉体は硝子の中に消えていった。
鳴り響く竹を割った破砕音は静寂に包まれた学園中に響き渡り、火事の始末に当たっていなければ簡易自動人形は総出を上げて赴いていたことだろう。
「ハハハ……ザマァみろ」
乾いた笑みを覗かせ、ヴィルヘルムは落下したシャンデリアを、正確にはその下敷きとなったフェーデを睨む。
然る後に呪いによる強制回復が始まる。即死級の怪我への回復は初めてだが、おそらく相当な疲労を伴うだろう。歩けるかどうかも定かではない。
「その前にさっさと姿を眩ませて……」
「──装いを変えよ。
緑衣の鱗、