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【リンクネットその5】

 夜の帳が下り、グラズヘイムにも闇が訪れる。

 暗色の天幕の先には神が座し、人々の営みを眺めるために開けた穴が星々の正体と呼ばれていた過去も存在する。電気文明が幾分か発展しているグラズヘイム内ではロマンある昔話程度に受け入れられている旧説だが、黒白の色彩はかつての人々が見出したものの一端を垣間見せた。

 ゲイルスコグル魔法学園にも闇と星々の幕が下ろされ、朝や昼の喧騒が嘘のように静寂が辺りを支配する。


「ねぇ、これ不味いんじゃないかな……?」


 学園の一角。施錠し忘れた教室の教壇に収まる形でグズルトは潜伏していた。廊下と教室を隔てる壁の真下、窓からちょうど死角になる場所ではヴィルヘルムが腕組みして隠れている。

 赤毛の少女から告げられた疑問に、少年は髪を掻き上げて応じる。


「学園内の警備は簡易自動人形オートマタが担当してます。キチンと閉めていれば、鍵がかかっているはずの教室に侵入することはありませんよ」

「そうじゃなくて……いや、それはそうなのかもだけど……」


 余裕の表情を浮かべるヴィルヘルムとは対照的に、グズルトの顔色は暗い。

 理事長の一人娘として育てられた彼女にとって、学園のルールを破ることは心中に突き刺さる痛苦と共に強い抵抗を覚えていた。

 一方の少年は多少の横紙破り程度慣れたものと、意にも介していない。


「冷静に考えれば当然なんですが、公に流通していない以上は生徒間の口々でも碌に情報が集まりません。でも入手している生徒はいる。

 つまりは、こういった普段は入り込まない場所で取引をする誰かがいる」


 フレンから耳にした事実は、彼女に伝えていない。

 リンクネットが危険な薬物で法律でも禁止されていると知れば、グズルトが二の足を踏むのは火を見るよりも明らか。そうなっては仮に入手できても、安全確認のために摂取する者がいなくなる。

 少女には訓練を手伝ってもらった恩に報いてもらわなければならないのだから。


「ひとまず、そろそろ自動人形が通りますし、その後辺りから捜索を開始しましょう」

「……」


 声を出すのが偲ばれたのか、グズルトは首肯で応じると窓の先に人型の影が映ったことで慌てて顔を隠す。

 歯車が駆動し、関節の軋む音が暗闇の中で存在を主張する。人間から皮膚と髪を剥ぎ取り、最低限見た目を取り繕っただけの人形が浮かび上がった。

 凡そ感情の存在しない無貌に張りつけた水晶が頭部を覆うレールに沿って稼働し、周囲に不審な人物がいないか探索する。

 費用削減の意も兼ねた簡易自動人形は予め定められたルートを準拠し、本来施錠が成されている教室を確認することはない。もしも不審な反応を検知すれば前提は覆るものの、幸いにもヴィルヘルム達に気づくことはなかった。


「行きましたね」


 息を殺したヴィルヘルムが窓から顔を覗かせ、先へと進む自動人形の背を見送った。

 やがて階段を進んで姿を隠した段階で扉を引き、二人は廊下へと躍り出る。

 明確な目的地のない散策は風に身を任せて揺れる木の葉のように安定せず、自動人形から姿を隠す遊びのようにも思えた。


「全然見つかりませんね……!」


 遅々として進まぬ探索に何度目とも言えぬ歯軋りをするヴィルヘルム。付き添うグズルトも普段ならベッドの上か翌日の授業に向けた予習を行っている時分、大きな桜の瞳を平時よりも閉じた目蓋が覆い隠そうとしていた。

 集中力の途切れつつある二人は、不意に投げかけられる光に足を止める。


「何を、やっているんだい……?」

「フェーデ……先生……?」


 杖の先端に炎を灯して二人を照らしたのは、厚い胸盤や筋骨隆々な体躯を茶のサスペンダーで無理矢理絞った男性。彫りの深い顔立ちも相まって体育や実技の担当と誤解されがちだが、一年のヴィルヘルム達には専ら数学教諭として認識されている。

 自動人形のみならず先生も警備に回っていることに内心で動揺するも、表に出すことなく少年は咄嗟に思考を巡らせた。


「君らは確か支援魔法科の生徒か。こんな時間まで学園に残って何をやっていたんだい?」

「ヴィ、ヴィル君……」


 詰問するフェーデに、グズルトは今にも泣き出しそうな顔色で少年を見つめた。教諭に見えない死角から裾を引っ張る様は、さながら親戚の怖い叔父を前にした子供か。


「あー、あ、あぁ……そうですねー、ちょっとアレ……そうそう教科書を忘れてしまって。それでちょっと探してたんですよ」

「支援魔法科の一年が、三階にかい?」

「三かッ……あぁ、だから見つからないのですか。すみません、暗くて今何階にいるのか把握できなくて……」


 言い訳にしても少々苦しいか。階を間違える理屈として最底辺なのは自覚もあったが、他に学園へ潜入した理由付けが浮かばない。

 現にフェーデも訝しげな表情で二人を睥睨し、疑いの眼差しを注ぐ。

 が、それよりも優先すべきものがあるのか。目元を柔和なものにするとフェーデは口を開いた。


「教科書ってのは、二人とも忘れたのかい?」

「いえいえ、それは僕だけです。お恥ずかしい話ですが、ちょっと暗い場所には嫌な思い出がありまして……それで偶然空いてたグズルトさんにもご同行願ったところです」

「だったら俺が教室まで同行しよう。メロヴィング君は今すぐ寮へ帰りなさい」


 グズルトは反論しようと口を開きかけるも、嘘を突き慣れてない身分にはさしもの教諭を誤魔化す口実は浮かばない。

 項垂れて頭を下げると、小声ではい、とだけ告げて赤毛の少女は踵を返す。

 階段を下ったのを確認すると、ヴィルヘルムは表面的な笑みを形成して数学教諭と向き合った。


「では、行きましょうか。先生」

「その前に、君にも話があるんだ。シルヴィヴァレト君」

「……」


 肯定も否定もせず、ヴィルヘルムはただ笑顔を張りつける。


「リンクネットを探しているというのは、本当かい?」

「この前、友人が使ってから調子がいいと聞きまして」


 無知を装い、いざという時には軽い興味で好奇心が湧いただけの無鉄砲な若者と誤魔化せる言動を意識する。

 ヴィルヘルムの肯定に、フェーデは杖の先端をやおら地面へと向ける。

 不審な動きに警戒心を跳ね上げた刹那。


「──五光をここに」

「ッ……!」


 急速な魔力の凝縮を感じ、ヴィルヘルムは咄嗟にフェーデから距離を取った。同時に懐から漆黒のナイフを取り出すと両手に構え、臨戦態勢を整える。

 とはいえ、相手は魔法学園の教諭。素人の付け焼刃がハンデを抱えた状況で切り崩せるとは思えない。


「何のつもりでしょうか、フェーデ先生……?」

「輪転せよ、順動せよ、逆巻き織り成し奇跡をここに。

 炎熱を以って水流を制し、風害が成した土塊へ雷鳴を」


 告げられる言の葉に応じ、杖の先にスライムの如き軟体が出現する。

 最初は水の塊と思えたが、にしては蠢く仕草に高い粘度を感じさせた。詠唱が進むにつれて体積を膨張させ、フェーデの膝下付近にまで高まると横に細長く広がり、獲物を喰らう蛇を彷彿とさせる。


「君が悪いんだよ、シルヴィヴァレト君」

「な……?」

「君がメロヴィング君を巻き込もうとするから」


 詠唱ではない会話が割り込み、ヴィルヘルムの関心が軟体から杖を握るフェーデ自身へと揺らぐ。

 その間隙を突くように、杖が跳ねた。


「是人の手に落ちし奇跡の残骸成り、炎極蜥蜴サラマンダー──」


 軟体は指揮に従い跳躍。伸ばされた肉体に炎熱の衣を纏い、獲物たる少年を呑み込まんと迫った。

 不意の一撃に反応が遅れ、ヴィルヘルムは手に握るナイフで払う。

 投擲用の投げナイフと言えども、刀身には暗黒物質ダークマタを採用している。並の魔法ならば一刀の下に切り伏せ、効力を霧散させる。

 はずであった。


「グッ、あっつっっっ!」


 右腕を呑み込む灼熱の激痛に顔を顰め、少年は乱される思考のままに声を張り上げた。

 咄嗟に魔力を右腕へと注ぎ、力任せに軟体から引き抜く。粘度の関係か、制服や皮膚の破れる生理的嫌悪を催す音が鼓膜や骨を通じて聴覚を刺激するが、纏わりつくものを剥ぎ取ることが先決。

 間合いを取って右腕へ視線を落とせば、肘から先が焼け爛れた皮膚や剥き出しの筋線維で見るも無残な様相を呈していた。指を高熱の液体が沸騰した血液か、もしくは液状化した皮膚なのかの分別もつかない。

 直後、鮮やかな緑光が腕を覆い倦怠感と引き換えに急速な回復をもたらす。


「はぁ……はぁ……随分と、生徒に酷い真似を、しますね……!」


 息を切らし、額に幾つもの脂汗を浮かべてヴィルヘルムは犯人を睨みつける。仮にも教え子が激痛に喘いだにも関わらず、フェーデは眉の一つも動かしていないが。

 教諭は杖を握る右腕を持ち上げ、一切の感情を覗かせぬ声音で呟く。

 サスペンダーの奥から紫の幾何学模様を浮かべながら。


「君は今日で停学だ。病用でね」

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