ゲイルスコグル魔法学園付属図書館。
グラズヘイム内でも五つの指に数えられるゲイルスコグルが誇る図書館であり、首都オーディーン内という立地の都合もあって一般にも開放されている施設の一つ。
三階建ての建造物に国や大陸から?き集めた万を越す書籍を収納した絶後の規模は、魔法使の質向上に多大な貢献を示している。
元々は一階建ての特筆することのない施設だった付属図書館に転機が訪れたのは一五年前、現理事長であるグンタラ・メロヴィングの就任。
魔法使の質向上に役立つと、図書館の大規模改修及び費用の一部を私財から捻出してでも本を収集する姿勢は国内外で高く評価され、二年の工事期間を経た開館初日には演説を行ってもいる。
「おぉ、凄い本が多いですね……!」
出入口付近からでも一瞥できる本の山、蓄積した知識の宝庫にヴィルヘルム・ロ・シルヴィヴァレトは漆黒の瞳を爛々と輝かせる。
ヅヨイとの騒動も一段落し、彼の謝罪を以って決着とした翌日の放課後。既に陽光が色味を変えている時間に、彼は図書館を訪れていた。
漆塗りの大黒柱から放射状に広がる本棚は等間隔で配置されており、途中の案内板や棚に振られた数字を適切に扱えばお目当ての本の有無を比較的容易に確認できる。柱にはとぐろを巻く蛇よろしく階段が設置され、二階以降へ向かう際にも利用する作りとなっていた。
日光による本の日焼け対策に頭上から照明の光が柔らかく降り注ぎ、中心部の柱からやや離れた地点にあるカウンターなど、利便性や保存状態を強く意識した造形は素人目に見ても一級品の仕事に思えた。
感心もそこそこにヴィルヘルムは案内板の前へ足を運ぶと、目的のベクトルに程近い歴史のカテゴリで括られた区画を目指す。
「色々な本がありますね……とはいえ、まずはこれとこれと、これ……も借りときますか」
無闇矢鱈と借りまくるのも気が引け、ひとまず三冊の本を選択するとテーブルの設置された区画を目指す。
そこでは生徒数人が向き合って勉強をするか、もしくは一般客が腰を据えてページを捲っていた。
ヴィルヘルムは入口に近い側のテーブルに腰を下し、本の内二冊を置く。そして残った一冊を掴むとページを捲り始めた。
「百年前には長男の回路拡張のため、弟妹の回路を移植する外法も存在した……ね。身体に組み込んでも呪いは適応しそうな気もしますね」
現代学に於ける回路の拡張論、と銘打たれた本には有史以来行われてきた回路の拡張法が年代ごとに記載されていた。だがその多くは要約すれば地位の高い存在が低い存在から一方的に奪い取る、といった方向で共通している。
とてもではないが、現代のヴィルヘルムに適応できるものではない。
別のアプローチはないかとページを捲るも、彼の期待に答える代物は存在しなかった。
「ま、いきなりお目当てのものがあるとは思ってませんが」
不傷の呪いをかけたのが神と思われる超越存在である以上、人間の手で解呪できると楽観してはいない。故に幼少期から父親が解呪の方向で奔放する裏で、回路の拡張などの別の手段を模索していた。
結果は今も絶賛呪いが継続中という要素が答えであろう。
ヴィルヘルムは手にしていた本を閉じると、机に置いていた別の本を掴む。
「隣、いい?」
「ん?」
不意に声をかけられ、振り返ってみればそこには赤髪が特徴的な少女が多数の本を抱えて立っていた。桜の目は大きく開かれ、内には見上げたヴィルヘルムが反射する。
昨日のヅヨイとの一件では然したる興味も抱かなかった。状況も重なり、級友へ向ける表情をしてもいなかっただろう。
が、注視すれば頬には幾らかそばかすが散り、浮かべている朗らかな笑みも相まって柔らかな印象を受ける。
続けてヴィルヘルムは周囲の机を見回すが、既に幾つかのグループが席を占拠していた。
「どうぞ。ここは僕しか座ってないので」
「ありがと」
許諾の意も込め、椅子を引くとグズルトは会釈してから腰を下す。
手に持つ本を見る手前、ヴィルヘルムは横目で表紙へと目を向けた。
彼女が黙読していたのはサルでも分かる魔法の初歩、と目を引く原色で描かれた文字列。付随するデフォルメされた動物達を見るに、低学年を主な購買層と定めた代物と推測できた。
名門学園に入学できた生徒が目を通すものでは、断じてない。
『グズルト・メロヴィング、ねぇ……あー、あの落第点を親父のコネで揉み消してもらったって噂の』
脳裏に蘇ったのは、ヅヨイが侮蔑の意味で口にした言葉。
眼前で起きている事実を見れば、確かに誤解が生まれても仕方ない状況であった。
「もしくは彼女の知らない場所で手が回ってた、か」
「ん、何か言った?」
「独り言です。お気になさらず」
ヴィルヘルムが大袈裟に肩を竦めてみせると、互いに深入りすることなく手に持つ本へと意識を没入させた。
暫しの間は少年も何の問題にも見舞われず、埋没した意識で文字情報を摂取していた。大した利益に繋がらない徒労の二文字が相応しい結果だが、膨大な本を収納した図書館の性質を思えば一冊意味のない本があるというのも重要か。
何せ芝浦として暮らしてきた国には、塵も積もれば山となるという格言もあるのだから。
「うーん……分からん」
故に問題があるとすれば、外部からの情報。
再度横目で覗けば、頭を捻るグズルトの姿が映り込んだ。
低学年の内容に頭を悩ませる高校生の構図は名門学園付属の図書館という売り文句から著しく乖離し、周囲の生徒達が見せる様子ともかけ離れている。
側頭部を掻き、真剣な眼差しを注ぐ姿は他の生徒と比しても遜色ないものが伺えた。が、そこに伴うべき結果が追随しなければ何もしていないのと代わりなく、むしろ惰眠を貪る方が有益でさえもある。
嘆息を一つ零し、ヴィルヘルムは視線を横に座る少女へと向けた。
「どうしましたよ、グズルトさん。さっきから唸って」
「いきなりどうしたの、シルヴィヴァレト君」
「ヴィルでいいですよ、家名は長いですし……さっきから唸ってばかりで全然進んでるように見えないですし、心配になっただけです」
「ハハッ、それはごめん。ちょっと分かんないとこがあってさ」
どこです、と顔を近づければ、ヴィルヘルムの前に跳び込んできたのは明確に子供を対象に据えた文章。語りかけるような羅列は、一周回って読みづらい印象を彼に与えた。
グズルトが指で示した部分を口にしてみて、意味を咀嚼する。
「何々……魔法の行使には脳内での鮮明なイメージが必要であり、イメージを深めるために詠唱は存在する……これのどこが?」
内容は初歩の初歩。
高校生が利用する前提の書籍ならば前置きで触れる程度、本筋で扱う程のものではない。この部分で躓いているならば、確かに彼女が的当て試験に苦労するのも伺える。
眼前の少年がどう思っているのかも知らず、グズルトはあけすけに口を開く。
「そのイメージってのがわからないんだ。
たとえば炎属性の魔法を扱うとして、炎をぶつけるイメージなら私もしてるつもりなんだけど、全然上手くいかない。詠唱もしっかりしてるのに、だよ?」
「……なんで、そんなレベルでこの学園に?」
愕然とするヴィルヘルムへ、グズルトは努めて明るい調子で声を弾ませる。
「だって、私のお父さんは学園の理事長なんだよ。娘である私に魔法が使えない、なんて大問題でしょ。ま、支援魔法科の時点で問題は起きてるけどね……」
力なく笑う様は強がりのつもりであろうか。心配させまいとする振舞いなのかもしれないが、ヴィルヘルムからすれば交友の浅い他者に何ら感情を揺さぶられることはない。
故に感情面よりも打算的な側面を脳内で浮かべ、一つの提案を述べた。
「曲がりなりにも貴女には恩があります。放課後に練習するとかいうなら、手伝いますよ?」
「ホントッ? ありがとッ、練習しようにもどうすればいいかも分かんないから助かるッ!」
「ちょっ、おい、もう少し静かに……!」
提案に立ち上がり、満面の笑みでヴィルヘルムの手を掴んだグズルトの騒音を注意するも、舞い上がった彼女に効果は薄い。周囲の突き刺さる鋭利な視線もまた、無痛であるかの如く少女は振る舞った。
「ヴィル君は私の恩人だよ!」
結果、司書に騒音を注意されるまでの間、興奮したグズルトによる賞賛の声は続いた。