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【ゲイルスコグル魔法学園その5】

「ヴィル様ー!」


 喜色満面。先程までの怜悧な印象とは一転した態度に、少年は彼女の背に犬の尻尾を垣間見た。

 メトロノームよろしく激しく揺れ動く、犬の尻尾を。


「勝ちましたッ。私の、ヴィル様の勝ちです!」

「あぁ、ありがとうございます。本当に凄いですね、フローズは」


 背を離すと、ヴィルヘルムは率直な感想を漏らす。

 複数属性の魔法を操るという想定外があったにも関わらずの瞬殺に、目立った負傷も髪を切られた程度。

 負傷しても自らの呪いを利用すれば回復させられるだろう。程度には心配していた彼からすれば、無傷と呼んで差し支えない状態は嬉しい誤算といえた。

 ヴィルヘルムが賛辞としての拍手を送ると、気恥ずかしさにフローズは頬を赤めらせる。


「あ、あんなのは造作もないです……動きも、いつかの盗賊に比べれば鈍かったですし」

「……そりゃ、仮にも護衛もついてる輸送馬車を襲ってたのと比べたらですね」

「魔法にも殺意、みたいなものを感じませんでしたし、逆に何を怖がればって感じです」


 フローズからすれば、渦巻く炎熱の弾丸や線を薙ぐ水流なぞよりも盗賊の振るう大斧の方が遥かに恐怖を煽られ、心臓を鷲掴みにされた。

 それもヴィルヘルムの背中から血が噴き出した瞬間に比べれば、世界の崩壊とすら思えた衝撃に比べれば何の価値もありはしない。むしろ彼を傷つけた得物を向けられた事実が、彼女の恐怖を殊更に煽っていた。

 小首を傾げる少女はさも可愛げを見せつけ、疑問であるかのように口を開く。


「えぇえぇ、うん……ヴィル様が死んだと思った時に比べたら、あんなのはただの気持ちです」


 身体が熱く火照り、全身に力が滾る感覚。

 脳内を埋め尽くす聞き覚えのない言葉の羅列。

 当初は理解し得なかった。単なる湧き立つ激情の結果としか認識しなかったそれが、彼女にとっての回路の目覚め。

 強烈な経験故に血が回路のオンオフと連動してしまった弊害はある。それでも、魔力の行使とそれに伴う魔法の使役を天秤にかければ、容易く後者へと傾く。


「と、そういえばですね」


 ふと思い出したことがあると、ヴィルヘルムはフローズとの距離を詰める。

 唐突に距離を詰められ、気恥ずかしさから紫の瞳を思わず逸らすと少年は右手を掴む。


「え、あ、ぁう……ま、待って下さいッ。ヴィル様、まだここ心の準備がッ……!」

「なんでこんな妙な方法を」


 言葉を乱すフローズの混乱を他所に、ヴィルヘルムはポケットからナイフを取り出し、切先で薬指を薄く撫でた。

 撫でた側から血が膨れ上がるが、即座に鮮やかな緑の輝きに包まれて傷口が修復。更に彼女自身が噛んだ痕も急速に回復していく。

 一部始終を眺めていたフローズは頭上に疑問符を浮かべるも、眼前の少年はさも自然なことであるように漆黒の瞳で少女を見つめるばかり。


「血を出すにしても、もっと指の腹とか噛みやすい場所はあったでしょうに。何故わざわざ薬指を……?」

「あー、はい。うん、そうですねー」


 平坦な、凡そ感情の欠落した調子で反応を示す少女を他所に、ヴィルヘルムは違和感を覚えることもなく背後へと回る。


「次は髪を伸ばしましょうか。せっかくだからイメチェンするっていうなら、無理強いはしませんが」

「そうですねー。はいはい」

「不貞腐れてます?」


 どこか適当に思える返事への問いを待たず、ヴィルヘルムは漆黒の刀身で髪端を散髪。

 一瞬白髪が風に流れるもすぐに元の場所へ帰還するどころか、緑光が更に毛量を増やす。

 切ったのにむしろ伸びるという理解を拒む情景にも、刃物の持ち主は慣れた手つきで対応。細かく先を散髪することで伸びる量を調整し、数分と経たずにフローズの髪は焼き切られる前と同じ状態になっていた。


「どうです。違和感とかありますか?」

「全然ですね。ありがとうございます、ヴィル様」

「お気になさらず」


 左右に頭を振ってから会釈するフローズを手で制するヴィルヘルム。二人の様子は、端から見れば奴隷と主人の関係とはとても思えない。


「これでグズルトとかいう娘がいつ迫っても問題ないですね」

「何か勘違いしてません?」


 両手で拳を作り、胸元へ持ち上げるフローズ。意識的に上目遣いでヴィルヘルムへ迫り、何かを必死にアピールしていた。

 しかし彼女の主張は、根本的な勘違いに端を発している。

 故に主人として彼が行ったのは彼女の期待に答えることではなく、彼女が抱いた誤解を解消することであった。


「グズルトさんは偶然助けてくれただけで、あの場面で初めて声を聞いたってくらいですよ?」

「でも彼女はヴィル様と同じ学科なんですよね?」

「そこはもう仕方なくないです?」


 何を不安に思っているのかは不明ながら、フローズは食いついて中々離す様子を見せない。

 そこで薬指を噛んだ理由、そして治療した直後の返事がいい加減になった理由に一つの合点がいき、ヴィルヘルムは両手を合わせた。

 そして記憶の中にあった書籍の内容を懐古し、世界観の整合性も確認した上で口を開く。


「とにかく、僕はフローズから誰かに鞍替えする気はないので安心して下さい。結婚指輪も然る時になったらちゃーんと、左薬指にしてあげますから」

「……左?」

「そ、左薬指にね」

「…………うぅ」


 子犬が漏らした鳴き声へ、急速に湧き上がった抱き締めたい欲に対してヴィルヘルムは理性を総動員して抗った。


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