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【ゲイルスコグル魔法学園その3】

「でも、男は甲斐性っていいますしね」

「あ……?」


 意識の間隙を突き、ヴィルヘルムはポケットから取り出したナイフをヅヨイの喉元へと突き立てる。

 理解が及んでいないのか、呆気に取られる少年は信じられないといった様子で数歩後退った。首筋に突き立てられた異物は、覗き込んだ所で視界に収めることは叶わず。しかして呼吸の困難さが存在を殊更大きく強調した。

 突然の凶行に取り巻き二人も動揺し、両腕を広げて振り返ったヴィルヘルムに恐怖する。


「さぁ、お二人はどうしますか。僕としては、お二人と喧嘩をしても構わないですが?」

「う、あぁ……」


 喉を鳴らし、ヴィルヘルムは恐怖心を煽る。

 剥き出しの敵意は見る見る間に削がれ、後数歩押し込めば逃げ出す。

 確信を深めて歩みを進めるが、眼前の急速に削られていくものとは異なる強烈な敵意に背後へ視線を向けた。


「ガッ、クッ……!」


 頬へ振るわれた拳を掴む。が、反応が遅れたことが災いし、押し切られて勢いを殺せずに鈍い衝撃が伝播した。

 拳を振るった張本人、ヅヨイは喉から微かな血を流しながらも平然としている。当然、一瞬でも騙されたことが計上され、怒りの度数は大幅に上昇していた。


「脅しにしても性質わりぃことしやがって……そりゃ癇癪で人殺せる訳ねぇよなぁ!!!」

「クソが……意識くらい無くして下さいよね……!」


 視線を足元へ注げば、申し訳程度に血が付着したナイフが転がっていた。不傷の呪いが機能し、意識を失う激痛すら伴うことなく首筋の負傷を瞬く間に修復したのだ。

 そしてヅヨイが意識すら保っていたという事実は、取り巻き二人の戦意を震わせ徐々に距離を詰める要因ともなる。

 いったいどうやってこの状況を切り抜けるか。思案に耽るヴィルヘルムの意識へ割り込んできたのは、柔らかさを孕んだ声音であった。


「止めなさい!」

「あ?」


 最初に手持無沙汰な取り巻き二人が視線を上げ、次にヴィルヘルム。最後に首を回す必要のあるヅヨイが反応した。

 階段の上に立つのは小柄な、赤髪を背後でお下げに纏めた少女。桜の瞳は敵愾心に満ち、強気な態度とは裏腹にスカートの奥に隠れた足は不安に揺れている。

 何者だ、目で訴える取り巻き二人へ答えるように少女は叫んだ。


「わ、私はグズルト・メロヴィングッ。ゲイルスコグルの理事長をやってるのは私のお父さんよ!」

「理事長の……おいおいやべぇよ、ヅヨイ」


 多数による一方的な暴行。理事長へ通報されたらどうなるかなど、火を見るよりも明らか。

 シルヴィヴァレトやヅヨイには劣るとはいえ、彼らとて名門の血筋。入学当日から停学など、堪ったものではない。取り巻き二人はヅヨイを嗜めようと下手から忠告を漏らす。

 しかし、肝心のヅヨイはヴィルヘルムから距離を取ると赤毛の少女へ関心を移した。


「グズルト・メロヴィング、ねぇ……あー、あの落第点を親父のコネで揉み消してもらったって噂の」

「な……そ、そんなことない!」


 ヅヨイの言葉に少女は赤髪を揺らして絶句し、直後に必死になって否定の言葉を述べる。しかし、不意の乱入者である彼女に味方する者など、一人としていなかった。


「私は実力で……!」

「でも聞いたぜ。支援魔法科の実技試験で滅茶苦茶粘った奴がいるって……ククク、単なるお遊びの的当てに時間かけんのも論外だが、そもそもそんな粘っていいのかよ。試験ってのは?」


 確かに、ヴィルヘルムもグズルトのことは少しだけ記憶に残っていた。

 的当ての際に魔法が安定せず、何度も再挑戦を繰り返していた赤毛の少女。早々に着弾させた少年を尻目に試験会場を出るまで続いた詠唱の声と、眼前の少女のものは確かに一致した。

 規約として、実技試験は受験者が諦めるまで何度でも挑戦可能。理論上はグズルトの行いも問題ないのだが、殆んど形骸化した規約を盾に挑戦し続ける様は見る人によっては印象も悪く映るだろう。

 ちょうど、踊り場で悪辣な言葉を綴るヅヨイのような人種には。


「規約には何度でも挑戦可能って……!」

「だからって本当に何度も繰り返す奴がいるかよ。無料って書いてたらタダの物全部貰っちゃうタイプか?」

「そんな訳ない!」

「それにさ、理事長の娘なら分かれよ。

 俺らは魔法科、お前らは支援魔法科。どっちが上か下かをよ!」


 二人の問答に埒が明かないと判断し、ヴィルヘルムは一人嘆息を零す。

 取り巻きの関心は乱入者たるグズルトへ注がれているが、下手に動けば優先度はすぐに様変わりするだろう。次いでに言えば、せっかく助けてくれた少女を見捨てるのはあまりにも締まりが悪い。

 かといって魔法科三人相手に呪いで傷つけることすら叶わない身では勝てるはずもなく、時間をかければ図書館が閉館してしまう。

 ヒートアップする口論の中、自主的に階段を下るグズルトを助ける意味も込め、ヴィルヘルムは手摺りへと歩みを進めた。

 デザイン性を優先した結果、手摺りの曲がり角には城の離れにでも着想を得たのか、鋭角的な棘が直立している。流石に先端は意図的に鈍く造形しているが、それでも力を込めて押し込めば刃物として十全に機能する鋭利さを持つのは職人の腕が成せる業か。

 その上を何度かリズムを刻むかのように掌で叩き、一際大きく振り被る。

 直後、生々しい音が踊り場に広がった。


「は?」


 顔に返り血が飛び散った取り巻きは、言葉を失い。


「な、に……を?」


 グズルトは呆然とした様子で朱に染まった棘を見つめ。


「は……え、は?」


 遅れて振り返ったヅヨイは、粘度の高い液体の滴る音に振り切る予定だった拳を宙に浮かせる。

 誰も彼もが、痛覚など存在しないかのように無表情を貫くヴィルヘルムに返す言葉も見当たらず、ただただ現状を受け入れている。勢いよく手を持ち上げれば弧を描く赤の軌跡が尾を引き、踊り場を俄かに染め上げた。

 空間が誕生したことで掌に空いた穴を埋めるべく、強制的に魔力が行使されて少年の体力を僅かに削る。

 尤も回復するからと言って突然の奇行が正当化される訳がなく、むしろ回復魔法にしても著しい速度の肉体修復にグロテスクさが勝った。


「何、やってんの……?」


 恐怖に声を震わして、いの一番にヴィルヘルムへ話しかけたのはグズルト。

 いじめの現場を目撃して助けに入った身としては、先の問答も相まって自らの頼りなさを指摘されたようで空気を求める金魚よろしく口を開閉させる。

 一方で肝心のヴィルヘルムは、制服が血に濡れた以上に意識を割く事項はない。とでもいった態度で制服を見下ろすばかり。


「何って、そうですねー……うん」


 顎に手を当て、首を傾げて思案のポーズを取り、ヴィルヘルムは口を開く。


「ヅヨイ君を振った女の子を呼ぶ儀式、ですかね」


 何を言っているのか。

 グズルトの脳裏に浮かんだ疑問を遮り、踊り場を照らしていた窓が砕け散る。

 乱反射するガラス片を引き連れ、両腕を交差して身を防ぐ誰かが割り込む。誰かは腕の隙間から紫の眼光で怨敵を睨むと、足場代わりに取り巻きの内一人の頭部へ着地。


「ぶっ……!」


 顔面に一人分の重量を受けた取り巻きは身体を支えることも出来ずに転倒し、仰向けで意識を手放した。靴を引き抜くと、折れた鼻から多量の血が噴き出している。

 絹織物を連想させる美しい白髪を振り乱し、左右で色味の異なる眼光は殺意を込めてヅヨイを睨んだ。

 吐息に熱を混ぜて平静を努める乱入者は、ヴィルヘルムの右手を見て早々に努力を放棄した。


「ヅヨイさん……よりによってヴィル様に手を出すとは、どうやらよっぽど命知らずなようですね」

「シ、シルヴェイド……」

「お前如きがその名を口にしないで。これは大切な、私を人にした大事な名前……お前の口から出たという事実だけで穢れる」


 元々決して高くはない好感度がヴィルヘルムを傷つけたことで急降下し、嫌悪にまで落ち込んでいる。故に有り余る敵意を隠すことなく吐露し、刈り取る時を待ち侘びて指を鳴らした。

 流転する状況に混乱し、ヅヨイは思わず一歩後退る。

 精神的隙を見逃さず、前傾姿勢のフローズは無造作に両腕を持ち上げた。


「──氷極よ、我らを閉じ込め極寒の檻へと堕としし神の鎖縛よ」

「いやいや馬鹿馬鹿馬鹿ッ」


 祝詞を言祝ぎ、全身に魔力を滾らせる姿に危機感を覚え、ヴィルヘルム自身が慌てて止めに入る。

 確かにフローズが来るように仕向けたのは彼自身だが、かといっていきなり魔法をぶちかまして欲しい訳ではない。むしろ踊り場で魔法を行使すれば、学園側から停学を言い渡されても文句はいえない。

 少年の言葉には目敏く反応し、フローズは即座に声の方角へ不満を露わにした顔を向ける。


「なんで止めるんですか、ヴィル様。こんな奴で汚れる手など、私は気にしないですよ」

「学園側が気にするって話なんですよッ?!」


 即断即決が過ぎる。

 そも、彼女が行使しようとした魔法は、学生間の喧嘩に持ち出していい代物ではない。せめて相応の場を整え、その上で行使すべきなのだ。

 彼の秘めた思いを知ってか知らずか、先にヅヨイが提案を持ちかけた。


「だ、だったら決闘で決着をつけようじゃねぇか!」

「お前、よくそっちから提案できたな」


 思わず口から出た言葉は、混乱に混乱を重ねる状況を幾らか和らげる効果を発揮した。

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