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【二章 ゲイルスコグル魔法学園その1】

『あの子には心ってものがないの?』


 葬式で鼓膜を震わした言葉。

 芝浦という人間の指向性を定め、心に打ち込まれた杭の一つ。自己を定義する際に参照するものとしては凡そ最低の部類に当たり、しかしてどこか確信を抱く程の説得力を伴って反芻してしまう。

 何より芝浦自身、心の欠如に関して強く反論できる自信がなかった。

 鼓膜を震わす言葉は一つではない。


『不気味な子ね、涙の一つも流さないで』

『いったい何を考えているのかしら』

『じぃっと固まっちゃって、怖いってもんじゃないわ』


 己の価値観を押しつける言葉の数々が、母親の棺桶の前で無表情を貫く芝浦の鼓膜へ殺到する。

 涙を流して咽び泣き、天国の門を叩いた死者への弔いを口にすることこそが唯一絶対。真理ともいうべき独善性を以って、言葉達は幼い少年を苛む。

 実際に少年は血の繋がった母の死を悲しんでいないのか。もしくは目に映らない形で悲哀を抱いているのか。或いは根本的に死という現象への理解が及ばず、寝坊を大規模に取り扱っているだけなのか。

 芝浦にすら答えの分からない疑問に回答する者はどこにもいない。

 他者が一方的な解を押しつけ、それを芝浦自身が受け入れてしまったのだから。



「ん、あ……」


 鉛の如く重たい目蓋を、殊更ゆっくりと時間をかけて開く。

 遮光カーテンを貫通した淡い光が目蓋の裏に突き刺さり、何度か瞬かせた先に映り込んだのは、見慣れない天井であった。

 木材の糸目は赤を基調としたシルヴィヴァレト邸ではお目にかかれない代物であり、天井をぶら下がる蝋燭立てをモチーフとしたシャンデリアも見当たらない。埋め込め式の照明はどちらかといえば芝浦としての生で良く見かける様式のものであった。

 寝起きの気分としては、凡そ最悪。

 わざとらしく舌を突き出し、ヴィルヘルムは何故慣れないベッドで就寝しているかよりも重要な出来事へ意識を傾けた。


「ベッドなんて何でもいいって思ってましたけど、結構環境って大事なんですね……」


 誰に告げるでもなく呟き、緩慢な動きで起き上がる。室内で靴を履く文化には未だに違和感を覚えるが、就寝前から靴下を履けばいいだけの話。

 室内に備えつけられた蛇口を捻り、コップに水を注ぐ。

 寝起きで不足した水分を補充すると、漸く回転し始めた思考が現状を整理していく。


「あぁ、そういえば今日が入学式でしたよね、うん……」


 窓の外では小鳥が朝の囀りを呟き、朝日を浴びて新入生への祈りを歌う。

 現在、ヴィルヘルムが起きているのは、ゲイルスコグル魔法学園の学生寮。

 入学試験に合格したため、彼は入学式前日に学生寮へ荷物を運んだのだ。とはいえミニマリストではないが、物に大して執着を抱くタイプでもない。自室として貸し与えられた室内にある私物は、本棚に並べられた幾つかの本程度であった。

 尤も、夢見が最悪な朝を迎えた今では枕くらい持ってきておけば良かったと慚愧の念を深めるばかりだが。

 入学試験に関しては、何ら苦戦する要素はなかった。

 芝浦として生きた世界とは異なる事情もあり、積極的に情報を集めていた。そのため筆記で苦戦することは絶無。実技にしても魔力を用いた的当てで、魔力を付与した物体の投擲でも問題なかったため、呪いで勝手に魔力が付与されてしまうヴィルヘルムに大した労苦はない。


「せっかくなら、主席合格ってのをやってみたかったんですがね……」


 学科が異なるとはいえ、フローズと同じ学園に入学するのだから、学科一位で合格して周囲に一目置かせたかった。だがそこまで都合良くはいかず、合格通知に答辞を用意する類の文面は記載されていなかった。

 小さな後悔を胸にタンスへ近づくと、寝巻から制服へと装いを改める。

 白いシャツの上から渋い色味の赤を基調としたブレザーを着用し、鮮やかな赤のネクタイの端へピンを挟む。ズボンは地味な紺だが上下の差が著しい分、目立たないとは口が裂けても言えない出で立ちとなっている。

 姿見で支援魔法科指定の制服を着用した容姿を一目し、寝癖などをチェック。


「うん、中々いい感じじゃないですかね。ちょっとカッコいいというよりは、って感じですけど」


 ヴィルヘルムとしての童顔寄りな顔立ちは男らしさに乏しく、ともすれば女に思われるのではないかと不安を抱く。それはそれで自信過剰と呼ぶに相応しい評価なのだが、姿見の前で上機嫌にポーズを取る少年が気づく余地はない。

 観客一人のポーズショーを終え、ふと備え付けの冷蔵庫へ入れていた荷物を思い出した。

 そういえば隣人に挨拶するための準備もしていたな、と呟き、冷蔵庫を開けると中に入れていた包みを取り出した。


「饅頭、でいいんですよね……これ?」


 餡子を皮で包み蒸した料理を他に表現する言葉をヴィルヘルムは知らない。実際に饅頭で通じる以上は気にする必要もないのだろうが、どこか違和感を覚えているのが本音でもある。

 手当たり次第に愛嬌を振り撒くつもりはないが、隣合う相手にくらいは挨拶をしておいた方が都合もいいだろう。


「不機嫌で壁に当たる時も、隣を殴るようになるかもですし」


 語尾に音符でもつきそうな上機嫌で口にし、扉を押す。

 学生寮の廊下には窓から陽光が差し込み、中心に敷かれた青のカーペットを照らし出す。名門の学生寮というだけあり衛生面には力を入れているのか、一瞥しただけでは埃の類も見当たらない。

 ヴィルヘルムは右に曲がり、表札にフレンと書かれた扉の前へと移動。

 今更ながら未だ目を覚ますには少々早い時間ではないかと考え、ヴィルヘルムは腕を組んで首を傾げた。

 寝起きの最悪さなどが重なり、時間の確認を怠った自身のミス。だが、かといっていつ入学式の連絡があるかも曖昧な以上、余裕がある内に挨拶くらいは終えておきたい。


「でも今日は入学式ですよ、もう起きてると思いますけど……しかし」


 廊下を行き交う人も見当たらないのが、時間間隔を不安視させる。

 どうすべきか。ヴィルヘルムが頭を悩ませている内に取っ手が捻られ、細かな音に注視する。すると扉が押され、ぶつからないように一歩後退した。


「ん。誰だよ、アンタ?」


 扉の先から顔を出したのは、プラチナブロンドの髪を逆立てた少年であった。

 ヴィルヘルムと同様に支援魔法科指定の赤い制服を纏い、腰から鎖をぶら下げた様は不良の二文字を脳裏に過らせる。露わになっている右耳に取りつけられた多数のイヤリングもまた、彼への印象を悪化させた。

 不躾な態度に寝起きなのか、不機嫌さを隠そうともしない眼光で少年は来訪者を凝視する。

 とはいえ、ある意味では好都合と前向きに考え、ヴィルヘルムは言葉を紡いだ。


「僕は今日から君の隣部屋で過ごすことになった、ヴィルヘルム・ロ・シルヴィヴァレトです。長いでしょうし、ヴィルとでも呼んで下さいな」

「なるほど、隣部屋ね……俺はフレン・ドゥー・トゥモー、服装的にお前と同じ支援魔法科だ」


 意図を汲み取ったフレンは挨拶として右手を差し出し、ヴィルヘルムも握手に応じる。


「あ、これはお近づきの印の饅頭。ところで、フレンさんみたいな人は入試試験にいなかった気がしますけど」


 ヴィルヘルムは饅頭を差し出す次いでに、フレンを一目した時からの疑問を口にする。

 倍率が凄まじいことになっている魔法科とは対照的に、支援魔法科は定員割れを引き起こしている。故にフレン程のインパクトある外見の人物がいれば、否が応にも記憶に残っているはずなのだ。

 饅頭を受け取ると、フレンは空いた手で髪を弄りながら質問に答えた。


「それがさ。俺、本当は魔法科志望だったのよ。けど落ちちゃってさ……そこで二次募集やってた支援魔法科を受験した訳よ」

「あー、だから見覚えがないと」

「そそ」


 時に肩を竦め、時に指差し、フレンは身振り手振りで表情をつけて会話を繋げる。第一印象から大幅に様変わりする態度に、ヴィルヘルムも気づけば警戒心を解いていた。


『一年生の皆さんは体育館前の廊下へ、クラスごとに分かれて整列して下さい。繰り返します……』


 不意に割り込んできたアナウンスに二人は視線を上げ、互いに顔を合わせる。


「それじゃ、さっさと行きますかい。ヴィル」

「ですね、フレンさん」

「さんはいらねぇよ」

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