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【ヴィルヘルム・ロ・シルヴィヴァレトその11】

「ん、あれ……意外と、大丈夫?」

「ヴィル、様……?」


 だからこそ背後からした間の抜けた声音に反応しつつも、どこか幻聴のような現実感の無さを覚えもする。

 しかし、フローズの視界には重傷というよりも寝起きといった態度で起き上がり、背中をさするヴィルヘルムの姿が映り込んでいた。破れたジャケットやシャツの奥から肌色が覗けこそすれども、目立った外傷もない様子で彼自身も無事に小首を傾げる始末。


「呪いに自殺防止の要素でもあったのか。いや、にしても今のは……」

「ヴィル様ー!」

「うぐッ」


 ヴィルヘルムへ飛びつくフローズによって思案が中断され、勢いに身体が大きく仰け反る。

 背筋の断末魔が体内で奏でられる中、不満を口にしようとした少年の弁はしかし、少女のすすり泣く声に遮られた。


「ヴィル、様ぁ……わ、わた、私……ヴィル様が死んだと思ったら、もう……!」

「フローズ……」


 負傷するのが誤算ならば、呪いに助けられるのもまた誤算。

 命を繋いでいるのは偶然の産物に過ぎず、半歩間違えば今頃神とやらに二度目の拝謁をしていた可能性すらある。

 胸元で泣く少女に対し、謝罪の弁を述べるのと合わせ、頭を撫でる。

 優しく、努めて優しく。


「……すみません、フローズ」



「……ん、んんぁあぁあぁ!!!」


 夜の帳を剥がし、太陽が顔を覗かせる夜明け。

 撃破した盗賊団の人員を背負ってシルヴィヴァレト邸に帰宅した二人を待ち受けていたのは、怒りが複数周回を繰り返した結果として意味の分からない呻き声を漏らす父親であった。

 太陽にも負けぬ真紅に染まった顔に幾つもの青筋を浮かべ、天上へ吼える姿は人の営みから乖離していると言える程に。


「ご、ごめんなさいッ……!」


 突然の奇行とまさか門前に待ち構えているとは予想もつかず、フローズは恐怖に肩を震わせた。咄嗟に口から出た謝罪の言葉にも、悲鳴に似た色味が含まれている。


「あ、お父様。入学費用の工面はこっちでやっときましたよ」


 一方でヴィルヘルムは喜色満面といった様子で腕を振り、背負った男を誇らしげにすら見える様子で晒す。

 生気が抜け落ちて青白に染まった男の顔を一目し、父親は大きく目を見開いた。

 使用人に任せず、自主的に新聞の切り抜きを行っていたのだ。息子の弁が意味するものなど容易に見当がついた。


「ヴィルヘルムッ。もしや屋敷を抜け出したのは盗賊団の報奨金が目当てかッ?!」

「はい。だってそうでもしないと、フローズの入学を認めてくれないでしょう?」

「ち、ちち違うんです、当主様ッ。これは全部私の我儘といいますか配慮不足といいますか、とにかくヴィル様は悪くないんですッ!!!」


 父親からの質問にあっけらかんと言い放つ少年をフォローするように、フローズは咄嗟に浮かんだフレーズを手当たり次第に組み込んだ。早口に続けた様は、真に相手へ届ける気概を忘却したかの如く。

 だが彼女が主人を危険に晒してまで我欲を剥き出しにするとは思えず、父親は視線を反省の色を微塵も見せない少年へと注ぐ。


「ここまで奴隷に言わせて恥ずかしくないのか、馬鹿息子がッ。小奴自身がお前の無茶を望んでいないのだぞ。

 それが報酬目当てに盗賊団を追うなど、無茶も大概にしろッ!」

「そうは言いますがね、コイツを潰したのはフローズですよ。この才能を埋もれさせるのはあまりにも勿体ないでしょ?」

「むッ……」


 関係ない話だと一蹴するのは容易かった。今はヴィルヘルム自身が無茶を働いたことへの叱責であり、誰が事態を丸く収めたのかなど眼中にないと。そう口にすれば済む話であった。

 が、彼が言葉に詰まったのは二つ。

 一つは父親自身がフローズの価値に一定のものを見出したこと。

 まだ魔法も碌に習っていない身の上で、一人とはいえ盗賊を撃破したのは確かに有用性を伺わせる。使用人として席を置いてもらうだけで、シルヴィヴァレト家は安泰というもの。

 そしてもう一つは仮に盗賊の遺体を弔うなどして破棄しても、ヴィルヘルムは別の危険な手口を頼るという確信。息子はフローズと同じ学園に入学するためなら、如何なる無茶もやりかねない。

 額に手を当て、嘆息を一つ。

 天を仰ぎ見ると、息子の安全と家名の天秤を秤に乗せた。

 家を継ぐ長男ならばまだしも、次男ならば。


「…………学園内では、二人の関係は絶対に秘密だ」

「え?」


 絞り出した声が二人の鼓膜にまでは届かず、父親は吐き捨てるように反芻する。


「学園内で二人の関係を絶対に公言するな。それが条件だ」

「……ってことは?」

「何度も言わせるな。今の条件が飲めるというのであらば…………フローズの、魔法科入学を許可しよう」


 遣る瀬無いものを絞り出し、必要以上に大きく間を置いて言葉を残すと父親は踵を返し、赤煉瓦の道を通る。

 一方で残された二人は暫しの間、その場で硬直すると互いに顔を突き合わせた。

 そして同時に抱き締め合う。硬く、硬く、手放したことで地面に転がる男のことなど眼中にないとばかりに。


「やった、やった。やりましたよフローズッ!」

「あ、あり……ありがとうございますヴィル様ッ。ヴィル様ッ!」


 感極まった感情は言語を陳腐にし、しかして声音や触れ合う腕の力が疑うべくもない歓喜を表現する。

 単なる自然現象である朝日が、二人の門出を祝福する祈りにすら思える程に。

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