ヴィルヘルムとしても、彼女が親子の対立を好まないことは容易に予想できた。ましてや原因が自分にあり、一年近くも続けていれば口の一つも挟みたくなるというもの。
無言で見つめる漆黒の瞳へ、少女は促されるように訴えを続ける。
「わ、私はもう充分に幸福です。
ヴィル様が私を人として扱い、一緒に笑って下さるだけで充分に満たされます。それ以上を望むなんて、罰当たりと思う程に」
フローズの言葉に偽りがないことなど明白。そも彼女はヴィルヘルムを相手に虚偽を貫くような性格ではない。
故にこそ、少年は扉が閉じたのを横目で確認すると、少女の両肩に手を置いた。
「あう」
「そんな悲しいこと言わないで下さいよ。
僕は僕が幸せになるために色々やってるんです。その内の一つにフローズの幸せが含まれているというだけで……それに、ちょっと人扱いというのもこそばゆい所がありますし」
頬を僅かに上気させ、気恥ずかしさを誤魔化すように掻く。それでも視線を彼女へ向けたままなのは、彼なりに事実を口にしているがためか。
とはいえ、フローズとしても気持ち自体は有難いのだ。
一奴隷に過ぎない自分を思い、行動に移している事実そのものが喜ばしく、許されるのならば胸の内で荒れ狂う暴風を成す歓喜を高らかに謳うのも吝かではない。
が、そのためにヴィルヘルムが父親との関係に亀裂を入れるのは論外に過ぎる。
それは傲慢であり、強欲であり、凡そ奴隷が要求していい領分を三段跳びで飛び越えている。
「ぅぅ……でも、当主様が支援しないって」
「そこは大丈夫ですよ」
なおも説得を続行する気なのか。
フローズの懸念に予想がついたのか、ヴィルヘルムは彼女へ代案を提示する。
「お父様は学費を払う気はないと言いましたから。
だったら学費はこちらで用意すればいい」
「学費、を……?」
急に絵空事を言い始めたのかと思案する。が、言い出しっぺの少年は何らかの根拠があるのか、表情に確信めいた自負が現れていた。
首を傾げるフローズの前、ヴィルヘルムは口角を吊り上げて断言した。
「丁度良く、悪い大人はいるもんなんですよ」
書斎の一角、父親が世間に取り残されないよう毎朝取り寄せている新聞を保管しているスペースから一つの背表紙を引っかけ、ヴィルヘルムはページを開く。
流石に新聞そのものを全部保管するのは管理の観点から現実的ではなかったのか。もしくは要点を自主的に纏めることで一層深い理解を得ることが目的なのか。白紙のページには切り抜いた記事を張りつけられている。
「えぇっと、確かこの辺に……」
訝しむフローズを他所に、ヴィルヘルムは記憶を頼りにページを捲り、やがて目的の記事を発見して黄色い声を上げた。
「これですこれ!」
「ぅ、何でしょう……えぇ、輸送馬車がまた行方不明。森林地帯に盗賊団が潜伏している可能性あり……」
彼が開いたページに切り抜かれていた一つの事件であった。
街間を往来して荷物を輸送することで財を成していた商業組織が、盗賊団の襲撃に合って手痛い出費を強いられたという内容。辛うじて逃げ出した馬車の運転手も毒で入院を余儀なくされ、それ以外の関係者は未だに行方も分かっていない。
彼らが辿る最悪に近い境遇にあったフローズは思わず顔を背ける。が、ヴィルヘルムはまるで悲劇を喜ぶかのように上機嫌に指で一文をなぞった。
「これを見て下さい。今回の件を重くみた組織は、盗賊団に対して懸賞金を設定してます。彼らを討伐すれば、フローズの学費もすぐに貯まりますよ!」
「そ、それは危険ですッ。ヴィル様の身に何かあったら私は……!」
危機管理が欠如したヴィルヘルムの弁に、フローズは絶句して反論する。
過去に受けた被害も考慮したのか。盗賊団への懸賞金はかなり高額に設定されており、末端を捕縛するだけでも当面の学費には困らない。
が、それはあくまで理論上の話。机上の空論に他ならず、値段相応に存在する多大なリスクを無視した理論に他ならない。
「これだけの高額報酬……本来なら魔法使や傭兵団が対処すべき事案です。少なくとも、学園に通ってもいない私達二人じゃ……!」
「心配性ですね、フローズは。君の力があれば盗賊団なんて雑兵も同然ですし、僕も自分の身程度なら守れますよ」
「でも……!」
「でもじゃない」
我儘を嗜める調子で言葉を遮り、ヴィルヘルムは眼前の少女と視線を合わせる。
彼女は純粋にヴィルヘルムの身を心配しているからこそ、主人に反抗する形になっても声を上げていることは彼にも理解できる。
しかし、それで割を食うのはフローズ自身なのだ。
自分が一人苦渋を飲めば全てが丸く収まる。そんな考えを翻意させられないのでは、わざわざ彼女を購入して人並の幸せを享受させた意味がない。
「僕はフローズと一緒に学園に通いたいんです。たとえ学科が違うとしても」
「ヴィ、ヴィル様……」
「それに、損な役割はフローズが担当するんです。僕としては、せめてそこに君の幸せを上乗せしたいんですよ」
確かな声音で主張するとフローズは反論する術を失ったのか、頬を僅かに上気させて視線を斜めに逸らした。