ヴィルヘルム・ロ・シルヴィヴァレトがフローズ・シルヴェイドを購入してから九度季節が巡る。
四季と呼ぶには長袖から衣を変える必要性すら感じない軽微な差異ながらも、気温は移り変わる。そして周囲の温度が変われば、周辺の樹木も装いを改めていくというもの。
シルヴィヴァレト邸を彩る色鮮やかな庭も色合いを変え、土気色の葉が幅を利かせる。
「いい加減に聞き分けろ、馬鹿息子ッ!」
庭の様子を一望可能な当主部屋に、落雷の如き怒声が響き渡る。
直後に大気を揺らす乾いた破裂音は、現当主たる父親の放った鉄拳を濡烏の髪を持つ少年が掴んだ際のもの。爪を立てるような横暴を働く気はないが、少年も意識を強く持たねば汚い言葉を吐きかねないと自重を深める。
交差する視線が火花を散らし、互いに譲るつもりはないと無言のままに主張した。
無音の闘争を繰り広げる中、先に口を開いたのは少年──漆黒の瞳に確かな炎を燃やすヴィルヘルムであった。
「ハァ……いい加減に聞き分けるのはお父様の方ですよ。ちゃんと理由は告げているはずですが?」
呆れの感情を秘匿する気もなく、大きく装いを異にした少年は視線を落とす。
左右で異なる濡烏の髪や漆黒の瞳にこそ面影を残す。が、背丈は老境に差しかかりつつある父親を見下ろす程度に伸び、紺のジャケットとシャツを組み合わせた服装に差し色として赤のネクタイを着用した姿は巷で流行りのファッションを取り入れた結果である。
男らしさに欠ける丸みや柔らかさが目立つ顔立ちをしているが、現在実の父親と対峙する際には仮面でも着用しているかのように表情は硬い。
「だからといって納得できるものか。
お前とフローズを共にゲイルスコグル魔法学園へ入学させるなど……ましてや、フローズは魔法科でお前は支援魔法科などと、ふざけるなよ!」
怒気を限界まで混ぜた父親の語気は強く、仮に平民が対面すれば身を竦めさせるだけの威力を有していた。
ところが、肝心のヴィルヘルムは見下ろすように視線を上げると、凡そ感情を削ぎ落した声音で応じる。
「僕は呪いのせいで他人を傷つけられない。だから僕を守る護衛を学園に連れて行きたい。そうなったら、選択肢は当然フローズになるでしょう」
「それで何故二つの科に分かれる必要があるッ?
自分の言葉が矛盾している自覚はあるのかね?!」
父親が乱暴に腕を振るうと、ヴィルヘルムによる拘束から解き放たれた右手が胸元を指し示す。
己の立場を自覚しているのか。奴隷と主人の関係を理解し、シルヴィヴァレト家に連なる一人であると認識した上で、その妄言を宣っているのかと糾弾するかのように。
指差されたヴィルヘルムは何も分かってないとばかりに肩を竦めると、相手の神経を逆撫でするのも厭わずに言葉を紡ぐ。
「彼女はその気になれば、数秒と経たずに僕の下へと辿り着きます。距離は然したる問題とはなりませんよ。そうなれば、いっそ別々の学科に入った方が見えない脅威を探れるじゃないですか」
少し考えれば分かることですよ。
そう言いたげに額を指差し、円を描く。
事実、フローズの入学周りの対立に辟易しているのはヴィルヘルムも同様であった。
最初にゲイルスコグル魔法学園への入学を志望したのは一年前の同じ頃。
父親も彼個人が入学する分には異論を挟む気はなかった。魔法科と支援魔法科の関係については理解していたが、ヴィルヘルムにかかった呪いを考慮すれば仕方のない話と割り切れた。
が、そこに奴隷であるフローズが絡むとなれば話も変わる。
「いったいどこの世界に主人よりも恵まれた学科へ入学する奴隷がいるものかッ?!」
「ハァ……それも何度目ですよ。別にいいと思いますよ、護衛が強くなる分には?」
何度も繰り返した問答に、いい加減納得しろとばかりに再度の嘆息。顔に手を当てて天井を見上げる様は、物分かりの悪い男を父に寄越した天を恨むかの如く。
しかし望む結末こそ対極に位置するものの、互いの主張に辟易しているのは共通。
呆れの面が表層化しているヴィルヘルムに対し、父親は怒気を強めて反発する。
「お前の軽挙はお前単独ではなく、シルヴィヴァレトの家名にすら関わるのだぞッ。次男だからといって、それは許されるものではない!」
「……」
互いに主張すべき部分は言い終えたのか、二人の間に沈黙が生まれる。
視線を逸らすことなく向き合い、故に無言のスパークばかりが激しさを増す。永劫にも思えた沈黙を破ったのは、部屋の外から鳴らされる乾いたノックであった。
両者の鋭利な眼差しが同時に注がれ、ややあって向き直る。
「いいか、私はフローズがゲイルスコグルの魔法科に入る学費を払う気は一切ないからな。私に黙って入学試験を受けたといっても、そこを譲る気はない」
「分かりましたよ!」
わざとらしく大声を上げ、ヴィルヘルムは扉を蹴り開けた。
物々しい音を立てて開かれた先では、美醜を一つの顔に両立した少女が側で待機していた。
見る者の目を引く白髪を腰まで伸ばし、シンプルな白のシャツの上から一回り大きなサイズのカーディガン。桜の上とは対照的に下の紺は裾が必要以上に広く、七分丈のガウチョパンツからは棒のように細い足が覗く。目敏い者が見れば、靴の底が通常よりも厚いことにも感づくだろう。
小柄かつ平坦な体躯を覆い隠すファッションは、醜い火傷痕よりも恥ずべきものであるかの如く。
「ヴィル様、あまり私のために当主様を困らせないで」
左右で異なる色味の紫で主人を見つめると凛とした、静かながらも確かな主張を乗せた声音でフローズは口を開く。