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【ヴィルヘルム・ロ・シルヴィヴァレトその6】

「フローズ・シルヴェイド、君はヴィルヘルムが買った身だ。そのことを重々忘れることがない限り、私から直接あれこれ言うつもりはない」


 父の後輩が運営する移動式奴隷市場からの帰路。

 馬車の中、父親は息子と隣合う少女へ怜悧な眼差しを向けて口を開く。

 奴隷商売に嫌悪感を抱く彼からすれば、呪いの件で目の下に隈を浮かべる程に思い悩むヴィルヘルムからの要求でなければ購入に踏み切るつもりはなかったのだ。

 息子の所有物への態度に刺々しいものが混ざるのも自然と言えた。


「……はい」


 一方でシルヴィヴァレトの名を頂戴することは叶わず、彼が代案した名を与えられたフローズは一拍遅れて反応を返す。

 その身に纏うは布を適当に縫い合わせた質素なものではなく、帰り道の服屋で適当に購入した上下一体型のワンピース。身体の汚れが目立たぬよう黒を基調としたそれに加え、座席には幾つかの女性用衣服を詰めた紙袋が並んでいた。

 馬車への臭い移りを防ぐべく、バラを素材とした強めの香水も何度か拭きかけて可能な限り不快感を軽減した様は、数時間前のみすぼらしさが幾分か軽減されている。

 尤も、痩せこけた肉体や自身の身に降りかかった望外な祝福に余所余所しさを覚える当人はどうしようもないが。


「黒いのも凄い綺麗ですよ、フローズ」

「あ、ぁう……ありが、とう」


 お世辞と割り切るには真摯に過ぎるヴィルヘルムの言葉には、漸く礼を述べる余裕が生まれた。が、それでも居心地の悪さに馬車の中を見回すのも詮無き事か。

 衣服や香水を購入するまでの間、フローズはずっと馬車の中で待機していた。

 服を買うための服がない奴隷の少女を連れ回せば、シルヴィヴァレト家の沽券に関わる。故に嫌がってフローズを連れて行こうと迫るヴィルヘルムを強引に引っ張り、男二人で女性ものの衣服を物色する道を選択した父親に悔いはない。

 とはいえ家の名に傷さえつかなければ、奴隷がどうなろうと知ったことではないのもまた真理。


「ヴィルヘルム。帰ったらフローズを風呂に入れて、家の案内をして上げなさい。使用人を頼ってもいいが、必ずお前も付き添うように」

「はい、わかりました!」


 父親から促されるまでもなくその予定であったヴィルヘルムは、食い入るように即答する。隣からの不意な大声に肩を震わせるフローズだが、彼が気にする様子はない。

 やがて馬車はシルヴィヴァレト邸前の門で停止。父親、紙袋を持ったヴィルヘルムの順番で降車する。


「ぁ、あう……」


 本来後に続くべき少女はか細い声を漏らし、扉の前で足を竦める。

 馬車の構造上、座席と地面の間には子供が足を伸ばせば届くとは言えないだけの距離が開いている。側から覗ける車輪を一瞥しても、全長と同等かそれ以上の差があれば、子供の足を竦ませるのも当然というものか。

 ふとヴィルヘルムが背後を振り返れば、室内で視線を左右に振るばかりの少女。

 安心させるべく走り寄って手を伸ばし、騎士が姫様に同様の仕草を行うよう意識的に表情を緩める。


「不安なら手を取って」

「う、うん」


 伸ばされた手を掴むとフローズは一段、また一段と慎重に段差を下る。

 地に足をつけて視線を揃えると少女は恥ずかしげに視線を揺らし、数秒の合間を置いてヴィルヘルムの顔へ合わせた。


「あ、ありがとう……」

「どうも致しまして。じゃあ、さっさと二人の家に行こう」


 足早に、迅速に。

 先にあるものを少しでも早く堪能したいというように、二人は赤煉瓦で敷き詰められた道を行く。

 屋敷の中は、シルヴィヴァレトの家が如何に高名かを誇示する内装に溢れていた。

 玄関正面から伺える階段は踊り場を境に二手へ分かれ、屋敷の構造に沿って左右へと案内する。踊り場では髭を生やした壮年男性の肖像画が大々的に飾られ、玄関に立つ者を鋭利な視線で睥睨した。頭上よりぶら下がるシャンデリアや壁面に備えつけられた蝋燭を模したデザインの照明が室内を明るく照らし、廊下の左右には甲冑を纏った自動人形が等間隔で待機している。

 赤を基調とした内装は贅を凝らしたというよりも、質の一つ一つを高めたという方が正鵠を得ている。証拠に金や銀といった分かりやすく目を引く派手な色味は差し色や金属部分に留められ、階段の手摺りなど木造のものも多い。

 奴隷市場との落差に呆けて、足を止めるフローズを引っ張るとヴィルヘルムは迷うことなく浴槽を目指した。


「案内は後でしますから、先にお風呂に入りましょう」

「わ、あ、あう……!」


 階段から右に曲がり、足を止めて延々走っているのではないかと疑う程に均等な感覚で設置された扉が並ぶ廊下を直進。時折横切る使用人へ簡単な挨拶を交わしながら進めば、やがて使用人や客人が使用するための脱衣所へと到達する。

 外は既に夕焼け模様に染まっていた。が、だからこそ使用人は夕食の準備や清掃に手を出し、そうでなくとも浴槽に浸かって息抜きをしようという者がいないことは把握している。


「よし、タオルもちゃんとありますね」


 風呂に入ったはいいものの濡れた身体を拭くためのタオルを用意し忘れ、面倒なことになった経験がある身としては、事前の準備は極めて重要。

 首を傾げる少女を他所に、ヴィルヘルムは適度に使い込まれたタオルを二つ取り出すと一つを差し出す。

 そして棚へ突っ込むと、身に纏っていた衣服を脱ぎ始めた。

 羞恥心など、子供の身にあるはずもない。中身の話にしても、幼子へ見せて恥ずかしがる要素など一つもなかった。


「ん、どうしました。フローズ?」

「う、ぁう……これ、脱げな……」


 フローズへ意識を向ければ、途中で引っかかったワンピースによってミミズを連想させる姿となっていた。彼女も何とか自力で脱衣を完遂しようと足掻くも、その動きが一層にミミズという印象を加速させる。


「脱げないんですか、手伝いましょうか?」


 ヴィルヘルムからの申し出に進退窮まるといった様子のフローズは、おそらく頭が収まっているであろうワンピースの中程を上下させて肯定する。

 口にしなければ通じぬ状況だが、元より手助けする予定だったのか。ヴィルヘルムはワンピースの端を手に取り引っ張る。

 境遇から来る未成熟さと非力が原因だったのか、ワンピースは容易に少年の腕に追従した。

 残るは痩せこけ、肋骨や骨格が端々に浮かんだ幼子のみ。


「さ、まずは身体を洗いましょう!」

「ぁ、はい……」

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