水晶玉を用いた簡易的なものではない。より大規模な補助具を使用した精密検査の結果もヴィルヘルム自身や父親の期待を尽く裏切り、彼が呪われているという答えばかりを提示し続けた。
呪いが決定的となって以降、ヴィルヘルムは様々な手段を用いて抜け道を模索した。
父親は解呪のために奔走していたが、犯人の心当たりがあった彼からすれば解呪手段など存在しないと切り捨てるのに抵抗はない。むしろルールの穴を突く方が幾分かの希望を伺えた。
尤も手段を探れば探る程、見えている光明がまやかしなのではないかと疑いを深めることになったが。
たとえば、父親の伝手を頼って暗黒(ダーク)物質(マタ)という魔力を通さぬ素材を刀身に採用したナイフを握ってみれば、忽ち刀身を薄い緑光が覆ってしまった。
互いの合意を得て執事に火を近づけてみれば、回復効果を持つ火として身体の不浄を焼き尽くす。
子供らしい悪戯として庭に落とし穴を掘ってみても、誰かが嵌まった途端に脱力感が走るのと反比例して落下した者が元気よく穴を抜け出していく。
回復効果そのものは氷山の一角に過ぎず、呪いの本懐は他者を傷つける一切を禁じるといったものが正確に思えた。暗黒物質への扱いなど、世界法則を無視した事例も神という世界法則そのものを定義する存在が課したのであらば当然と割り切れよう。
一応、リンゴの皮を剥く程度ならば問題はなかったが、彼からすれば慰めにもならない。
不傷の呪い、と仮名した呪いはヴィルヘルムの抵抗力を奪うかの如く道行く先を頭上から押し潰していく。
「まだです、まだ諦めないですよ。クソ神が……!」
「ヴィルヘルム。境遇を恨みたい気持ちは否定しないが、あまり神様に唾を吐くものではない」
馬車の中で二人。奥歯を噛み締め呪詛を零す幼子へ、父親は叱責の言葉を返す。
魔力測定以降、睡眠時間を削りがちな我が子を不安に思う気持ちもあるのか。強い語気とは裏腹に、眼差しには息子の将来を憂慮する気持ちが漏れていた。
事実として、ヴィルヘルムの目元には幼子には不釣り合いな隈が深々と刻まれている。
父親自身、信心深く神を崇めている訳でも、教会に多大なお布施を行っている訳でもない。が、人並には神の存在を信じて日々を生きている。
息子に呪いがかけられていると判明した時には絶望のあまり神を呪ったが、それも希望の裏返し。ヴィルヘルムのように延々呪詛を吐き続けている訳ではない。
尤も、二人の神への認識の差異は実際に遭遇したか否かに他ならず、故に埋める手段など存在しない。
「……分かりました、分かりましたよ」
肩を竦めてわざとらしく反芻する姿は血の繋がった親子から乖離し、悪態をつかないだけマシという印象を与えた。
肩肘を突くヴィルヘルムは、嘆息する父親から目を逸らすべく視線を窓の外へと向ける。
首都オーディーンとは比べるべくもない辺境。そしてシルヴィヴァレト邸が建つ立地と比較すれば荒涼とした景色が広がるのは、グラズヘイム内で散見される荒地の一つ。
国内や辺境の国こそ安定しているものの、大陸規模に視野を広げれば未だに戦乱の火種が辺りに燻っている。これより向かう先も戦乱によって生まれた暗部の一つであり、前世の社会では禁忌とされている存在である。
「ほら、もうすぐ着くぞ。奴隷市場だ」
父親の声はどこか投げやりで、頼るのは不本意という意志が表層に出ていた。
自動人形が馬車を進める先には、サーカスを連想させる白と青のストライプカラーを使用した天幕の施設。看板の一つもなく、ただ停車した馬車だけが繁盛具合を表すテントは異質な雰囲気が漂っていた。
やがて二人を乗せた馬車も車輪を止め、糸が切れたかのように自動人形も停止する。
父親の態度とは対照的にヴィルヘルムは待ち侘びたといった勢いで扉を押し、荒れた大地を踏み締める。車輪が跳ねるのも納得の乾燥振りは、衆目に晒すことを控える事情があるかのように。
逸る意志のままに進むヴィルヘルムの横を、不意に出入口を潜る男女とすれ違う。
「おら、行くぞ」
手に持つ鎖を引っ張る筋骨隆々の男と、鎖から繋がった首輪に従う女の二人。彼らの関係が如何なるものか、わざわざ論ずるまでもないだろう。
遅れてヴィルヘルムに追いつく父親は、すれ違う男女へ注ぐ侮蔑の眼差しを隠そうともしない。鼻腔をくすぐる血と汗の臭いも、彼が抱く嫌悪の念を助長させた。
「……言っておくが、ここを頼るのは今回だけだ。奴隷を買うのも、それを許可するのもな。二度目はないと思え」
普段よりも強い語気に、ヴィルヘルムもまた同意として首肯を示す。
元より二人も三人も購入するつもりはない。数を揃えるよりも、複数分のリソースを一人に注力した方が目的には合致しよう。
そう、他者に殺傷を代行させるには。
出入口を潜り、最初に跳び込んできたのは思わず顔を背ける強烈な臭気。
二〇〇〇平方メートル近いテント内に充満した奴隷。不衛生な環境に放り込まれているのは明白な彼らに加え、売り手たる商人や買い手が臭気を誤魔化すための吹きつけた香水の臭いが複雑に混じり合い、筆舌に尽くし難い代物と成り果てている。
「いや、キッツイですね。これ……」
鼻を摘むヴィルヘルムも奴隷から発せられる臭気にこそ覚悟していたが、本来は気品漂う香りを堪能させる香水で吐き気を誘発させるのは思慮の外。そして苦虫を噛み締める父親は、普段よりも視線を研ぎ澄まして辺りを見回した。
やがて目的の人物を発見したのか、足早にそこへと向かう。
「私はアイツと話がある、ヴィルヘルムは辺りを散策していてくれ。いいか、絶対に不必要に動くなよ」
幼子へ静止を促す言葉を残して。
しかし期待を翻意させかねない程の臭気に当てられ、ヴィルヘルムも帰宅への意志が急速に高まっていた。故に父親の言葉を無視して、人がひしめく市場へ跳び込んだ。
「せっかく買うなら、女の子がいいですね。それも同年代ならベスト、ですかな」
顎に手を当て思案するヴィルヘルム。周囲の活気は専ら奴隷を押し込めた柵や売り手へと注がれ、腰に届きもしない児童へと関心を注ぐ奇特な者がいるはずもなし。
周囲へ視線を配ってみても、彼が好むような奴隷は見当たらない。
仕方なく、付近に立つ売り手側らしき男性へと声をかける。
「すみません。女の子売ってるコーナーはどこですか?」
「あぁん……あぁ、ガキか。お前と同じくらいのガキなら、そこの角を曲がって右の突き当たりにいいとこがあるはずだぞ」
「分かりました、ありがとうございます」
最初はともかく、親切に対応してくれた相手へお辞儀を一つ。ヴィルヘルムは言われた通りの道を進む。
とはいえ、奴隷を求める層の考えることなど皆同じということか。徐々に人盛りが勢いを増し、ヴィルヘルムの体躯では碌に進むことも叶わなくなってしまう。
「邪魔……なんです、がッ」
掻き分けようと力を込めるも体格差を覆すには至らず、微動だにしない。
もしやオークションの現場とかち合っているのか、人混みの先からは歓声が湧き上がる。耳目を震わす単語の中に数字を並べたものが含まれているのも、その印象を深めさせた。
前世の肉体ならば強引に割って入ることも叶うのかもしれないが、五歳相当の身体では無理を押し通そうにも全てが足りない。
オークションが終了するまで別の場所で時間を潰すか。
そう結論づけて踵を返した時であった。
「──」
視界の端。
力づくで腕を引っ張る商人に、俯いた姿勢で従う幼子。
ヴィルヘルムと同い年であろうか。腰の辺りまで乱雑に伸ばされた白髪は、清潔感からかけ離れた奴隷にあるまじき場違いなまでの純白さを放つ。将来への諦観に満ちた瞳からは生気が抜け落ち、痩せこけた頬もまた未来予想図の正確さを証明する。
質素を通り過ぎて簡素な布をそれらしく縫い合わせただけではないかと疑う衣も、少年にとっては貴族が舞踏会へ赴く際に着込むドレスの如く思えた。
客の喧噪はオークションへと注力され、側を歩く幼子へは向けられない。
無意識の内にヴィルヘルムの足は歩み出していた。心の間隙に水が染み込むように、乾いた地面が水分を希求するように。
彼自身の心が、少女の存在を求めた。