オーディーン。
北欧神話の主神を冠するは、グラズヘイムという国の首都。
前世に於いて時折耳にする名が本来と目的を異とする用法で用いられている点。そして魔力測定という単語が、ヴィルヘルムとして転生した世界がかつてのものとは大きく異なることを確信させた。
建物にしろ道路にしろ、煉瓦を中心とした造詣は中世ヨーロッパに類するものであろうか。断熱性や蓄熱性に秀でた煉瓦は年中寒風が吹くような地域では主流として用いられていたと聞く。彩りは屋根に任せているのか、外壁を形成するのは地味な色合いのものが目立つ。
そして、人の生活感は多少地味な背景を容易く吹き飛ばす程の威力を秘める。
首都というだけのことはあり、活気に溢れた人波と散見される自動人形が我が世の春とばかりに繁栄を謳歌していた。
各種飲料を詰めたタンクを背後に背負った自動人形は前世でいう自動販売機の役割を担っているのか、客が硬貨を胸元のスリットへ投入するのを確認してからコップへ望みの飲料を注いでいく。
ヴィルヘルム達を乗せた馬車の周囲へ目を向ければ、同じく自動人形に運転を一任した馬車が垣間見え、中には道の一角で起きた動作不良に頭を悩ませている者も。
「……」
自身にとって未知の技術が幅を利かせ、既知を一掃する光景を前にして、ヴィルヘルムの漆黒の瞳はただ淡泊に窓の先を捉えていた。
心が微塵も動かない訳ではない。
が、如何せん人が多いという見たままの感想が思考の大部分を占めているのが偽らざる本心。
自動人形とは他国で確立した技術であり、魔力によって稼働すると道中で聞かされはしたものの、彼にとっての関心は薄い。精々人ベースに拘泥する理由が明瞭ではないな、と感じるが関の山。
思考へ割り込むように大きく揺れ、一定の速度を維持していた馬車が動きを止める。
「到着したぞ、ヴィルヘルム。クヴァシル総合病院だ」
むしろ彼の関心の大部分を占めているのは、これより行う魔力測定。
総合病院、の響きは前世でのそれを彷彿とさせた。が、眼前に直立する建造物は馬車を複数停車可能なスペースと建物そのものの規模を除けば先程までの街並と大差がなかった。おそらく病院名を冠している立て看板がなければ、単なる他より豪勢な建物と誤認する程に。
ヴィルヘルムは父と共に馬車を降り、院内へと続く木造の扉を押す。
内部より溢れるはアルコールの匂い。酒造のような口を含むためのものではなく、むしろ傷口を消毒するためのものは仕事を邁進している雄弁な証拠か。注視すれば、内装に用いられた御影石も頭上の照明を反射して光を放っているのが確認できた。
灯火ではなく照明とは、自動人形を稼働させるのと類似した技術が利用されているのか。一人で得心するヴィルヘルムは父親や案内に従って白亜の道を進む。
扉を潜った先では白衣を纏った一人の男性が、丸椅子に腰を下していた。正面では用途の掴めない水晶玉が一定の明滅を繰り返す。
「やぁ、ヴィルヘルム君。話は君の父さんから聞いてるよ、まずは誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
お辞儀を一つ、手で促されて水晶玉の前に設置された丸椅子へと腰を下す。男性の背後にはカレンダーと思しき紙面が壁に飾られ、今日の日付には丸の下に注釈が描かれている。
辛うじてシルヴィヴァレト家次男とだけ読めたが、他は乱雑かつ見慣れない文字列が占拠していた。
「今日は魔力測定に来たんだったね。じゃあ、端的に行こうか。
魔力の出し方は、知ってるかい?」
「……はい」
男性からの質問に一定の空白を置き、ヴィルヘルムは首肯する。
記憶の中にある本の一つ。親心で与えられた本に記載されていた内容を想起。記憶を辿れば、逆にどうして魔力に関する出来事を覚えていないのかと叱責されかねない程に明確な映像が浮かび上がった。
魔力とは回路を流れる血液のようなものであり、
回路は人間でいえば五歳を境に開き始め、明確なイメージの元にオンオフの概念を与えて制御する。
そして機械文明に揉まれて生きた前世を持つ者にとって、オンオフの概念には最適な代物があった。
「……」
右手を翳すと、明滅する水晶玉が何かを感じ取って唐突に光を閉ざす。
ヴィルヘルムが連想したのは、黄と黒の警戒色で囲われたボタン。容易に触れられないよう表面をプラスチック製の板で覆われたボタンは、見る者に危険の二文字を否応なくイメージさせる。
そこへ硬く、硬く。岩石の如く握り締めた拳を振り下ろし、渾身の力を以って板を叩き割れば右腕を通じて得体の知れない感覚が迸る。
力の奔流が掌を伝って空気を渡り、光を無くした水晶玉へと注がれる。
一定の量で満足したのか。先程までの一定間隔とは異なる、常なる輝きを以って室内を照らした。
「おぉ……!」
鮮やか緑。
目に優しい自然色がヴィルヘルムを包み込み、純粋な驚愕が声に零れる。
周囲に視線を配れば、背後に立つ父は光量に関心の吐息を漏らしていた。鋭く鋭利な眼差しも丸みを伴って開かれ、息子が有する才覚への動揺が見て取れる。
一方で水晶玉を挟んだ先に座る男性は驚愕に開口するものの、視線には訝しげなものが混じっていた。
「せ、先生……これっていったい……?」
咄嗟に出た疑問は、彼の視線に言い表せぬ悪寒が走ったためか。
やがて疲弊に限界が訪れたのか、右腕が力を無くして垂れ下がり、ヴィルヘルムの口からは熱い吐息が零れる。初の魔力行使に息が上がり、全身に熱が籠っているのを自覚する。
項垂れた視線を持ち上げ、男性と目線を合わせる。が、それでもなお彼は意味のある音を発することなく、思案するように腕を組むのみ。
何度か頷く様に気づけば、ヴィルヘルムの背筋に冷たいものが流れた。
先程までの光からは想像もつかぬ残酷な静寂が続き、数分が経過する。
「…………テルミドール君は、健常な魔力だったよね」
堰を切った男性の言葉は、目的の掴めぬものであった。
背後に立つ父親が雰囲気に息を飲みつつ、殊更ゆっくりと首肯する。過剰なまでに音が室内に響いたのは、極度の緊張から来るヴィルヘルムの幻聴であろうか。
父親の反応に目蓋を閉じ、再度開かれた男性の目には覚悟の炎が灯っていた。
「君になのか、ヴィルヘルム君になのかは分からない……けど、心して聞いてくれ」
警告染みた言葉を前に、室内の緊張は最高潮に達する。
ヴィルヘルムは深呼吸を繰り返すも、吐き出す息には震えが混じる。
いっそさっさと口を開いて楽にしてくれ、とでも嘆願したくなる程の空気が幼子を包み込む。曲がりなりにも一九歳まで生きた魂でこれなのだから、肉体と精神の年齢が一致していれば泣き喚いても不自然ではなかろう。
断頭台へ至る一三階段を上る心境で待機していると、男性は判決にも似た声音で事実を告げた。
「どちらに起因しているのかは分からない。けど……ヴィルヘルム君は、呪われている」
「呪……い?」
「受け止められないのも無理はない。それに命に別状はない類には見えるから、そういう意味では安心していいよ」
呆然と紡がれた単語へ、優しい口調で応じる男性。慈愛を感じさせる声音は可能な限り、眼前の幼子が抱くであろう不安を払拭しようという意志に溢れていた。
一方で父親は口を開くことも出来ず、ただ驚愕に放心する。
自身の悪因が息子へ返っているのかもしれないのだ。現実逃避を行ったとして、いったい誰が責められようか。
「魔法に関する五大属性は知っているかな?」
「確か火、水、風、土、雷の五つでしたよね」
「そうだね、よく勉強してる。
……今回の魔力測定は、その内どれに適正があるのかを調べるものなんだ。光の色に応じて適正のある属性が確認できる。
でも、その中にあんなに鮮やかな緑なんてないんだ。風の緑はもっと淡泊だし、他は論外。あの緑は本来、回復に由来する緑なんだ」
付近の机から一枚の紙を取り出すと、男性はヴィルヘルムの前に突き出す。
医師や説明用に印刷された水晶玉の用法といったところか。そこには絵面で表現された五大属性とイコールで結ばれた色が提示されている。
風を意味する波線と繋がった緑と見比べてみても男性の言う通り、濃淡に大きな開きが感じられた。
「回復の……」
無意識に回復魔法を行使した、などと楽観視できる状況でないことは明白。そも、書籍以外の形で魔法と関わった経験すら薄いのだから。
ならば何故、回復を意味する光を水晶玉が発したのか。
成程、確かに順を追って説明を受ければ呪いという結論に達するのも納得する。
「もう少し精密検査を行う必要はあるけど、いくら特異体質といっても魔力そのものに回復効果があるだなんて聞いたことがない」
前代未聞の事態に額へ手を置く男性とは裏腹にヴィルヘルムは俯き、床を真っすぐに見据えて肩を震わす。
父親に覚えのない呪いとあらば一つ、否。一柱、心当たりがあったが故に。
芝浦とヴィルヘルムの狭間、両者を繋ぐ魂として邂逅した神と思しき存在。生前の罪状を列挙した魂の神判を下し、人間道行きを決定づけた超越存在。視覚の自由が利かなかったために容姿の判別すらもつかないが、それでもほくそ笑む表情が脳裏を過ったのは恨みの深さが成せる業か。
「ま、まだ回復魔法以外が扱えないと決まった訳じゃないから……!」
肩を揺らすヴィルヘルムが落ち込んでいると考え、励ましの言葉を送る男性の声は聞こえない。
「機材の故障かもしれない、すぐにでも再検査を……!」
ヴィルヘルムが呪われている訳がないと、現実を拒絶して再検査を要求する父親の嘆願は鼓膜にまで届かない。
五歳という肉体年齢も忘れた幼子は勢い良く顔を上げると、万感の憎悪を込めて天井の先に座する者へ叫んだ。貴様の思惑で地上に下りた魂は、今貴様の思惑通りに苦しんでいるぞと高らかに謳うかのように。
「あんのクソ神がぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」