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【ヴィルヘルム・ロ・シルヴィヴァレトその2】

 薄暗い闇に光が灯り、顔の下半分をマスクで覆った人々に覗かれる。

 壁に寄りかかりながら両腕に力を込め、初めて二本の足で立ち上がった。

 滲む視界の奥に、鬼の形相で怒気を露わにする父の姿が浮かぶのは、確か書斎に纏めてあった本でドミノを行った日のことか。

 断片的な記憶の集合体が時間軸を無視して乱舞する光景は、ゲームのロード画面を彷彿とさせた。正面から流れる記憶の断片が突き抜ける度、新たな断片が跳び込んでくる様も先の印象を強める。


「なんか、昔にもこんなことあった気がするな……」


 断片的な記憶の集合体が列を成して再生される様は、芝浦の記憶の最も古き記憶の乱舞にも合致していた。もしくは魂だけが一九年の歳月を過ごしているがために、より鮮明さを増しているのか。

 いずれにせよ。肉体の自由が効かないのでは、第三者目線での目撃を強いられているのと何ら差異はない。

 意味する所は退屈で、芝浦の魂は大口を開けて欠伸をする始末。

 もっと真剣に拝見して、少しでも過去の記憶を定着させるのが正道なのかもしれないが、退屈なものはどうしようもない。両の足で立ち上がるのがやっとな子供に言うのは酷だが、見られている自覚を持って派手な出来事に努めて欲しい。


「ま、これが僕の身体になる訳なんですけど」


 気づけば幼く甲高いものへと変貌していた声に軽い動揺を見せると、芝浦の魂が何かへと引っ張られる。

 意識が定着する前振りなのか。四肢が拡張するようにも、むしろ縮まるようにも思える不思議な感覚が全身を包み込んだ。

 そして、肉体と同期する。


「ん、あ……あー、あー」


 本来の肉体が自動車によって轢かれ、魂の状態で神判をやり過ごし、その末に子供の肉体に実質宿った形となっている。機械の始業前点検を行うように、芝浦だった幼子は自分の身体を動かす。

 小指から順番に折り曲げ、肩を回し、腰を捻る。走り回る訳にはいかない分、可能な限り足を上げて可動部の確認を行い、首を左右に振って辺りを見回す。

 真紅のカーペットが床一面を埋め尽くし、赤煉瓦で組み立てられた暖炉では薪の弾ける音が心地よく鼓膜を撫でる。壁には格調高いが作者に検討のつかない絵画が並び、立てかけられた時計には英数字で時を刻む。


「結構ないい家っぽい、のでしょうか……?」


 見慣れない絵画は自身の無知かそれとも偽物を御大層に展示しているのかの二択だが、可能ならば前者を望みたいところ。それ以外の要素を見れば、間違いなく名門良家の類と予想ができた。

 可愛らしい音が付随しそうな様子で幼子は歩き、付近の姿見を覗く。

 映し出されたのは、実の子であらば溺愛していたと確信を抱く少年。

 左右で長さの異なる濡烏の髪に大きな漆黒の瞳。頬を撫でるモミアゲにはバツ状の髪留めがしてあり、小柄な体躯に纏うは中世ヨーロッパを彷彿とさせる質のいい赤の衣服。貴族の二文字が脳裏を掠めるが、部屋全体から漂う気品は幼子の予想を肯定しつつあった。


「うーん……前の顔はもっと男って感じでしたけど、これはこれは」


 まるで女の子だ、という呟きはしかし、口元に浮かぶ醜悪かつ凄絶な笑みの前に掻き消される。

 子供の身体に、貴族という恵まれた立場。

 輪廻断絶や修羅道、人間道という単語や魂に由来する要素から、今の状況はおそらく輪廻転生したということであろう。六つ存在する道の中に更なる分岐があるという話を耳にしたことはなかったが、芝浦として存在した世界とは異なるという確信に似た感覚があった。

 常ならざる世界ならば、法にも差異は生じよう。


「少年法の類は果たして存在するのか。あるのならば、有効活用するしかないですよね……有効に、一人か二人くらい殺ってみたいですね」


 姿見に手を当て、興奮に目を見開く。

 呼気が反射する自身へとぶつかり、気温差による微かな曇りを与える。心臓の高鳴りを抑えようと努力をするも、早々に放棄した。

 法整備を確かめ、視点が異なる故の抜け道や子供の身体だから行える裏技を見出し、そして──


「ヴィルヘルムー。そろそろ出るぞ!」

「……はーい、分かりました!」


 部屋の外から投げかけられた言葉に返事をすると、一呼吸を置いて扉の取っ手を捻った。

 今日はヴィルヘルムと呼ばれた幼子が誕生した記念すべき日。そして五回目の誕生日には特別な用事が追加され、外に出向く必要が生まれているのだ。

 部屋の外で待機していた男性は灰寄りの黒スーツを身に纏い、研ぎ澄まされた刃の如く鋭い眼差しを持つ。金糸で紡がれたかのようなオールバックや見上げる必要のある偉丈夫など、本当に血が繋がっているのか疑問視される要素も多い。

 が、実の息子が姿を見せた途端に緩んだ頬こそが何よりも雄弁な証拠に他ならない。


「どうしたヴィルヘルム、そんなに楽しみなのか?」

「はい。僕に何ができるのかを知れるんですから」

「ハッハッハ、それもそうだな。兄さん同様、お前もシルヴィヴァレト家の人間として立派に大成するだろうからな」


 幼子の口調としてはやや堅苦しいかと不安の念も僅かにあったが、父親の反応からするに杞憂の模様。生前の口調を引き継げるのは、彼としても変な演技をする必要がなく好都合と言えた。

 では行こう、と進む父親の背を追って玄関を潜ると、視界に広がるのは一面の緑。

 造園師でも雇っているのか。自然と呼ぶには人の手による干渉が一目で分かる庭は左右対称に草木が立ち並び、紫や赤といった鮮やかな色合いが視覚を楽しませる。足元にはカーペットの代理とばかりに敷き詰められた煉瓦が、二人が並んで歩ける程度の感覚で広がり、端では白帯が庭への干渉を妨げる。

 弾かれたように背後へ振り返れば、そこに建つは人の二人や三人では手の回らない大豪邸。赤煉瓦を基調として要所で純白の御影石で帯を形成する様は、過去に建設関係の書籍で見た辰野式と呼ばれる建設方式と一致する。しかし幼子の視覚では収まらぬ威容は、自身の生まれが如何に恵まれているのかを自覚するには充分な威力を秘めていた。

 吹き抜ける一陣の風が寒気を以ってヴィルヘルムの肌を撫で、思わず身を寄せる。


「あ……待って下さい、お父様!」


 意識が正面に戻ると、父親の姿は既に道の大半を進んでいる最中であった。慌ててヴィルヘルムも後を追うが、幼子の歩幅では大人に追いつくのも一苦労。

 結果、門を潜る頃には父親が振り返って待機している始末であった。


「おいおい、転ぶんじゃないぞ。ヴィルヘルム」


 父親が待機しているのは、黒を基調とした馬車。しかし手綱を握る存在は雇われの人物などではなく、下半身のない不自然な人型を成していた。

 黒塗りの乗り物というだけでも死因から来る嫌悪を抱くにも関わらず、運転手が物言わぬマネキンとあらば顔を引きつらせて父親を見上げるのも止むを得ない。

 もの言いたげな視線に気づいたのか、父親はヴィルヘルムの両脇を掴んで自身の目線まで持ち上げた。


「あぁ、最近馬車を買い換えてな。なんでも友人曰く、最近の自動人形オートマタは多少の悪路でも誤動作を起こさないと評判らしいんだ」

「自動、人形……?」

「なんだ、自動人形に関しての本は目を通してなかったのか?」


 父親の態度は既存の技術を未知のそれであるかのように呟く息子への懸念に満ち、思わず漏れ出た不勉強に対しての呆れにも感じられた。

 二人の接近を何らかの感覚器官で感じ取ったのか、自動で開いた座席の扉を潜る。

 内部は空調が行き届き、外界の寒さを忘れさせる温暖な気温が保たれていた。煉瓦などと同様に赤を基調とした合成皮革の座席は、腰を下せば心地良い反発が返ってくる。

 向かい合うように反対座席へと座った父親は、首を回すと窓を隔てた先に座る自動人形へ声をかけた。


「馬車を出してくれ。行先はオーディーンのクヴァシル総合病院だ」

「了解シマシタ」


 返ってきたのは機械的な、誰かの声を継ぎ接ぎしたような聞き取りに難のある声音。同時にしなる縄が音を立て、促された馬が徐々に動き始める。

 回る車輪の軋みを背景に、父親はヴィルヘルムと向き合う。


「今日はお前の誕生日だから強くは言わないが、もう少し新しい技術にも目を通した方がいいぞ。視野が広くて困ることはそうないからな」

「はい、分かりました」

「ふっ、いい子だ」


 素直な反応に首を縦に振る父親は窓の先へと視線を注ぎ、まだ見ぬ目的地への期待を口にした。


「さぁ、今日の魔力測定はどのような結果が出るだろうな」

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