私は返事がないと分かっていながらも独白を続けた。
「でも、前世で貴方だけが死んでいたら、私も追いかけていたと思う。独りで生きる寂しさには、もう耐えられそうになかったから。だから、あの時は一緒に死んで、よかったのかも……しれない」
前世で剣に刺された胸が熱くなる。私は強くリロイの手を握った。
(魔女だった私に寄り添い、人としての温もりと感情をくれた、たった一人の特別な人……)
前世から強く惹かれて、捕らわれて。
「あなたがいなくなったら……私は、生きていけないかもしれない」
ローレンス領にいる家族や領民の顔が浮かぶ。
「家族もローレンス領の領民も、みんな
こんな状況になって、やっと自分の気持ちに気づくなんて……
「両親も家族も領地も大切だけど……それ以上に私には、あなたが必要なの」
複雑な感情が入り交じる。もっと早く認めていれば……もっと早く伝えていれば……
「あなたがいなくなったら、私はどうなるか……」
今のリロイと同じように心臓の動きを止めてしまうかもしれない。
「ねぇ……」
希望を込めて呼びかける。
「起きてよ」
魔力はないけれど。
「お願い」
魔法は使えないけれど。
「起きて」
それでも願いをこめて、あなたの名を呼ぶ。
「リロイ」
頬から一筋の雫がこぼれた。真っ白なシーツに落ちてじわりと広がる。静寂の中、薪が燃え、火が弾ける音が響く。
ほんの数秒。とても短いけれど、永遠のように長い時間。
握っているリロイの指が微かに動いた。次に美声が私の耳をくすぐる。
「ソフィア……?」
その声に体が痺れるも、幻聴かと疑ってしまう。
「……リロイ?」
恐る恐る顔をあげた私に白い顔が微笑んだ。
「はい」
ずっと聞きたかった声。ずっと見たかった琥珀の瞳。ふわりと香るレモングラスの匂い。涙で視界が滲む。
「……リロイ?」
震える私の声にしっかりとした返事。
「はい」
(幻じゃない! ちゃんと生きている!)
ボロボロと涙がこぼれる。私は寝ているリロイに抱きついた。
「よかった!」
真っ赤な髪が揺れる首元に顔を埋める。まだ、普通の人と比べたら体温は低い。それでも、さっきより拍動が強くなっている。
逞しい腕が私を抱きしめる。
「ソフィア」
優しい声。それから、リロイの手が離れた。
「……すみません」
リロイが気まずそうに顔をそらす。
思わぬ行動に私は顔をあげた。
「なにが?」
リロイが弱々しい声で話す。
「二度とあなたの前で剣を持たない、と誓っていたのに……」
(もしかして、父との模擬試合で剣を使わなかったのは……)
くすぐったいものを感じながら私は微笑んだ。
「あなたが付けてくれたブローチが守ってくれたから、大丈夫よ。気にしないで」
それよりも、あなたが目覚めてくれたほうが嬉しい。
だから、平気だと主張してもリロイの表情は優れない。
「それだけではありません。先程……夢の中で、あなたの声が聞こえました。前世で、私はペティが一緒に逃げてくれるなんて考えてもいなくて。もしあの時、一緒に逃げていたら……」
申し訳なさそうに琥珀の目を伏せる。
「生まれ変わってから、何度も考えました。あの時に別の道を選んでいたら、どうなっていたのか。答えなんてないのに、過去を変えることもできないのに、何故か何度も考えてしまって……」
そのまま無言になるリロイに私は少しホッとした。
「あなたでも後悔をするのね」
リロイが不思議そうに首を傾げる。
「後悔、ですか?」
「前世のことを後悔しているんじゃないの?」
リロイが驚いたように目を丸くした。
「後悔……これが後悔という感情ですか!」
半分感動しているような声。
「え? まさか、後悔しているって自覚がなかったの?」
私の問いに答えずリロイが一人で納得する。
「これが後悔! 初めてしました」
「どれだけ自信満々に生きてきたのよ!」
思わずツッコミをいれた私の手をリロイが握る。でも、その動きは緩慢で力が入っていない。
「やはり、あなたと一緒にいると自分が知らない感情を知ることができます。これからも、ずっと一緒にいてもらえませんか?」
ポンッと顔が熱くなる。後半の言葉だけならプロポーズともとれる。前世からの想い人に言われ、普通なら喜ぶ場面なのかもしれない。
けど、問題は前半の言葉で……
「つまり、あなたは自分が知らない感情を知りたいために私を利用したいってこと?」
「ち、違いまっ!?」
ジド目で見つめる私に対してリロイが慌てる。……って、慌てている!? あのリロイが!? 初めて見た!?
驚く私に気づいていないのか、リロイが否定しながら体を起こそうとする。
「違います! そうではなく、私は……ウッ!」
顔を歪めて前傾姿勢になる。私は急いで手を伸ばした。
「まだ動いたらダメよ」
リロイの体を支えようとして手を掴まれる。
顔をあげると、琥珀の瞳が私を見据えていた。真っ直ぐ澄んだ輝きから目が離せない。まるで、夜空に浮かぶ一番星のような……
薄い唇が決意したように、ゆっくりと動く。
「……愛しています」
幻聴かと思った。
「え?」
固まった私の手を握ったままリロイが言葉を続ける。
「やっと、気づきました。前世の時から今も、私はずっとあなたを愛していました」
驚愕の連続に頭が真っ白となる。
「前世の時、から……? でも、前世では私を殺して……」
その言葉に私の手を握る力が強くなる。
「それは、あなたを殺して永遠に自分だけのモノにしようとしたんです。あの時は本当に申し訳ありませんでした」
消え入りそうな声とともにリロイが頭をさげる。その姿は小さくて、第三王子の威厳も、いつもの自信に溢れた様子もなくて。
幼い子どもが怒られるのを怯えて待っているような……
前世のことは謝っても消えることはない。けど、それ以上に様々なことをくれた。そして、今の私に必要なことは嫌というほど思い知った。
もう、後悔はしたくない。
私はリロイの少しこけた頬に触れた。
「顔をあげて」
恐る恐る私を見上げるリロイ。
燃えるような赤い髪。涼やかな目元に琥珀の瞳。眉目秀麗な顔立ち。鍛えられた体に、無骨な手。前世から変わらない、愛おしい存在。
「……私も、愛してる。ずっと、前世の頃から」
琥珀の目が大きくなる。まるで信じられないと言っているかのよう。
「……本当に?」
確認されて恥ずかしくなった私は顔を背けた。
「そ、そうよ。でも、信じないなら……キャッ!」
逞しい腕が温もりとともに全身を包む。レモングラスの香りが鼻をくすぐる。襟足から長く伸びた髪が頬を撫で、力強い鼓動が耳に響く。
「愛してます、ソフィア」
その感情がこもった言葉に心が震える。涙が自然とあふれる。
私はリロイの背に両手をまわして抱きしめた。
「私も」
噛みしめるように呟く。
ともに生きている幸せ。これからは二人で一緒に……
※※
豪華絢爛な王城の廊下。
私はドレスの裾を持ち上げたまま死に物狂いで足を動かしていた。走る私を王城の使用人たちが『またか』という生温い目で見送る。
息も切れ切れの私に背後から声が迫ってきた。
「待ってください!」
「あー、もう! しつこい!」
日が落ちた暮れの庭。薄暗く闇に染まる木々の間に身を滑りこませようとして、手を掴まれた。
「待ってください!」
「待ち……ま、せん!」
息が上がりすぎて言葉もロクに紡げない。手を振り払おうと必死にもがくけど、握られた手はますます力が強くなり、腰を引き寄せられる。
「やっと捕まえました」
嬉しそうに笑う琥珀の瞳。真っ赤な髪の隙間からピンと立った犬耳と盛大に左右に動く尻尾の幻影が見える。
私は周囲に人の気配がないことを確認して言った。
「待て! お座り!」
リロイがサッとその場に片膝をついて私を見上げる。
「まったく、もう。城の中で走らせないで」
私は乱れたドレスを手で簡単に整えた。
「すみません。ソフィアの顔を見たらすぐにでも抱きしめたくて」
という言葉と同時にレモングラスの香りに包まれる。
私は全身でリロイの温もりも感じながら呆れたように言った。
「待てとお座りもできないの?」
「ちゃんとしましたよ?」
でも、我慢できなかった、と言わんばかりに私を抱きしめる。
体を密着させたままリロイが私の耳元で囁いた。
「久しぶりの逢瀬なのに逃げられたら追いたくなるでしょう?」
「逢瀬じゃなくて仕事よ。ローレンス領の物流問題を解決するための」
結局、物流問題の解決策はリロイが提案したものに決定。本格的に始動するため、現地に詳しい私の意見もほしいと王城の会議に呼ばれることも。
そうなれば参加しないわけにはいかない私は渋々、登城して仕事をする。そして、帰る間際にこうしてリロイに追いかけられる。
「正式に婚約者になったわけですし、もう少し一緒に過ごしませんか?」
一時は心臓が止まりかけたリロイだけど、持ち前の体力で翌日には復活。それからは自分が発案した解決策を実行するため、忙しく動いている。
そのため、会う時間は限られ、すれ違いの日々。
「愛してます、ソフィア」
囁かれた言葉に顔がポンッと熱くなる。
「だから、そのどこでも、いつでも言うのは止めて」
私が逃げる理由の一つがコレ。隙あらば、いつでもどこでも愛を囁く。
慣れない私は毎回、心臓が爆発しそうなほどドキドキするし、何より周囲からの目が痛い。
しかも、見本にしているのが私の両親らしく、すぐに甘い雰囲気を作ろうとする。人目と気にすることなく王城のホールでもするのだから、本当に勘弁してほしい。
そんな私の気持ちなどおかまいなしでリロイが私の腰を引き寄せる。
「これでも控えているんですよ?」
甘ったるく微笑むリロイ。その顔に絆される私も大概で。
諦めたようにため息を吐くと、薄い唇が耳に触れた。
「愛してます」
「知ってるわ」
私の素っ気ない言葉にリロイがとろけるような笑みになる。大きな手が私の頬を包み、顔が近づく。
王城の庭の木々に隠れ、二人の影が一つに重なった。