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第34話 二人の想いと目覚め

 先程までの騒がしさが嘘のような静けさが室内に落ちる。

 私は改めて室内を見まわした。


 小さな窓と机と必要最低限の家具。装飾品は一切ない。応接セットや足元の絨毯など使われている物は一級品だけど、全体的には質素な部屋。


(ある意味、リロイらしいかも)


 無駄な飾りは好まない。前世の頃から変わらないところ。


 私はリロイが眠るベッドの隣にあるサイドテーブルに鞄を置いて中身を広げた。薬を選んでコップへ入れる。


「強心剤と体温を上げる薬と……あと、溶かす水の量は最低限にして」


 調合した薬を少量の水に混ぜ、それから私は口に含んだ。


(お願い、上手く飲み込んで)


 私は眠るリロイの唇に口をつけた。柔らかくも冷やりとした感触。苦味を帯びた水が私の口からリロイの口へと流れていく。


「……ん」


 すべての薬を口移しで飲ませた私は顔をあげた。リロイの様子に変化はない。


「あとは薬が効くのを待つしかないわね……」


 鞄を片付けた私は枕元の椅子に腰をおろした。

 こんなに近くにいるのに、なぜか遠くに感じる。触れられる距離なのに、どうして……


 眠るリロイに手を伸ばし、真っ白になった首に触れた。ゆっくりとした拍動で、今にも止まりそう。それでも、さっきよりは温もりがある。


 私は布団に手を入れ、冷えた手を強く握りしめた。


「なんで、心臓が止まりかけているのよ」


 私を刺した後、リロイはあの場で倒れ、起きなくなったという。そうなった原因は不明。


「まさか、私を刺したショックでこうなった、わけじゃないわよね……」


 生気のないリロイの顔。

 琥珀の瞳は瞼に隠れ、真っ赤な睫毛がまっすぐ伸びる。通った鼻筋に眉目秀麗な顔立ち。美声を響かせる薄い唇は閉じられたまま。

 まるでおとぎ話に出てくる眠り姫のような姿。


「……私は起きたわよ。あなたも、起きてよ」


 返事はない。高地酔いの時も、酒に酔い潰れた時も、一晩で回復していたのに。


「ねぇ、何か話してよ」


 声が聴けないことが、こんなに寂しいなんて。


「目を、開けてよ」


 琥珀の瞳を見せてほしい。


「もっと、私に触れてよ」


 無骨な指が、大きな手が、その温もりが、懐かしい。


「ねぇ……」


 レモングラスの香りが鼻をくすぐる。でも、それだけでは満たされない。あなたの声が、目が、温もりが、すべてが足りない。


「私を、独りにしないで……」


 氷のように冷たい指を両手で包み、祈るように額へつける。


 嫌でも思い出す、前世の記憶。

 長く過ごした独りの時間。平穏だけど、孤独で。同じ毎日だけど、侘しくて。

 そんな時間も慣れたと思っていた。けれど、ロイと出会って変わってしまった。


「貴方と一緒に過ごす時間が楽しくて、嬉しくて……だから、余計に独りの時間が寂しくて、辛くて……」


 私は目を閉じて軽く息を吐いた。


「前世の最期の時、ね。一言、相談してくれたらって、ずっと思ってたの。相談してくれたら、私は貴方と一緒に逃げたわ。住んでいた場所に執着があったわけじゃないし、貴方が一緒にいてくれるなら……私は、どこでもよかった」


 やっと気づいた自分の気持ち。こんなことになるなら、もっと早く言っておけばよかった。後悔ばかりが心に募る。


 目を閉じていた私は、赤い睫毛が揺れていることに気づいていなかった。



~※~※~



 ――――――眠りについたリロイは、真っ黒な世界に一人佇んでいた。



 音もなければ色もない。現実ではありえない世界。


「夢、か?」


 足元を濡らすドロリとした黒い沼。手には真っ赤に染まった剣。


「また、繰り返してしまった……」


 剣を持つだけで彼女は恐怖に染まった顔になる。前世を考えれば当然のことで、その表情は見ていられない。


「二度と、彼女の前では剣を持たないと誓っていたのに……」


 落ちた言葉が闇に吸い込まれる。


 目の前で散った淡い金髪。閉じられた淡青の瞳。再び奪ってしまった命。


「もう、生きる意味はない」


 このまま永遠の眠りにつこうと目を閉じる。足元がぬかるみ、体が沈んでいく。沼の中から無数の手が現れ、体に絡みつく。闇の中へと引きずり込まれる。

 足から腰、胸から肩と、徐々に沼に浸かっていく。全身が冷え、意識が薄れていく。黒い手が喉に絡みつき、息を止めようとする。


(これで、終わりか)


 すべてを放棄しようとした時、唇に温もりが触れた。柔らかく、あたたかい。初めての感触だが、心地良く微かに甘い。


 突然のことに意識が浮上する。そこに、微かな音が聞こえた。


『……ねぇ』


 柔らかく、心をくすぐる声。


「この声は……彼女の?」


 それにしては弱々しい。どれだけ記憶を遡っても、こんな悲しげな声は聞いたことがない。そもそも、彼女は死んだのではなかったのか。

 悩んでいると再び声が聞こえた。


『私を、独りにしないで……』


 彼女の泣きそうな声が胸に刺さる。まるで全身を引き裂かれるような、どんな傷よりも痛く苦しい。こんな感覚は初めてで。


(これはなんだろう……)


 戸惑っていると、再び声が聞こえた。


『貴方と一緒に過ごす時間が楽しくて、嬉しくて……だから、余計に独りの時間が寂しくて、辛くて……』


 私も共に過ごす時間は楽しくて、喜びにあふれていた。

 だから、ずっと自分だけのモノにしたかった。どんな些細な変化も見落としたくなかった。すべてをこの目に焼き付けて、彼女のすべてを知りたかった。


『前世の最期の時、ね。一言、相談してくれたらって、ずっと思ってたの。相談してくれたら、私は貴方と一緒に逃げたわ。住んでいた場所に執着があったわけじゃないし、貴方が一緒にいてくれるなら……私は、どこでもよかった』


 その言葉に胸が抉られる。

 過去に戻れるなら、自分を力づくで止めたい。延々と説教をしたい。別の未来が、もっと最善の未来があったのに。その可能性を潰した自分を殺したい。


 自分への怒りが沸き上がる。


 なぜ、あんな短絡的な行動をしたのか。なぜ、あの時はあれが最善だと思ったのか。


『でも、前世で貴方だけが死んでいたら、私も追いかけていたと思う。独りで生きる寂しさには、もう耐えられそうになかったから。だから、あの時は一緒に死んで、よかったのかも……しれない』


 胸がキュッとなる。

 あの時の自分の行動を肯定されても嬉しくない。


『あなたがいなくなったら……私は、生きていけないかもしれない』


 その言葉に焦る。

 動きたいのに、動けない。沼から伸びる無数の手が邪魔をする。


『家族もローレンス領の領民も、みんな今世の私ソフィアに温もりをくれた。人として慈しみ、愛してくれた。でも、魔女であった前世の私ペティを愛してくれたのは……』


 息をするのも忘れる衝撃。


「……私は、愛していたのか」


 零れた言葉がストンと心に嵌まる。


 彼女が他の誰かに興味を持つことに苛立ちがあったのは、嫉妬していたから。自分以外を見てほしくなかったのは、独占したかったから。

 とにかく、彼女のすべてがほしかった。


 一方で、大事にしたい、守りたいという想いが自然と湧き上がり、気持ちがあふれる。何者にも代えがたい愛おしい存在。


 知識として知っていたが、自覚することはなかった。


『両親も家族も領地も大切だけど……それ以上に私には、あなたが必要なの』


 彼女の言葉に喜びで満たされる。


 これまで、どれだけの人に必要とされようが心が動くことはなかった。それなのに。彼女に必要とされることが、こんなに嬉しいとは。


『あなたがいなくなったら、私はどうなるか……』


 いますぐ彼女の下へ行かないと。

 沼から抜け出そうとすればするほど無数の手に押さえつけられる。


『ねぇ……』


 切なく懇願する声が響く。


『起きてよ』


 何度も起き上がろうとするが、その度に無数の手に引きずり込まれる。

 無様に顔を沼で汚しながら、それでも諦めずに足掻く。

 こんなに必死になったのは初めてかもしれない。


『お願い』


 沼に引きずり込もうとする無数の手を払う。


「邪魔をするな!」


 顔をあげると星のような輝きが一つ。

 まるで明けの明星のよう。


「どうしても、彼女に伝えたい」


 今までの気持ちを。

 初めての感情を。

 伝えたい。


『起きて』


 導くように輝く星。

 その光が徐々に大きくなる。

 体にまとわりついていた無数の手が消え、黒の世界が白に染まる。


「もう一度、会いたい!」


 彼女に再び会うために、力の限り手を伸ばす。


『リロイ』

「ソフィア!」


 二人の声が重なり、眩しい光が世界を包んだ。




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