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第32話 魔女から辺境伯令嬢へ

 冬の足音を感じる日のことだった。

 周囲の木々は葉を落とし、秋の実りも終わりとなる頃。私は冬を越すための薪を集めていた。


「これだけあれば大丈夫かしら」


 薪小屋に詰め込んだ木々の香りに満たされながら手についた汚れを払う。

 そこに鋭い気配が迫ってきた。


「ロイ? でも、それにしては……」


 薪小屋から出て周囲を探る。すると、いつもの崖からロイがよじ登ってきた。


「やっぱり、ロイ……って、どうしたの、その血は!?」


 真っ赤に染まった騎士服。腰には立派な剣。まるで歴戦の騎士のような……って、今はそんなことを考えている場合じゃなくて。


「怪我をしたの!? 手当てを……」


 私は駆け寄ろうとして異変に気が付いた。


 いつもとは違う興奮と高揚が混じった顔。琥珀の瞳が獰猛に燃え上がり私を見つめる。


「……ロイ?」


 私の問いに返事はない。

 無言のままロイが腰の剣を抜く。その動きにどういう意味があるのか、その時の私は理解できなかった。

 あれだけ人懐っこい犬のように私を慕っていたから、完全に油断していた。


「ペティ」


 興奮に酔ったまま笑みを浮かべて私を呼ぶロイ。


「なに……えっ?」


 一瞬でロイが私の前に移動する。同時に胸に痛みが走った。

 視線を下げれば私の胸に深く刺さる剣。全身が熱くなり、力が抜けていく。


(あぁ……ロイは、私を殺しに来たのね……私を油断させるために、近づいて……ころす、ため、に……)


 不思議と気持ちは落ち着いていた。憎いとか、悔しいとか、そういう感情は一切ない。

 心の奥底では、ロイの手で最期を迎えることを望んでいたのかもしれない。もしくは、ようやく終わりがきた、と安堵したのかもしれない。


 死を悟った私は最期の魔女の力を使って願った。


「もし、生まれ変われるなら、平凡な……普通の人に……」


 視界から色か消えていく。その中で私を見つめる琥珀の瞳。その瞳に捕らわれたのは、いつからか。もしかしたら、初めて会った時から……


(できれば、貴方と……本当の名を、呼びあって……生き、た…………)


 世界が真っ暗になり、私は魔女としての生を終えた。


 覚えていたつもりだったのに、ところどころ抜けていた前世の記憶。それだけ私にとって大切で特別な感情だった。

 でも、すべてを引き継ぐには重すぎて……



 無意識に一部の記憶と感情を封じて、ローレンス辺境伯の娘に生まれ変わっていた。



 辺境でも伯爵家の娘で、前世の知識もあったら、平凡でも普通でもなかった。

 けれど、両親と兄たちは私に惜しみない愛情を注いでくれて。城の使用人たちも領民たちも、みんなが一つの家族のようにローレンス領を支えてくれて。

 前世で人恋しかった私の心は満たされていった。


 まるで砂漠の砂が水を吸うように私は人と触れ合い、会話を楽しんだ。それでも、記憶の隅にはロイの存在があって。

 前世の私を殺したのに、忘れたいはずなのに、どうしても忘れられない。


(この感情は何なのか)


 複雑な気持ちを抱えたまま、私はローレンス領の未来について考えるようになった。


 私の乾いた心を満たしてくれた家族と領民たちに恩返しをしたい。安定した物流路が確保できれば、今より安定して、落ち着いた生活ができるようになる。


 そのためには、どうしたらいいか。


 考えた結果、私は王都での情報収集をすることにした。知識は道具にも武器にもなる。魔女だった私が知らないことも王都にはあるかもしれない。


 社交界デビューに合わせて初めて王都へ。そのまま、王城の舞踏会へ参加……したところで、あなたと会った。


 初めてその姿を見た時は、恐怖で足がすくんだ。最期の瞬間が嫌でも思い出される。


 けど、それ以上に心の奥底で喜びがあった。再び会えたことに、どうしようもなく惹かれる気持ちがあった。


 でも、どうしてもそのことを認めたくない私は、必死に気づかないようにした。


 裏切られたくないから。


 期待して、また裏切られたら……私はどうなるか分からない。だから、私は全力で逃げた。なのに、あなたは追ってきて……



 土下座の懇願。



 さすがにこれは予想外すぎて拍子抜けしてしまった。警戒心は残ったけれど、硬くなっていた心が少しだけ柔らかくなって。


 その後も破天荒な行動ばっかりの、あなた。

 でも、その度に絆されていた。高地酔いになったり酒に潰れたり。前世では見ることがなかった姿に、頑なだった私の気持ちは揺らいだ。


 前世とは違う、今のあなたに少しづつ惹かれて。


 だけど、認めたくなくて。


 頑張って否定して、心を閉ざそうとした。それでも、あなたは勝手に距離を縮めて、私の心の中に入ってきた。


 その心地よさに身を委ねたい。でも、裏切られるのは怖い。



(私は……これから、どうしたらいいの……)



 ゆっくりと浮上していく意識。眠気はなくスッキリとした目覚め。


 目を開けると見慣れた天井があった。王都にあるローレンス家の別邸の自室。

 試しに体を起こしてみる。動きはスムーズで重みも痛みもない。


「……喉が渇いたわね」


 声も普通に出せた。

 安堵しつつ枕元のサイドテーブルに置いてある呼び鈴を鳴らす。すると、すぐにクロエが部屋に入ってきた。


「ソフィア様! お体は!? お体の調子はいかがですか!?」


 飛びつかんばかりに迫るクロエの勢いに負け、起こしていた体が倒れかける。


「だ、大丈夫そうよ」


 私の顔を覗き込み「良かった」と大きく息を吐くクロエ。そして、次に顔をあげた時には、いつもの有能メイドの表情になっていた。


「失礼いたしました。ご用件をどうぞ」

「喉が渇いたから、飲み物を持ってきて。あと、何が起きたのか教えて」

「はい」


 部屋を出たクロエが素早くレモン水が入ったピッチャーとグラスを持って戻る。

 私はベッドに座ったままグラスに注がれたレモン水を一気に飲んだ。冷えた水が喉を潤し、レモンの爽やかさが後味をさっぱりとさせる。


「美味しいわ。で、どうして私は生きているの? 胸を刺されたと思ったけど」


 私の問いにクロエの姿勢が崩れる。


「そこからですか」

「そこからに決まっているでしょ」


 クロエがサイドテーブルに置いてあった布を私に差し出した。

 そこにはリロイが私に付けた真っ赤な宝石のブローチ……の残骸。


「このブローチが剣をうけとめました」

「え? 剣はブローチを貫かなかったの?」


 リロイの腕ならブローチを突き抜けて私の胸を刺すはずなのに。


「すぐに剣を手放したそうです。そのため、ソフィア様・・・・・は胸に少し痣があるぐらいで済みました」


 私の名前を強調したことに違和感を覚えながら、私は胸元を覗き込んだ。そこには打撲したような赤い痣がある。たぶん、剣から私を守ったブローチの跡なのだろう。


「それで助かったってわけね。そういえば、リロイ殿下は?」


 意識を失う前に見たリロイの顔が浮かぶ。幼い子どものように感情を丸出しにして、今にも泣きだしそうで……


 思い出そうとしていると、クロエの顔が険しくなった。


「どうしたの? リロイ殿下に何かあった?」

「それが……」


 話を聞き終えた私はベッドから立ち上がった。そのことにクロエが慌てる。


「急に動いたらお体に触ります!」

「平気よ。それより、王城へ行くわ。馬を準備して」


 私は指示を出しながら薬箱を開けた。必要そうな薬を選別して鞄に詰める。


「馬? 馬車ではなく馬ですか?」

「馬車よりも単騎の馬の方が早いから。あ、馬乗りができる服を選んで」

「ですが、馬乗りができるような服装では王城に入れないかも……」

「そこはどうにかするから。お願い」


 私の気迫にクロエが頭をさげる。


「わかりました。すぐにお持ちいたします」


 素早くクロエが準備した服に着替えた私は単騎で王城へ駆けた。




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