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第31話 魔女の暮らし

 どれだけの年月を一人で過ごしただろう。

 仲間は魔女狩りで殺され、最後の一人となった私。誰も近寄れない崖の上に家を建てて百年は過ぎた。細々とした暮らしだけど、平穏で安定した日々。


 ……が、それは唐突に崩れた。


 夏の強い陽射しの下。

 いつものように畑の世話をして実りを収穫していた時だった。


「トマトが食べごろね。豆と玉ねぎと干し肉を入れてトマトスープにしようかしら」


 独り言を呟きながら真っ赤に熟れたトマトをカゴに入れていく。話す相手もいないけど、こうして声を出さないと話し方を忘れてしまうから。


「これだけあればソースにして保存しておくのもいいわね」


 トマトが例年にない豊作。どうやって消費しようかと考えていると、聞いたことがない美声が響いた。


「すみません」

「ぷひゃっ!?」


 他人の声を聞いたのは百年以上ぶり。しかも、こんな崖の上にどうやって人が!?


落雷フルメン!』


 ドゴォン!


 太陽より眩しい閃光が走り、轟音とともに地が震える。声の主を確認する前に私は魔法で雷を落としていた。


「……あれ?」


 反射的だったとはいえ魔法はしっかり発動した……はずだった。常人なら気絶して倒れている……はずだった。


「……魔法による雷ですか? けっこう痺れるんですね」


 旅の服装姿の青年が綺麗な眉尻を下げて笑みを浮かべる。ちなみに、襟足だけ伸びた独特な髪型の毛先は焦げていた。




 道に迷って私の家ここにたどり着いたという青年。

 私は魔女だから会話をしただけで罰せられてしまう、と忠告をしたが、青年は聞く耳をもたず。ズンズンと家に上がり込み、興味深そうに室内を見まわした。


 恐怖も嫌悪も畏怖もない眼差しをむけられたのは二百年ぶりぐらいで。その状況に困惑しながらも私はお茶を淹れていた。


 道に迷い、まっすぐ突き進んでいたらここに辿り着いた、と照れたように頭をかきながら話す青年。その無防備ぶりについ警戒心が緩んでしまう。


 百年以上ぶりの他人との会話。自分と違う声。自分と違う意見。問えば返事がある。ずっと長く離れていた。忘れかけていた感覚。


 お茶が入ったコップをテーブルに置くと、青年は躊躇うことなく手にした。


「ちょっ、魔女が淹れたお茶なのよ!? 少しは疑いなさいよ!」

「え? 喉が渇いていたので飲もうと思ったのですが、ダメですか?」


 不思議そうに首を傾げる青年。今まで会ったどの人間とも違う。

 毒気が抜かれた私は肩をすくめて言った。


「もういいわ。ただのお茶よ。口に合えばいいけど」

「ありがとうございます」


 青年が一気にお茶を飲み干す。本当に喉が渇いていたのだろう。その飲みっぷりに私は思わず訊ねていた。


「おかわりはいる?」

「お願いします」


 こうして私が淹れたお茶を五杯飲んだところで青年が一息ついた。


「ありがとうございました。私の名前はロイ「ダメよ」


 鋭い声で自己紹介を止める。


「魔女に名前を教えてはいけないわ。名前を口にするだけで貴方を操ってしまうから」


 キョトンとしたように琥珀の瞳が丸くなる。


(操られるってなったら、さすがに帰るわよね)


 コップを片付けようと手を伸ばすと、青年がフッと笑った。


「別にあなたになら操られてもいいですよ」


 テーブル一つ分の距離を開けているのに耳元で囁かれたような低い声。琥珀の瞳が私を捕らえ、レモングラスの香りが包み込む。


 まるで抱きしめられているような感覚にカッと顔が熱くなった。コップを片付けようとした手を慌てて引っ込める。


「そ、そんなことを軽々しく口にする人なんて信用できないわ! あと私に近づきすぎないこと! 自動で魔法の雷が落ちるわよ!」

「そうですか。あ、私のことはロイドと呼んでください」

「ちょっ、私の話を聞いてた!? その耳は飾り!?」


 怒る私なんてどこ吹く風の青年がマイペースに訊ねる。


「ところで、あなたの名前は?」

「もう、なんなのよ! それとも、これが普通なの!? 私が隠れている間に、これが普通になったの!?」


 両手で顔を押さえ、項垂れる。

 そっと指の隙間から青年を覗いてみれば、赤髪の隙間から犬耳がピンと立ち、尻尾を左右に振っている幻影が。まるで、待てをしている犬のようで。


(子どもの頃に飼っていた犬みたい)


 その姿に絆されてしまった私は渋々、呼び名を教えた。


「……ペティ、でいいわ」

「ペティ! 良い名ですね!」


 本名を教えるわけにはいかないから呼び名を教えたのに、そんなに喜ぶなんて。

 私は微かな胸の痛みを覚えながらも、平然を装った。


「はい、はい。お茶を飲んだら出て行ってよ」

「え? もうすぐ日が沈むのに追い出すのですか?」

「まさか、泊まるつもり!? いくら困っていても魔女の家に泊まるなんて、ありえないでしょ!?」


 呆気にとられたものの私はそのまま押し切られ、初対面の青年を泊めることに。しかも、図々しく私のベッドに寝ようとしてきて。

 私は魔法で青年をソファーに縛り付け、ベッドの中で眠れぬ夜を明かした。


 翌日。


 どこか名残惜しそうに私を見つめる琥珀の瞳。私に近づきすぎたら魔法の雷が自動で落ちるため、ギリギリの場所に立っている。

 動きそうにない青年に対して私はシッシッと手で払った。


「街までの道は教えたんだから、さっさと帰りなさい」


 青年が意を決したように私を見つめる。


「また、来てもいいですか?」


 予想外の言葉に体が固まる。


 あるはずがないを期待するのは辛い。どれだけ生きても期待を裏切られた時の辛さは変わらない。それなら最初から期待しないほうがいい。


 そうやって長い時を独り生きてきた。


 だから、期待なんてしたくないのに……


「…………好きにすれば」


 絞り出したような声。それでも、しっかりと聞き取った青年の顔が明るくなる。


「ありがとうございます! では、また!」


 私の返事を待たずに青年が軽い動きで崖を飛び降りていく。常人ではありえない動き。だけど、この崖を登ってきたのだから、あれぐらい簡単なのだろう。


 風が草花を揺らす音が耳につく。遠くで鳥の鳴き声がする。

 これが、いつもの日常……のはずなのに。


「ダメね。久しぶりに会話をすると」


 慣れたはずの静寂が心に刺さる。人の気配が恋しくなる。


 私はすべてを払うように頭を振った。


 あの青年が来ることはない。もし来るなら、魔女狩りの兵と一緒だろう。そうなったら、ここを捨てて他の住む場所を探さないと。


 そう考えながらも心の奥底では青年の来訪を期待して……


 私は大きく頭を振った。


「トマトはソースじゃなくて干しトマトにして、荷物もまとめておかないと」


 こうしてレモングラスの残り香に戸惑いながら、私はいつでも引っ越しができるようにした。



 ――――――ところが。



 青年を見送った数十日後。

 二度と来ないだろうと思っていた青年がひょっこりやってきた。しかも、一人で。

 最初は警戒したけど、青年は何度も来るようになり、私も警戒心が薄れて自然と名前を呼ぶように。


「また来たの? ロイ」


 薬草を日陰に干しながら声をかけると、ロイと呼んだ青年が不満そうに顔を歪めた。


「ですから、私の名前はロイドです。ロイドって呼んでください」

「魔女が名前を口にすると操ってしまうからダメなんだって言ってるでしょ?」

「むしろ操ってほしいのですが」


 冗談でもない、真剣な眼差し。その考えが理解できない私は肩をすくめた。


「……変態? まあ、いいわ。とにかく名前は呼ばないから」


 ロイが積み上げていた薬草の一部に手を伸ばす。


「手伝いましょうか?」

「待って! その草は素手で触るとかぶれ……あぁ」


 かぶれ草を両手で掴んだまま固まるロイ。それから、ポツリと呟いた。


「……ペティ、両手が痒いです」

「だから、言ったでしょ? 薬を塗るから草を置いて、こっちに来て」


 家に入って塗り薬を準備する。落ち込んだ様子でついてくるロイ。その姿に思わず笑みが漏れる。


 独りに慣れた、はずだった。でも、久しぶりの人との交流は想像以上に乾いた心を潤して。


 いつからかロイが訪れる日を楽しみに待つようになっていた。ある時は特性のお茶を淹れて待ち、ある時はベリーパイを焼いて待ち。


 それでも、いつかは私より先に死ぬ存在。


 だけど、今だけは。この時だけは。穏やかな時間を共に過ごせる喜びに浸りたい。


 そう願うようになっていた。




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