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第30話 終わりの始まり

 強い眠気。できるなら、このまま眠りたい。けど、そういうわけにはいかない。

 体を動かそうとするけど力が入らず。なんとか瞼だけでも開けてみる。


 天蓋付きの大きなベッド。綺麗な壁とカーテンが閉められた窓。しっかりとした造りの天井。どこかの貴族の屋敷のような。

 目線だけで見える範囲だから、それぐらいしか分からない。


(それよりも、眠気が……かなり強い睡眠香、だったの、ね……)


 意識がぼやけ、瞼が閉じかける。


 眠気と戦っているとドアが開く音が響いた。コツコツと硬い足音が近づいてくる。


(……誰?)


 確認したいけど顔が動かせない。

 緊張している私の耳に低い声が触れた。


「さすが禁輸の香だ。よく効いている」


 私が眠っていると思っているらしい。どこかで聞いたことがあるような気がする。ねっとりとした視線を感じながら必死に記憶を探る。


(声もだけど、この気持ち悪い視線も覚えが……)


 ヒヤリとした何かが頬に触れる。その瞬間、全身がゾワゾワとして鳥肌が立った。すぐに離れたが不快感が強烈に残っている。


(カサカサでシワがある……手?)


 そこで、ふと思い出す無骨な手。


(大きくて、筋張っていて、剣だこもある。硬くて触り心地が良いわけじゃないけれど、温かくて私を包み込んでくれて……って、今はそうじゃなくて!)


 心の中で葛藤していると、再び独り言が聞こえた。


「しばらくは起きないだろうな。目覚めるまで、どうやって遊ぶか」


 カチャカチャと物を探る音に上機嫌な鼻歌が混じる。


「いつぞやの娘のように舌をかまれては面倒だから、先に猿轡さるくつわをつけて、手足も縛っておくか。ドレスは……あぁ、このナイフで裂けばいいな」


 衝撃の言葉の連続に血の気が引く。


(リロイとは違う種類のド変態!? 早く逃げないと!)


 どうにか体を動かそうとするけど指一本動かせず。でも、眠気は少しずつ薄れてきた。


(あと少し! 睡眠香はすぐに効果があるけど、効果が切れたらすぐに動けるのが特徴。睡眠香の効果が切れれば、すぐに動ける……はず!)


 私は試しに少しだけ瞼を動かしてみた。


 ぼやけているが、薄暗い室内が見える。その中で視界の端に映る男の背中。机の上にある箱から様々な道具を出して並べている。


 微かに覗く横顔。口元の豊かな髭。その姿に王城でローレンス領の物流問題の解決策の説明会を思い出した。リロイに女性関係の問題を指摘され、最初に退場した……


(まさか、ホイット・カバヴィ伯爵!?)


 好色家のような気味悪い目をした髭老人とは思ったけど、こんなことをするなんて……いや。今はそれより対策を考えないと。


(背が高いやせ型。膝裏を攻撃して重心を崩せば……骨ももろそうだし、足を折ればどうにかなる!)


 体が動くようになったらどう動くか。

 いろんな状況を想定して対応を考える。と、同時にホイット伯爵から見えない位置の指や足先を動かして薬の効き目の程度を確認。


(……感覚はあるけど、まだ動かせない。私がまだ睡眠香が効いていて動けないと油断している間に先手を打てれば)


 焦る気持ちを抑えながら睡眠香が切れるのを待つ。

 そこに準備を終えたのかホイット伯爵が振り返った。下卑た笑みを浮かべ、ジットリとした目で私を見下ろす。その手には皮製の猿轡が!?


(我慢! 我慢よ! 体が動くようになるまでの我慢! 体が動くようになったらボコボコにしてやるんだから!)


 瞼を閉じて寝ているフリをする私にホイット伯爵が声を出して笑う。


「起きた時の反応が楽しみだ。この気高い娘がどんな絶望に染まった顔を見せるのか」


(うわっ!? 最悪な趣味嗜好!)


 怪しい気配とともに私に近づいてくる。

 そこに、廊下から甲高い声が聞こえてきた。


「私はグレース・シュルーダーよ! 公爵家に逆らうつもり!?」

「ですから、あるじが参るまでお待ちを……」

「どうして私が待たないといけませんの!?」


 激しい声とともにドアが開く音がする。


 舌打ちが聞こえ、すぐにホイット伯爵の済ました声がした。


「これは、これは、グレース令嬢。いかがされました?」


 荒々しい足音とともに甲高い声が響く。


「その田舎娘を私によこしなさい! 八つ裂きにしなければ気が済みませんわ!」

「おや、おや。さらった後は私の好きにして良いという話ではありませんでしたか? ですから、禁制の香を密輸してお渡ししましたのに」

「なら、私が八つ裂きにした後で好きになさい!」


 どうやら風向きが変わってきた。

 寝たフリをしているため目が開けられない。耳を澄まして状況を想像する。


「それでは価値が落ちます。私が好きにした後でお渡ししましょう」

「私はいますぐ八つ裂きにしたいのよ! つべこべ言わずにさっさと渡しなさい!」

「ですから、それだと価値が落ちると言っているでしょう。それに最初の話と違います」

「うるさいわね! 公爵家である私の言うことを聞きなさい!」


 好き勝手言い争う二人。それを黙って聞くしかできない私。


(そもそも私は物じゃないんだけど!? でも、チャンスかも)


 指が少し動くようになってきた。このまま口論を続けてくれたら、その間に睡眠香の効果が切れそう。


 動く機会を伺いながら周囲にも神経を張り巡らせる。


「もう! うるさいわね! なら、ここで八つ裂きにするわ!」


 ガシャン! と物が落ちる音が響く。


「やめろ!」


 次にホイット伯爵の切迫した声。少し目を開けるとキラリと輝く……


「!?」


 私は反射的に顔を横にむけた。頬に鋭い痛みが走り、頭があった場所にナイフが突き刺さっている。


「なんで避けるのよ!?」


(避けるに決まっているでしょ!)


 声はまだ出ないため心の中で叫ぶ。顔は動かせたけど体はまだ重い。


「何をする!? 私のモノだぞ!」


 ホイット伯爵の問いにグレース嬢が私の血が付いたナイフを傾けて微笑む。


「すべてはリロイ様のため。この田舎娘に惑わされ、変わられてしまったお可哀そうなリロイ様。でも、ぐしゃぐしゃになった田舎娘を見れば、私の愛を思い出されるわ」


(だから、なんでそういう思考になるのよ!?)


 うっとりと鈍く輝く柳色の瞳。現実を見ず、幻影に生きる狂気の色。


 その気配にホイット伯爵が若干引き気味に頷く。


「少し趣味とはズレるが、切り裂きながら犯すのも、また一興」


 そう言って猿轡を手にするホイット伯爵。その隣にはナイフをギラつかせたグレース嬢。

 片や、動けない体の私。

 そこに再び使用人の叫び声が飛び込む。


「お待ちください! あるじを呼びますので!」


 ドガドガと迫る複数の足音と怒鳴り声。


(次は誰!?)


「ソフィア!」


 声とともに駆けこんできたのは剣を持ったリロイ。他にも複数の兵とテオスの姿がある。普通なら「助けが来た!」と安堵するのだが……


(前世と、同じ……)


 剣を持ったリロイの姿に前世の記憶が蘇る。私の胸を剣で刺した時の、あの血まみれの姿が。


 その瞬間、目の前が真っ暗になり、血の気が引いた。体が小刻みに震え、前世で剣が貫いた部分が燃えるように熱い。


(大丈夫。大丈夫よ。今回は関係ない。私を殺しに来たんじゃない。だから、落ち着かないと)


 必死に言い聞かせていると、怒りで燃えた琥珀の瞳がホイット伯爵を捕らえた。しかも、手にしている猿轡を発見してしまい……


「それを、どうするつもりだ?」


 ドス暗く、地を這うような低い声。第三王子の登場にホイット伯爵が慌てて猿轡を投げ捨てた。


「いや、私はそ……ゴフッ!」


 言葉の途中でホイット伯爵の体が天井にむかって高く吹き飛んだ。そのまま円を描き、床に落下。顎が変形し、白目をむいて気絶している。


 視線を動かせば、リロイが逆手に持った剣の柄を高々と掲げていた。どうやら剣の柄でホイット伯爵の顎を一突きしたらしい。


 一瞬の早業に唖然とした空気が流れる。


 呆然と見ていると、リロイが動けない私に気づいた。


「ソフィア!」


 ホッと緩む表情。その顔はいつもの犬のようで……


(そうよ。前世とは違うんだから。大丈夫)


 緊張が解けかけた時、リロイが私の頬の傷を見て一変した。

 琥珀の瞳から光が消え、真っ赤な髪が炎のように逆立つ。リロイの視線がグレース嬢の手にあるナイフに移り、闇より不気味な禍々しい気配が噴き出した。


「貴様か? 貴様がソフィアを傷つけたのか?」


 剣を握る手に力が入り、リロイが踏み出す。嫌でも前世を思い出す緊迫感。


 周囲の兵がリロイの威圧に負けて青ざめている中、グレース嬢が歓喜に震えたように声をだした。


「あぁ、リロイ様。私だけを見つめる、その目。私はずっと、その目を欲しておりました」


 天にも昇るようなうっとりとした表情。恋する乙女を超えた狂人のような。


 一方、無言で剣をかまえるリロイ。静かな怒りに燃える姿は今にもグレース嬢に剣を突き立てそう。


(この中でリロイを止められる力があるのはテオスぐらいだけど位置が悪いわ)


 リロイとテオスの間には物理的な距離がある。近いようだが、リロイの実力ならテオスが止めに入る前にグレース嬢を刺すだろう。


 わたしの考えをあざ笑うようにグレース嬢が恍惚な表情で両手を差し出す。


「リロイ様に殺されるのでしたら本望ですわ」


 そして、あなたの記憶に永遠に残るのなら……


 グレース嬢の心の声が聞こえた気がした。同時に私の中で何とも言えない感情が沸き上がる。


(そんな方法で記憶に残ろうとするなんて、許せない!)


 動かない手足に力を入れた瞬間、リロイが持っていた剣が姿を消した。


「ダメ!」


 転がるようにリロイの前に飛び込む。鉛色に輝く剣が迷いなく私の胸へ……


「クッ!」


 鈍い痛みが走る。目の前に散らばる真っ赤な破片。その先には驚愕の顔をしたリロイ。すぐに剣を手放し、泣きそうな顔で私に手を伸ばす。


(……そんな顔、初めて見たわ)


 人々の喧騒を遠くに聞きながら私の意識は途切れた。




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