こうして始まった私に不利な試験、のはずだったのに…………
グレース嬢の従者が分厚い本を広げて読み上げる。
「では、歴史書第三巻より『アフロ国との長きに渡っていた戦争をヘナヘア戦で大勝利に導いた』この続きをお答えください」
問題が出題される度に馬の被り物の中でゴソゴソするグレース嬢。
「えっと、戦争、戦争……暗くてよく見えなくてよ」
被り物の中にカンニングペーパーを仕込んでいることがバレバレの動作と独り言。その間にリロイが笑顔でさっさと答えろと私に圧をかけてくる。
その度に私は仕方なく手を挙げた。
「はい。大勝利に導いたパーマネント大尉はそのまま快進撃を続け、ついにはアフロ国を併合する。その功績を認められたパーマネント大尉はツーブロック二世より男爵位を授与された。次のアッシュ大戦でパーマネント男爵はリーゼント国の無敵艦隊を撃破し、侵略されていた領土を取り戻すことに成功する。再び功績を上げ、子爵位を授与されたが慢心することなく国を守り抜き、英雄として称えられる。そして、パーマネント子爵の子孫は……」
「そこまで」
延々と私が答えを言い続けるため適当なところで王が止める。これも何度目になるか。
終わりが見えない状況に辟易した私は提案した。
「あの、いちいち問題を聞くのも面倒ですので全巻、暗唱いたしましょうか?」
私の発言に広間がざわつく。
宰相が半信半疑な様子で訊ねた。
「本当に全巻暗唱できるのか?」
「はい」
歴史書については前世で実際に経験している部分もあり、ほとんど覚えている。さすがに一語一句すべてを正確に言うのは無理だけど。
茶番のような空気が漂う中、王がグレース嬢に声をかけた。
「歴史書については十分であろう。王家の基本教養の問題に移るぞ」
馬の被り物の下でゴソゴソしていたグレース嬢がピタリと動きを止める。
前をむいて自信満々に言い放った。
「そうですわね。歴史なんて所詮は過去のこと。教養こそ淑女に必要なことですわ」
基本教養は挨拶やテーブルマナーなどの礼儀作法が中心。つまり実地になるのだが、今の状況。特に被り物をしているグレース嬢がどこまで出来るのか。
(もしかしたら、まともに出来ない可能性も……いや、それなら馬の被り物じゃなくて、仮面とかにするはず。きっと秘策がある……のよね? あって頂戴! お願いだから!)
と、いう私の期待は見事に裏切られた。
グレース嬢は被り物で周囲が見えずらい。
そのため挨拶では相手との距離が正しくとれず、馬の被り物で相手の顔を強打。テーブルマナーでは食器を落とし、ダンスでは相手の足を踏みまくった。
ちなみに私の時はリロイが相手役をすると譲らず。しかも、私の相手役候補を射殺さんばかりに睨むから、みんな辞退するし。
結局、挨拶からダンスまでリロイを相手に実施。侯爵家出身の母から徹底的に叩き込まれていたので動きに問題はなし。すべてを無難にこなした。
その間、馬の被り物からの視線が痛かったけど。
こうして私に不利だったはずの試験は終了。判定は王が下すことになった。
私とグレース嬢が並んで王の前に立つ。被り物を被っていても分かるグレース嬢の自信に満ちた態度。
(あの失態続きで、どうして自信にあふれているの……)
困惑する私。見守る人々も同じ様子。
そんな中で王がよく通る声で裁定を下した。
「この試験、ソフィア嬢の勝ちとする」
「どうしてですの!? どう見ても私の勝利ですわ!」
予想通りグレース嬢が声をあげた。
いや、何をどう見たらそうなるの!?
リロイの計画書の山を前にした時以上に唖然とした顔が並ぶ中、グレース嬢は馬の被り物の下から私を睨んだ。
「どうやって王に取り入りましたの!? 田舎娘のくせに! その体で誘惑いたしましたの!?」
さすがに目が丸くなりポカンとしてしまう。
国内でも有力な公爵令嬢の娘であるため、ずっと大目に見ていた王が額を押さえて天を仰いだ。呆気にとられている周囲を置いて、王が宰相に確認する。
「シュルーダー公爵はまだ到着しないのか?」
「もうすぐかと」
「そうか。ならば、他の者は解散して、グレース嬢はシュルーダー公爵が参るまで控室で待機せよ」
王の命令にグレース嬢がますます不服の声をあげる。
「どうして私が待機ですの!? それより、この田舎娘を処罰するべきですわ! リロイ様だけでなく王まで誘惑するなんて汚らわしい!」
グレース嬢のキンキン声に王が耳を塞いだ。
「早く控室に連れていけ」
「はい!」
「ちょっ!? まだ話は終わっておりませんわ! 勝手に触れないでくださる!?」
グレース嬢が数人の臣下によって引きずるように連れ出されていく。
(被り物の中であんなに声を出して耳が痛くならないのかしら)
そんなことを考えながらも、ようやく解放された私は姿勢を正して王に淑女の礼をした。
「では、先に失礼させていただきます」
そそくさと退室しようとする私にリロイが素早く声をかける。
「見送ります」
私をエスコートしようとするリロイ。体を密着させ腰に手をまわしたところで、王が止めた。
「リロイ、おまえはこれから有識者を集めて話し合いだ。この水路を雪が降る前に完成させておきたいなら時間がないぞ」
王の発言に私は少しだけ目を細めた。
(あの短時間で計画書を読み解いて優先順位の目途をたてるなんて。飾りの王、というわけではなさそうね)
リロイがあからさまに表情を崩すが、王の指摘が的を射ているため拒否はできず。それでも名残惜しそうに私を見つめてくる。その姿は雨の日に捨てられた子犬を連想してしまい……
「で、では、ごきげんよう」
私は振り切るようにそそくさと広間を出た。
大きな廊下を行き交う人々。ここですぐに従者の控室からテオスが現れ、馬車まで私を案内する……はずなのに、その気配がない。
「どうしたのかしら?」
そこに王城の使用人が現れた。
「失礼いたします、ソフィア・ローレンス様。従者の方は少し席を外しておりまして。戻るまで、こちらの部屋でお待ちください」
「……どういうこと? 私の従者に何かありましたの?」
扇子を広げて訝しむ私に使用人が申し訳なさそうな顔になる。
「とある高位貴族の方がソフィア様の従者をお気に召されまして、少々問題に……」
「問題が起きたのに
淡々と問い詰める私に使用人が慌てた。
「問題はすぐに解決いたしましたので、ご安心ください。ただ、問題が起きるまでの経緯を伺っているだけで、話が終わりましたらすぐに戻りますので」
テオスの外見からこういう面倒事が起きることは予想範囲内。ただ普段なら、ここまで大事にならないよう穏便に済ませるのに。
私は引っかかるものを感じながら頷いた。
「なら、待ちましょう」
私は案内されるまま小部屋に通された。
すぐ近くには大広間があり、舞踏会や晩餐会での合間の休憩室に使われる部屋だろう。応接セットに暖炉、大きな窓と絵画が飾られている。
私は座り心地が良いソファーに腰をおろした。窓の外に視線を移せば太陽が傾き、真っ赤に燃えている。
「昼過ぎに来て夕方までかかるなんて。もっと簡単に済むと思っていたのに」
疲れが出たのか体が重くなる。ゆっくり大きく深呼吸をすると、かすかに香りがした。
「香水……とは違う。花の香りでもないわね。少し煙たいような……お香かしら?」
私は視線だけで室内を確認したが香炉が見当たらない。でも、匂いは強くなっている。
「どこに置いてあるのかしら……」
体を起こそうとして世界が揺れた。強烈な眠気が私を襲う。
「これは……部屋から、出ないと……」
立ち上がろうとするけど意識が朦朧として力が入らない。
「こうなったら……クッ!」
私は扇子の中に隠していた小さな刃で自分の手を切った。赤い血が流れ、鋭い痛みが走る。だが、それも一瞬。すぐに力が抜けて眠りそうになる。
「はや、く……」
なんとか立ち上がり、足を引きずるように足を踏み出す。
「ドアを、開け、ないと……」
ドアノブに手を伸ばすが視界が揺らぐ。自分が歩いているのか、立っているのかも分からない。
体が重くなり、目の前が真っ暗になった。