フィンレーが唇を震わせ、幽霊を見たように呟く。
「こ、これを一か月半で計画して書き上げたと? まさか、そんなことが……」
愕然とする人々。
一方の王と宰相は驚くことなく、むしろどこか悟ったような目で眺めている。これぐらいの奇行なら慣れているのだろう。
王が苦笑しながら訊ねた。
「いつ書いたのだ? ローレンス領から帰ってきたのは一昨日であろう?」
「はい。帰ってきてすぐに書き上げました」
フィンレーが魂が抜けたような声でこぼす。
「つまり二日でこの計画書を書き上げた、と?」
リロイが当然のように頷いた。
「これぐらい一日あれば書けるでしょう? それより王城の書庫から本を探し出す方が時間を取られました」
天才の発想と所業。己の力量との差を見せつけられ、挫折したのかフィンレーが床に崩れ落ちた。
その姿に王が哀れみの目とともに声をかける。
「フィンレー・クレメント。そなたが優秀で努力の秀才であることは知っておる。だが、今回は相手が悪かった」
王の慰めも今のフィンレーには届かない。
フィンレーに同情の視線が集まる中、王が声を張り上げた。
「他に解決策の案はあるか?」
一同が黙る。たとえ案があったとしてもリロイの後に発表する猛者はいないだろう。
王が広間を見渡して言った。
「発表された中で実行可能であり、一番有益であったリロイの案をローレンス領の物流問題の解決策の候補とする。だが、リロイの案が本当に実行可能か検証する必要があるため保留とするが良いか?」
訊ねられたリロイが軽く肩をすくめて同意する。
「仕方ありませんね。ですが、私が婿入り第一候補、つまりソフィアの婚約者ということでよろしいでしょうか?」
よろしくない!
慌てる私とは反対に王は頷こうとしている。
(なんとかしないと!)
焦っているとホールに甲高い声が響いた。
「お待ちになって!」
聞き覚えがある声。全員が振り返った先。そこにはドレスを着て、馬の顔に鹿の角が生えた被り物をした令嬢がいた。
その姿に全員の声が揃う。
「「「「「「誰!?」」」」」」
馬の顔に鹿の角が生えた被り物を被って悠然と歩いてくる令嬢。その異様な光景に人々の足が自然と下がる。
(え? 馬と鹿? どうして、その組み合わせ? 意味分かってる?)
服を見れば燃えるような真っ赤なドレスと胸には琥珀のブローチ。
(ひょっとしなくても、もしかしなくても、この令嬢は……)
全員がドン引いている中、宰相が恐る恐る訊ねた。
「もしや、グレース令嬢か?」
王と宰相の前まで進み出た令嬢が優雅に淑女の礼をする。
「はい。シュルーダー公爵が娘、グレース・シュルーダーでごさいます」
唖然とした視線を気にすることなくマイペースに話を進めていくグレース嬢。
眉間にシワを寄せた王が訊ねた。
「何故、そのような被り物をしているのだ?」
「リロイ様より、王家専用の教養本と歴史書全巻すべて暗記するまで顔を見せるな、と言われましたので」
(まさか、物理で解決してきた!?)
これはさすがに予想外だったろう、とリロイを見ると琥珀の瞳が冷えきっていた。表情から察するに、これも想定内だったらしい。ただ、本当に実行するとは、という呆れが混じっている。
宰相が驚愕で崩れた顔を引き締めて訊ねた。
「それで暗記ができていないから顔を見せないために、その被り物をして登城した、ということか?」
「はい」
王に顔を見せない時点で不敬極まりない行為だけれど、そこまでの考えには至っていない様子。
(シュルーダー公爵夫妻はこのことを知らないわね……知っていたら絶対に止めるから)
成り行きを見守ることにした私は無言で扇子の下から様子を眺めた。
顔を引きつらせながら宰相が問いかける。
「なぜ、そこまでして登城したのだ?」
「リロイ様の婚約者について確認したくて参りました」
グレース嬢が被っている馬が私の方を向く。
ドレスに馬と鹿が混じった被り物というシュールな姿に私は笑いを堪えるだけで精一杯になっていた。
(本当に誰よ、こんな被り物をさせたの。センスがありすぎよ)
扇子を持つ手が震えてしまう。
(笑っていることがバレないようにしないと!)
必死に真面目な顔をしているとグレース嬢が私を指さした。
「リロイ様の婚約者になるというのでしたら、当然、王家専用の教養本と歴史書全巻、すべて暗記されておりますよね?」
甲高くも真剣な声。だけど、話す度に馬の被り物がカクカクと揺れるシュールな姿。
周囲の人も必死に笑いを堪えている。
(ダメ。しゃべったら笑いそう)
私は声を出さずに扇子の下で目を伏せた。グレース嬢を見たら笑ってしまう。それだけ私のツボにはまった。
でも、何を勘違いしたのかグレース嬢の態度が大きくなる。
「ほら、覚えておりませんのでしょう? このような田舎娘、リロイ様の婚約者として相応しくありませんわ」
鼻につく言い方にカチンとくる。でも、顔を見たら笑ってしまう。
仕方なく私は視線をそらしたまま答えた。
「覚えていないとは申しておりません」
「では、どうして顔を背けるのです!?」
その姿のせいです!
なんて言えない私は必死に言い訳を考えた。
「それは、その……領地にいる馬とその被り物が似ておりまして。見ていると思い出して故郷が恋しくなりますの。そもそも、どうして鹿の角が生えた馬なのですか?」
我ながら苦しい言い訳と、無理矢理な話の逸らし方。だけど、グレース嬢には通じたらしく。
「あら、ご存知ないの? リロイ様は鹿の角が生えた馬がお好きなのですよ」
勝ち誇ったように断言するグレース嬢。
一方の私は扇子の下からリロイを睨んだ。
(笑ってはいけない耐久レースの原因は、おまえか!)
私の視線に気づいたリロイがにこやかに微笑む。計算通りと言わんばかりの表情に怒りが湧き上がる。
そこにグレース嬢が追い打ちをかけた。
「それにしても、馬を見て故郷が恋しくなるなんて、田舎娘にも程がありましてよ。やはりリロイ様に相応しい婚約者は私しかおりませんわ」
右手を添えてオーホホと高笑いをする馬の被り物。
(あー、もうダメ。我慢できそうにない)
扇子の陰で小刻みに震えていると肩に温かなものが触れた。顔をあげるとリロイが隣に立っている。しかも、表情がかなり険しい。
(何か不機嫌になることがあったかしら?)
首を傾げる私の肩をリロイが抱き寄せる。襟足から伸びた長い赤髪が私の頬を撫でた。
「あれだけ辺境伯の重要性を説いたのに理解できないとは。相応しくないのは、あなたの方です」
「まあ。私の気を引くためにそのような演技をなさらなくてもよろしくてよ、リロイ様」
何をどう考えれば気を引く演技になるのか。
(ここまで自分に都合がよい方向に解釈できるのって、もはや才能レベルなのでは?)
感心してしまった私に対して不穏な空気を放ち始めたリロイが提案をする。
「では、どちらが私の婚約者に相応しいか試験をしましょう」
いや、私は婚約者になりたいわけじゃないから!
拒否したい私にリロイが微笑む。
「全力で正々堂々と臨んでください。もし、手を抜いたら……」
言葉が不自然に切れる。
私は思わず続きを促した。
「手を抜いたら、どうなりますの?」
「ローレンス領の物流問題の解決策は振り出しに戻します。あとローレンス領には婿入りせず、あなたを婚約者にします」
「なっ!?」
(強制婚約者!? 外交ばっかりで束縛されまくる王家に!? なに、その最悪な脅し!?)
言葉を失った私を無視してリロイが王に訊ねる。
「父上、よろしいでしょうか?」
「止めても聞かんだろ。好きにしろ」
こうして私は呆れ半分の王の許可もあり、リロイの婚約者試験を受けさせられることになった。
ローレンス領の物流問題の解決策に関係する人たちは退室。王と宰相、その臣下たちが広間に残った。
グレース嬢の指示で机が運び込まれ、本の山を持った使用人たちが積み上げていく。
馬の被り物を被ったままグレース嬢が説明を始めた。
「王家専用の教養本と歴史書全巻を揃えました。この者が適当にページを巡って文章を読みますので、その続きを先に答えた方が勝ちですわ」
いや、この者ってグレース嬢の従者だし。何か細工しているとしか思えないけど。
(でも、これなら全力で挑んで負けても文句は言われないはず! しかも負ければリロイが婚約者候補から外れる!)
意気込む私の隣でリロイが手をあげた。
「待ってください。それでは……」
(負けるチャンスは潰させない!)
私は素早く扇子でリロイの口を封じた。
「わかりましたわ。その勝負、受けて立ちましょう」
こうして、どうみても私に不利な試験が始まった。