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第20話 一方、その頃~ローレンス夫婦の場合・グレース嬢の場合~

 その頃、応接室では――――――


 ようやく料理長からの説教から解放されたディランがつまみを口に放り込んでいた。ソファーに体を投げだし、紅茶を飲みながら話す。


「まったく。久しぶりに長い説教だった」

「ソフィアの未来の夫を酔い潰そうとするからですよ。料理長にとってソフィアは可愛い孫みたいな子ですから」


 妻からの指摘にディランはバツが悪そうに顔を背けた。


「王からの手紙で『酒が苦手』とあったから、軽く酔わせて終わりにするつもりだったんだ」

「でしたら、なおのこと途中で止めるべきでしたよ」


 いつもは豪傑で態度が大きなディランが体を小さくして子どものように口を尖らせる。


「あんな涼しい顔でバカスカ飲んでいるのに止められるか」

「まぁ。あなたには涼しい顔に見えました?」

「どういうこ……んぐっ!」


 口にサンドイッチを突っ込まれ、強制的に黙らされたディラン。聖母のような微笑みを浮かべたマルグリットが小首を傾げて言った。


「最初の一杯で彼は倒れる寸前でしたよ。相当な下戸ですわ」


 気が付いていなかったディランが思わず声をあげる。


「なっ!? だが、そんな素振りはまったくな、ガッ!」


 大口が開いたところで大きなトマトが飛び込んできた。

 マルグリットが可愛らしいミニトマトを口にする。


「公務でもお酒はほとんど口にせず話術で回避している、とレティからの手紙にもありましたし。彼の頭なら、それも可能でしょうけど」

「……」

「あなたとの飲み比べも避けようと思えば避けれたのでしょうけど、それをしなかった」


 灰色の瞳が楽しそうに細くなる。


「この勝負、あなたの負けですわね」

「……ふん。気骨はあるようだな」

「あら、あら。素直じゃありませんね」

「ソフィアは可愛い娘だ。そう簡単には嫁にやらん」


 ディランが拗ねたように紅茶を飲む。


「嫁にやるのではなく、婿入りですよ」

「どっちも同じだ。ソフィアがあの若造のモノになるんだからな」

「うふふ」


 マルグリットが嬉しそうにディランの腕にしなだれた。華奢な体は羽衣のように軽く柔らかい。


「どうした?」


 ディランが淡い金髪を愛おしそうに指に絡める。マルグリットがくすぐったそうに身をよじりながら見上げた。


「私、実は心配しておりましたの。ソフィアは恋心を殺しているのではないか、と」

「たしかにソフィアから恋愛の話は聞いたことがないな」

「えぇ。ソフィアが殿方を見る目はいつも冷めておりましたから。まるで検分をしているかのような事務的な対応で、ローレンス家に相応しい相手を探しているかのようでしたわ」

「……そこまで強要したつもりはないんだが」


 マルグリットが悩むディランから視線を外す。その先は娘と客人が座っていた空のソファー。


「頭が良いあの子のことですもの。ローレンス領の、そして、この国の未来を考えて最善の行動をしようとしていたのでしょう。まるで、自分がこの国の歯車の一つであるかのように」


 その説明にディランが肩を落とす。


「もっと自由に動いていいんだがな」


 マルグリットがディランに視線を戻して頷いた。


「彼ならソフィアを解放してくれますよ」

「そう思うか?」

「えぇ」


 花を散らした満面の笑みで答えるマルグリット。その姿にディランがソファーから体を起こす。


「なら、前向きに検討してやるか」

「それでも検討ですのね」


 ディランが意地悪そうにニヤリと口角をあげる。


「最終判断をするのはソフィアだ。俺はそれに賛成する」

「まったく。素直ではありませんのね」


 軽やかな鈴の音のような笑い声と地面を割るような豪快な笑い声が響いた。




 一方、王都では――――――



 王都にあるシュルーダー公爵家の別邸ではグレースが客人を迎えていた。

 ローレンス領へ向かっているリロイを半ば強引にシュルーダー公爵家の城に招待した結果、完全に拒絶されたグレース。

 だが、持ち前の前向き思考と自分に都合が良い方向に解釈する頭は、次の問題の種を撒こうとしていた。


 シュルーダー公爵家の別邸の応接室に招かれた二人の男。

 一人はホイット・カバヴィ伯爵で年齢はグレースの祖父より上。それでいてグレースより少し年上の女性と婚約、結婚までした好色家。

 もう一人はゲーデット・サイモン侯爵。建国当初から侯爵家として存在しており、由緒正しい血筋。ただ、最近は事業に失敗してその地位が危うくなっている。


 ローレンス領の物流問題の解決策の説明会でこの問題点をリロイに指摘されて早々に退席した二人だ。


「よくいらっしゃったわ。歓迎しましてよ」


 応接室に来たグレースが笑顔で二人に声をかける。

 艶やかな栗色の髪。真っ赤なドレスと胸につけた琥珀のブローチ。張りと艶がある瑞々しい肌。若さ溢れる少女の姿にホイットが白い髭の下で口角をあげた。

 その隣にいるゲーデットは悠然としながらも注意深く周囲を観察している。


「かの有名なシュルーダー公爵家のご令嬢にお招きいただけるとは、無上の喜びでございます」


 老齢だが張りのある声でホイットが手を差し出す。しかし、グレースはその手を無視して軽く淑女の礼をするだけで済ませた。その様子にゲーデットは頭をさげるだけで挨拶を終わらせる。

 グレースは二人をソファーに座らせると、反対側のソファーに腰をおろして話を切り出した。


「少し前、王城でローレンス領のことについて集まりがあったそうですわね」


 痛い記憶しかない二人は曖昧に笑うだけで言及を避ける。気まずい空気が流れるがグレースは平然と話しを進めた。


「そこでの話を聞きましたが、お二人はこのままでよろしいの?」


 高飛車な態度だが相手は公爵家の娘。自分より爵位が上なため我慢するしかない。

 ゲーデットは奥歯を噛みしめながら訊ねた。


「このままとは、どういうことでしょう?」


 グレースがこんなことも分からないの? という侮蔑の視線を投げる。


「あなた方は王城で恥をかかされたのでしょう? そのままで、よろしいの?」


 よろしいの? も何も恥をかかされた相手は自国の王子。どうすることもできない。

 ゲーデットがそう考えていると、ホイットが目を鋭くした。


「なにやら考えがございますのかな?」


 グレースが怪しく優美に微笑む。


「元々は僻地にある卑しい伯爵の娘が起こした問題。いかに自身が無知で下賤か知らしめてあげるのよ」


 自信満々に話すグレースに対して二人は表情を変えることなく心の中で首を傾げた。


 王城での説明会は『ローレンス領の物流問題を解決した者にはローレンス領に婿入りと報奨金が出る』というものだった。それが、なぜローレンス領の令嬢が起こした問題になっているのか。


 話の展開についていけないゲーデットが無言のまま様子をみていると、ホイットが大きく頷きながら訊ねた。


「それで、どのようなお考えがおありなのでしょう?」

「今度、王城でローレンス領に関する集まりがあると耳にいたしましたわ。その時にあの娘の無知を公然の下に晒しますので、お力をお貸しください」


 一か月後にローレンス領の物流問題の解決策を発表する場がある。どれだけの人が参加するかは不明だが。


 黙る二人にグレースが計画を説明をする。その内容にゲーデットは頭を抱えそうになったが、ホイットはむしろ目を光らせた。肉食獣のように白い髭の下で舌なめずりをする。

 すべてを聞き終えたホイットは隠しきれない笑みを浮かべて頷いた。


「それは、それは。で、その後は私の好きなようにしても?」

「もちろん。どうなろうと私は知りませんわ」

「わかりました。必要な物を手配しておきましょう。あと、その計画では少々難しいところがありますので、私が手を加えてもよろしいですかな?」

「……確実に成功するのでしたら、かまわなくてよ」


 ホイットが盛大に頷いた。


「当然。確実に成功させてみせましょう」


 その自信満々な態度にグレースは頷いた。


「では、そこはお任せいたしますわ。ゲーデット侯爵はいかがされます? それ相応の報酬も準備いたしておりますわよ。これは前払い金ですわ」


 グレースの合図で従者がテーブルに袋を置いた。重量感がある音が響き、緩んだ袋の口から数枚の金貨が顔を出す。


「あなたに今、一番必要なものではなくて?」


 悪魔の誘惑に導かれるようにゲーデットは袋を手にしていた。




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