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第19話 吐くなら桶で!

 突如、始まった飲み比べ。結構な量の酒瓶を空にして、二人の体が心配になるほど。でも、父はずっと上機嫌でどんどん酒を飲み、リロイも笑みを崩すことなく同じように飲み続けた。


 ――――――結果、引き分けで終了。


 正確には料理長が「この夏の酒の在庫がなくなる!」と応接室に怒鳴り込んできて強制終了させられた。あと、父はニか月ほど減酒の刑に。


 料理長は薄い髪に立派な髭を生やした老齢の男性。若い者には負けん、が口癖で日々鍛えている筋肉はコック服の上からでも分かるほど。まったく老いを感じさせない。

 そんな料理長に父が吠える。


「なんで俺が酒を減らさないといけないんだ!?」

「文句があるなら二か月の禁酒でもいいんだぞ? そもそも普段から飲みすぎだ。体を管理するこっちの身にもなれ。あと、今年も例年と同じ量の酒が造れるとは限らないんだぞ」

「クッ……それは、分かっている」

「いいや、分かっとらん。そもそも、ぼんは領主としての自覚が……おい、逃げるな! 三か月の禁酒にして、地下の酒蔵を土で埋めるぞ」


 料理長の言葉にこっそり逃げようとしていた父の顔が青ざめる。


「鬼畜か!?」

「話を聞かない方が悪い。何度も言っているが、ぼんは……」


 ちなみにぼんとは父のこと。料理長は父が幼い頃から世話をしており、その頃からの呼び名のまま現在に至っている。こうして父を説教できる数少ない貴重な人材。


 私たちの前で延々と説教される父を笑顔のまま眺めるリロイ。

 その姿に引っかかるものを感じた私は入り口で控えていたテオスを呼んだ。


「客室の準備はできてる?」

「はい」

「じゃあ、客室に多めの飲み水と私の薬箱と……念のために桶を準備して」

「かしこまりました」


 テオスが静かに下がる。私は料理長に説教をされている父の代わりに母へ言った。


「飲み比べはこれで終わりでしょうから、先に部屋で休ませていただきます」

「そうね。夜は食べられそうなら、食堂へいらっしゃい。無理なら部屋に運ばせるわ」

「はい」


 私はソファーに座ったまま動きそうにないリロイの手を取った。


「え?」


 リロイが緩慢な動作で手と私の顔を交互に見る。酒の影響か普段なら考えられない鈍さ。


「客室に案内いたします。ついてきてください」

「あぁ……ありがとうございます」


 私の手を握り返す手。だけど、いつもより力がない。それどころか今にもすり抜けて落ちてしまいそう。私はリロイの指の間に自分の指を絡め、しっかりと手を繋いだ。


「ソフィア嬢?」


 リロイの疑問に答えず、前を向いたまま引っ張るように足を進める。


「客室まで倒れずに歩いてください」

「……はい」


 力がない返事。ゆっくりとした足取り。歩き慣れた廊下が長い。

 私はもどかしい気持ちを抱えて歩いた。



 しばらくして他の部屋より豪華で頑丈に造られたドアが現れる。私はようやく到着した客室に入った。


 広くはないが綺麗に整えられた室内。キングサイズのベッドにサイドテーブル。暖炉の前には応接セット。荷物は使用人がクローゼットに片付けている。


 サイドテーブルには水が入った大きなピッチャーとコップ、薬箱と桶が並んでいた。先にテオスが準備しておいたのだろう。

 私は桶を持って隣に立つリロイに声をかけた。


「で、吐く? それともベッドで休む?」


 私の二択にリロイが苦笑する。


「ベッドで休みます」

「じゃあ、とっとと寝なさい」


 私は桶を枕元に置くとベッドの布団をはいだ。現れた真っ白なシーツに吸い込まれるようにリロイが体を倒す。ペタリと伏せた犬耳とダラリと下がった尻尾の幻影が見えるほどの脱力ぶり。


「どうして、あんな無茶をしたのよ」


 私はリロイの靴を脱がし、仰向けになるように転がした。次に首元のボタンを外し、腰のベルトを緩める。

 リロイが左腕で顔を隠し、消えそうな声で呟いた。


「……すみません」


 初めて見るリロイの弱々しい姿。前世のロイドの時も見たことない。どんな時も余裕の表情で飄々としていたのに。

 私は肩を落として訊ねた。


「まったく。吐き気はある? 頭痛は? 喉は乾いてる?」

「吐き気と頭痛は少しあります。喉の渇きはありません」

「そう」


 私は話を聞きながら薬箱の蓋を開けた。薬を選びながら、ふと手を止める。


「ちょっと、失礼」


 私の声にリロイが腕を退けて顔をこちらに向ける。ぼんやりと私を見つめる琥珀の瞳。しっとりと潤み、力がない眼差しは色香が漂って……


(何を考えているの、私は!?)


 その視線から逃げるように私は太い首に手を伸ばした。指先が触れた瞬間、リロイの体がピクリと跳ねる。


「な、何!?」


 思わず手を引っ込めた私に、微かに頬を赤くしたリロイが顔をそらした。


「すみません。その、首は急所ですから、他人に触れられないようにしていて……」

「あ、そういうこと。脈を診ようと思ったんだけど、それなら手首で診るわ」


 首の方が脈の拍動が分かりやすいため、いつもの感覚で触れてしまった。


 気を取り直し、リロイの手首へと手を伸ばす……が、触れる前に手を握られて首へと誘導された。


「え?」


 柔らかな皮膚と、その奥にある動脈。指先から伝わる速い拍動。


「あなたの手なら、触れても良いですよ。あなたになら……殺されてもいい」


 リロイの手が私の手を首に押し付ける。私の長い爪がリロイの首に食い込む。


(このまま首を絞めたら、リロイの息を止めることができる。前世で私を殺した相手を、今度は私の手で……)


 私は脳裏に過ぎった考えを振り払うため、大きく首を横に動かした。

 顔から感情を消し、平然とした態度をとる。


「……脈は速いし、拍動も強いわね。だいぶん酒が体に負担をかけているわ。薬を調合するから待ってて」


 素早く手を引っ込め、薬の調合に集中。


(前世に引きずられたらダメよ。ペティソフィアなんだから)


 必要な薬をコップに入れて水で溶かす。


「はい、飲んで。あと、水を少しずつこまめに飲んで、しっかり休むこと」

「ありがとうございます」


 体を少しだけ起こし、どこか嬉しそうに薬を飲むリロイ。


「……ワザと体調を崩したりしないでよ」

「あなたに介抱していただけるなら悪くないです」

「それなら、もう二度と介抱はしないわ」

「冗談ですよ」


 薬を飲み切ってベッドに倒れるリロイ。力なく笑う姿に心が痛む。


「……ごめんなさい」


 私の唐突な謝罪にリロイが寝たまま首を傾げる。


「どうして謝るのです?」

「お父様が飲み比べなんて言ったから」

「それを受けたのは私です。ソフィアが気にすることではありません」


 そこで私はあることに気づいた。


「どうして、飲み比べの勝負を受けたの?」


 酒に強くても酒豪である父にはなかなか勝てないだろう。情報通のリロイがそのことを知らなかったとは考えにくい。

 そもそもリロイなら飲み比べなんて無謀なことはせず、言葉巧みに他の勝負へと誘導しそうなのに。


「……なぜでしょう? 何故か受けないといけないと思ったんです」


 そう言ってリロイが私に手を伸ばした。私のこめかみから垂れる淡い金髪に触れる。


「あなたを手に入れるためには、認めてもらわないといけませんから」

「……意外ね。あなたなら強引に進めると思っていたのに」


 王も宰相もリロイをコントロールすることは諦めていた。それだけ我が道を進んできたからだろう。


「私も意外でした。あなたのことになると、強引になりきれないところがあるようです」


 私はサイドテーブルとセットになっている椅子に腰をおろした。


「少し寝たらいいわ。起きるまで側にいるから」

「護衛ですか?」

「体調が悪化した時にすぐに対応するため、よ。護衛の方が良ければ呼ぶけど」


 呼び鈴に視線をむけるとリロイがすぐに拒否した。


「いえ。あなたが側にいるほうが眠れます」

「じゃあ、さっさと寝なさい」

「はい……」


 素直にリロイの瞼が落ちる。

 すぐ眠りについたのか、脱力しきった体に深い呼吸。いつものレモングラスの香りが消え、アルコールの臭いが鼻をつく。


「……早くいつものあなたに戻ってよ」


 私はリロイの寝顔を不思議な気持ちで眺めた。




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