ローレンス領に向けてガタガタと揺れる馬車の中。最低限の使用人と護衛を連れての移動。
早朝に出発したため、人々が動き出す頃には王都を抜け、小麦畑が広がる長閑な風景の道を走っていた。
晴天の下、深緑の麦穂が波のように風になびき、海原のようにどこまでも続く。
正面には軽装姿のリロイ。朝から花が飛び出しそうなほどの満面の笑み。尻尾があれば、ずっと盛大に振っている状態。
そんなリロイがウキウキとした声で私に話しかける。
「この国は気候、風土に恵まれて豊かですね」
「そうね」
温暖な気候で平地なら冬でも雪は降るが積もることはない。土壌にも恵まれ、作物の実りも良い。
そのため、昔から他国に狙われ、侵攻されてきたが、ここ数十年は先代の王が隣国と結んだ平和条約のおかげで平穏だ。
「雨も降りそうにないですね」
「そうね」
「デート日和ですね」
「……そうね」
ここで反応したら負けな気がした私は、窓の外に目をむけたまま素っ気なく答えた。二人しかいないし馬車の音がうるさいので、どんな返事をしても他の人に聞かれる心配がない。
そもそも、なぜ前世で自分を殺した相手と相席なのか。
(テオスとクロエと同じ馬車に乗りたかったわ。
不機嫌丸出しの私に対してニコニコ笑顔のリロイ。
(一緒にローレンス領に行くなんて……何を企んでいるのか)
逃げるように景色を眺めていると、リロイが窓の外を指さした。
「あ、ロバの上に犬と猫と鶏が乗っていますよ」
「そう……えっ!? どこ!?」
「冗談です」
「……」
身を乗り出しかけた私は椅子に座りなおし、無言で正面を睨む。
そんな私に対してリロイが意地悪な笑みを浮かべたが、すぐに真剣な表情になった。
「ローレンス領の物流問題ですが、早めに解決した方がよろしいでしょう」
「え?」
馬車の窓にリロイの真面目な顔が映る。
揺れる赤髪に、キラキラと輝く琥珀の瞳。眉目秀麗な顔立ちで、適度に鍛えられた体は淑女が騒ぐ外見。
少しずつ民家が減り、道も狭く悪くなってきた。馬車の揺れも大きくなる。
「もうすぐ馬や牛に代わる動力が発明されます。そうなった時、ローレンス領が時代に置いていかれないためにも、安定した交通網を作っておかないといけません」
「馬や牛に代わる動力? 魔力のこと?」
最後の魔女であった私が殺され、魔力を扱える人はいなくなった。
精霊や自然の力を借りて発動させる魔法もあるが、それらは弱々しすぎて魔女であった私から見ればお遊戯のようなモノ。あとは詐欺か手品。とても魔法とは言えない。
リロイが軽く首を横に振った。
「いえ、魔力とは違います。使い方さえ知っていれば誰でも使え、その効果は魔法にも劣らないでしょう」
「つまり、誰もが魔法のような道具を使える日が来る、ということ?」
「はい。ただ、私たちが生きている間ではありませんが」
「遠い未来のこと?」
「そうです。その流れに取り残されないために、今から準備をしておく必要があります」
「それがローレンス領の物流問題の解決?」
「はい。この道を広げ、馬や牛に代わる動力が走れるようにしなければなりません」
私は窓の外を見た木々に囲まれた森が広がるが、馬車一台は余裕で通れる。普通なら十分過ぎる道。人が歩ける程度の幅だったり、獣道の方が多い。
「これより広い道が必要なの?」
「最低でも馬車がすれ違えるぐらいは」
それだけの道を国中に張り巡らせようとするなら、莫大な労力と資金が必要となる。
「できるの?」
疑う私にリロイがあっけらかんと笑う。
「ま、なんとかなるでしょう」
「無計画かい!」
反射的にツッコミをした私は悪くない……と、思います。
こうして順調に? 馬車は進み、本日中に穀倉地帯を抜ける予定だったのだが。
午後からしばらく移動した後、見通しが良い野原で休憩をかねて馬車を停めていた。
草原に敷物を広げ、紅茶と茶菓子を準備する。
「ピクニックみたいね」
私が漏らした言葉をリロイが目ざとく拾う。
「鷹狩りなどで遠出をすることはありますが、このようにのんびりすることがありませんので、これはこれで新鮮です」
「……それは良かったですね」
周囲にはリロイの使用人や護衛たち。どこで誰に会話を聞かれるか分からないため、馬車の中のような口調では話せない。
少し窮屈に感じていると、馬に乗った騎士がやってきた。
見慣れない騎士服。たぶん、ここの領地の領主に仕えているのだろう。要件を聞いたリロイの従者が耳打ちで報告する。
すると、これまで上機嫌だったリロイの眉間が微かに動き、私に訊ねた。
「すみません。少し予定が変わりますが、本日はシュルーダー公爵家の城に宿泊してもよろしいでしょうか?」
私は聞き覚えがある家名に記憶を遡った。
(王城でテオスがほしいって言った令嬢の実家かしら)
紅茶の準備をしているテオスに視線を移すと、肯定するように頷かれた。美麗なだけでなく、貴族の名前から領地など必要な知識と情報を把握している有能執事。私への対応はアレだけど。
余計な面倒事に発展しそうな気配も感じて悩んでいるとリロイが声をかけた。
「安全面は心配されなくても大丈夫ですよ。私が守りますし……」
光がない琥珀の瞳でニッコリと笑う。
「あなたに手を出そうとした時点で、全力で潰しますから」
(本気だ! これは公爵家であろうとも消す!)
私は持っていた扇子を広げて伯爵令嬢の仮面を被って微笑んだ。
「ご心配なく。自分の身は自分で守れる程度には鍛えておりますので、リロイ殿下のお手を煩わすことはありませんわ」
にこやかに返事をした私に対してリロイが不満気な表情になる。
(今の答えの何が不満なのよ!? 王城の従者とか他の目があるから、下手なことは言わないでよ!)
顔に出さずに焦っているとリロイが残念そうに首を横に振った。
「やはりその名の呼び方はしっくりきません。あなたには『ロイ』と呼び捨てしていただかないと」
(だから、どこに自国の王子を愛称で呼び捨てする伯爵令嬢がいるのよ!? いくら辺境伯でも礼儀と礼節はわきまえているわ!)
私はなんとが微笑みを維持して言った。
「そのうち聞き慣れると思いますわ」
その一言にリロイの顔がパァァと明るくなる。ないはずの犬耳がピンと立ち、尻尾が盛大に振られる。
「つまり何度も名前を呼んでいただける、ということですね!」
「なぜ、そうなりますの!?」
私の叫びにリロイが不思議そうに首を傾げる。
「聞き慣れるまで何度も名前を呼ぶ、ということではないのですか?」
「そうきたかぁぁぁ」
どこまで前向きに解釈するのか……
敷物の上に崩れ落ちる私。落ち込んでいると、芳醇な紅茶の香りとともに冷徹執事が言い捨てた。
「服が汚れますので体を起こしてください」
「もう少し主人をいたわりなさい」
「私の
「薄情者」
体を起こして睨みながらカップを受け取ったが、華麗に無視された。
※
そして急遽、変更となった今晩の宿泊地へ。太陽が半分沈み、東の空では星が輝き始めた頃、シュルーダー公爵家の城に到着した。
「リロイ様! ようこそおこしくださいました!」
城内に入った私たちを燃えるような真っ赤なドレスと胸に大きな琥珀のブローチを付けた令嬢が小走りで迎える。
(やっぱり……)
王城でテオスをよこせ、と言ったグレース嬢。この数日の間に王都から戻っていたとは。
私など目に入っていない様子で喜びを爆発させたグレース嬢がリロイに駆け寄る。
(それにしても赤と琥珀が好きなのね)
燃えるような真っ赤な色は同じだけど、王城で見かけた時とは違うデザインのドレス。胸のブローチも形が違う。
私はテオスにまとわりつくグレース嬢を無言で観察した。そして、あることに気づく。
(……もしかして、リロイの髪と同じ色のドレスと、目の色と同じブローチを付けている?)
認識した瞬間、チリッと胸の奥でナニかが芽生えたような気配がした。