カーテンを抜けて差し込む朝日。極上の肌触りのシーツと柔らかなベッド。優雅なモーニングティーの香り。
王都にある別邸での爽やかな目覚め……のはずだった。
「悪夢だわ」
昨日の出来事が脳裏に過ぎる。前世で自分を殺した騎士と再会しただけでなく、自国の王子だったなんて。
あの後、リロイの従者が呼びにきて会話をしている隙に私は逃げるように城を後にした。琥珀の瞳が三日月のように微笑んでいたが、見なかったことにする。
げっそりと体を起こした私にモーニングティーを持参した執事が声をかけた。
「夢見が悪いとは珍しいですね」
この国では珍しい黒髪、黒瞳の青年。中性的で端麗な顔立ちをしているため、一見すると男装の麗人にも見える。ついでに声も体も中性的。
私は中性執事、テオスが差し出したモーニングティーを受け取った。リンゴの香りが鼻をくすぐる。
カップからのぼる湯気ごと私は紅茶を口に含んだ。ほどよい甘さと温もりが体を満たす。
「本当、夢だったら良かったんだけど」
私は水面に揺らめく自分の顔を眺めた。こうして見ればよく分かる。前世と同じ髪の色に、同じ瞳の色。顔立ちもどことなく似ている。
なぜ、ここまで前世を引き継いでいるのか。
それは、前世で私を殺した騎士――ロイドが願ったから。魔女である私の願いを軽く潰すほど苛烈に、強固に。
(ただ、目的が分からない。どうして、そこまで私と一緒に生まれ変わることを望んだのか……ハッ! 前世の恨み!? 前世の私が原因でロイは死んだようなものだし……その恨みを今世で晴らすつもり、とか?)
前世の時からロイド、通称ロイの思考はまったく読めず、振り回されることばっかりだった。
紅茶を見つめたまま考えこむ私にテオスの冷徹な声がかかる。
「さっさと飲み終えて、着替えと朝食をすませてください。本日は街へ視察に行かれるのでしょう?」
遠慮のない言葉に私は紅茶を一気に飲み、空になったカップを突き出した。
「一応、私はこの屋敷に主人になるんだけど、その態度はどうにかならない?」
「主人の行動を諫めるのも私の仕事です。それに、私の
ディラン・ローレンス。私の実の父で、この国で唯一他国と接している土地、ローレンス領の領主。
そもそも、この国は海に突き出た大きな半島。しかも、大陸と繋がっている場所は高い山々が連なり、簡単には抜けられない。そのため、他国との交流は海洋貿易が中心。
ただ、この山脈を命がけで超えて侵略しようとする勇猛果敢な他国もある。そのため、ローレンス家は代々、武力に重点を置き、常に他国からの戦争に備え守護してきた。
結果、かなりの武闘派一族。私も最低限の護身術と馬術は習得済。そこに前世の魔女の知識付き。
そのためか、周囲からは「ソフィアなら大丈夫だろう」と言われるようになり、今回の社交界デビューも最低限の使用人を付けただけで送り出された。
ちなみに、ここは王都で過ごす時に使うローレンス家の別邸。こじんまりとしているけれど、必要な物はそろっているし、手入れが行き届いているので不自由はない。
テオスにどう言い返すが考えていると、軽いノックの音がした。
「ソフィア様、身支度を整えましょう」
着替えとブラシを手に満面の笑みで入室してきたのは侍女のクロエ。赤茶の髪に勝気な茶色の瞳。あっさりスッパリな性格で、中性執事より親しみやすい。
「それと、テオスはさっさと部屋から出てください。他の仕事が待ってますから」
クロエの軽い声にテオスが綺麗な眉をひそめる。
「他の……ですか?」
「はい。屋敷の周囲をネズミがうろついているので退治してきてください」
「どこのネズミでしょう?」
のんびりと思案するテオス。これが領地内だったら即動くのに。
私は首を傾げた。
「放置して太らせるつもり?」
「それも考えたのですが……そちらのほうが面倒なので、サクッと終わらせてきます」
揺らめく執事服と残された言葉。
その光景に私は感嘆のため息を吐いた。
「声と残像を残して消えるって便利よね。今度、習おうかしら」
リロイから逃げる時に使えそう。
そんなことを考えていると、クロエが残念そうに笑った。
「ソフィアお嬢様のお力では、ちょっと……」
「運動神経は悪い方じゃないんだけど」
むしろ良い方だと思う。たいていの武術はすぐに習得したし。
「気配のコントロールが少々……」
「あー」
前世で魔女だった名残か私の気配は強いらしい。そのため、気配を自分で思っているほどコントロールできていないとか。
「なら、仕方ないわね」
納得した私にクロエが服を並べる。
「とりあえず、着替えて朝食にしましょう。今日はどのお色の服にされますか?」
「そうね……ちょっと、聞いてみましょう。ついでに今日の流れも視ておきたいし」
ベッドから出た私は机に手を伸ばした。その先にあるのは、手のひらより少し大きな木箱。複雑な模様が彫られた蓋を開ければ、中にはカードの束があった。
朝食を済ませ、予定通り視察のために街へ。
快晴の空のような青いワンピースと、ツバが大きな白い帽子で、平民の少し良いとこのお嬢様風を装う。これなら伯爵令嬢には見えないだろう。
私は街へむけてテオスとともに歩きながら訊ねた。
「そういえば、ネズミはどうしたの?」
「飼い主のところへ返してきました」
「手こずらなかった?」
「特には」
美麗な顔のまま涼しく答えるテオス。この外見に騙されやすいが実力は領地内でも一、二を争う。別邸に侵入しようとした密偵が弱かったのではなく、相手が悪かった。
私は護衛も兼ねているテオスから、人で賑わう通りに目を移した。馬車がすれ違えるほどの大きな通り。その端には露店が並ぶ。
「さすが王都ね。ローレンス領には、こんな大きな道はないわ」
「これだけ平坦な土地があれば畑にしておりますから」
「領地のほとんどが山だから仕方ないんだけどね」
ローレンス領は高い山々に囲まれた高地にあり夏は涼しく、冬は寒い。そのため育つ作物は限られ、主産業は山で採掘される岩塩と牧畜。特にローレンス領の乳製品と羊毛は評判がいい。
露店が扱う商品は、新鮮な野菜から、肉、魚、服、装飾品、日用品、雑貨まで。様々な店が並ぶ。ローレンス領では見たことがない物もあり、つい目移りしてしまう。
「話には聞いてたけど、王都は内陸にあるのに大河があるおかげで物資が豊富なのね」
「元々、他国との交易で富を得ていますから」
「そうね。まずは、最近の王都の流行りの確認と、領地の問題を解決するための……」
話しているとバラの香りが私を包んだ。近くに花屋はない。
キョロキョロと周囲を見ていると、目の前を真っ赤な薔薇の花束で塞がれた。
「え?」
驚く私に美声が刺さる。
「おはようございます、ソフィア・ローレンス嬢」
真っ赤に燃えるような髪と、にこやかに微笑んだ琥珀の瞳。王族の服ではなく、少し上等なぐらいの平民の服。
だけど、立派な体躯と姿勢の良さは隠せず。周囲の女性から視線を集めている。
花束の持ち主はリロイ……この国の第三王子にして前世で私を殺した騎士の生まれ変わりだった。