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第11話


「今日は植物園の方にお席を用意しましたよ~」とウィーダが朗らかに現れるまで、巡はその場に立ち尽くしていた。


 彼は巡の手にある花を見て言った。

「あれ? メグル様、ファミルのお花ですね。どうなさったんですか? お花、余りました?」

「あ、えっと。……うん。持って帰って、部屋に飾ろうかと」

 巡はとっさに嘘をついた。なんとなく、ヴェシレに会ったことは言わない方がいい気がした。

 ウィーダはそんな巡の嘘に気づかず、おだやかに笑う。

「それはいいですね。ちょうどこの季節に咲く花ですから。さあ、行きましょうか」

「ヨンシは?」

「あとから来ますよ」


 レスシェイヌと合流し、遅れてヨンシがやってきた。ウィーダの言った通り、今日は植物に囲まれた温室の中にテーブルと椅子が並べられていた。紅茶には赤い花弁が浮き、クッキーには紫の花弁が練り込まれている。あたりいったいが甘い香りで包まれていた。


 それは夢のなかの光景のようだった。

 しかし、巡はその光景に感動する心の余裕がなかった。彼女はヴェシレが言ったことをずっと頭の中で反芻している。

 4人そろってお茶会がはじまってからも、巡は心ここにあらず、という様子であった。


「……」

「……」

 レスシェイヌはもともとおしゃべりではないが、今日は巡の様子が変であることを察して輪をかけて無口になっていた。


 見かねたヨンシが口を開いた。

「メグル様、どうかなさいましたか?」

「え?」

「お元気がないようですが……」

「ええっと……」

 巡は胸のなかのつかえをそのまま吐露できるほど強くなく、しかしすべてを包み隠せるほど器用でもなかった。


「耳としっぽって、ある方がいいと思いますか?」

 巡がそう言うと、レスシェイヌは顔をしかめた。

 彼の眉間の皺を見て、巡は慌てて手を振った。

「ごめんなさい、やっぱりいまのなしで……」

 レスシェイヌは冷静に言う。

「いきなりのことで驚いたが……。なぜそう思ったんだ?」


 巡は肩を落とす。

「この世界では、あったほうがいいのかなって思って……」

「別に、必ず必要なものではない」

 レスシェイヌは、思っていたよりもずっと気さくな人だ。彼は軽くそういうと、一度紅茶に口をつけた。その所作は王族らしく優美である。

「異世界に生まれたものは獣人でも耳としっぽを持たないことがまれにある」

「まれに……」

「別にそれで不便があるわけでもあるまい」

 言い切られて、巡の心にまた別の疑問が沸き上がる。


「私みたいに、異世界から来た人って、いまほかにもいるんですか?」

「資料では、五十年前に当時の王子の番を異世界で見つけている」

「その人、いまは」

「もう亡くなっている。七年前の話だ」

「そうですか……」

 巡は唇をかんだ。

 同じく日本から来た人。

 会ってみたかった。できれば、頼りたかった。

 寄る辺のないこの国で、手を取り合える仲間がほしかった。


 しかし――。

 巡はそのことにはたと思い至ってさらに質問を重ねた。

「その人には、耳としっぽがありましたか?」

「あったはずだ」

「……それで、王子と結婚した?」

 レスシェイヌは感情の読めない顔でうなずいた。

「……ああ」

 巡の胸に苦いものが広がる。

 五十年さかのぼったとしても、仲間はいない。それが巡をまた不安の海に突き落とす。


 巡は話題を変えた。

「……でも、耳があったら、やっぱりよく聞こえるんですよね?」

「さあ。人間の耳と比べたことがない」

 彼の返事は巡を慰めているようでもあり、突き放しているようでもあった。


 しかし彼の紫紺の瞳がやわらかい色を孕んでいるのを見て、巡は勇気を出して切り出した。

「前に市場に行ったとき、子どもに不思議がられました。体からは獣人の匂いがするのに、耳がないのは変だと」

「まあ、それはそうだろう」

「私、その獣人の匂いというのもわかりません」

「耳としっぽがないのだから、鼻もないと考えるのが妥当だろう」

「……そうですか……」

 ずばり言われて、巡はさらに肩を落とす。

 耳としっぽもない。おまけに、鼻もない。これで獣人といえるのだろうか。

 自分はいったい何者なのだろうか。


 巡はため息をついた。

「その子には、猫の匂いがすると言われました。……私は猫の獣人なんですか?」

「猫というより……」

 レスシェイヌはめずらしく言葉を濁す。巡は首をかしげた。

「なんですか?」

「いや、なんでもない」


 巡はたっぷり二拍、レスシェイヌが言葉を続けるのを待ったが、彼は口を閉ざしたままだった。

 お茶会に奇妙な沈黙が落ちた。

 巡は目を瞬かせて、レスシェイヌは決まりがわるそうに紅茶を飲み、ヨンシとウィーダはもそもそとクッキーを口に運んでいる。


 巡はまた話題を変えることにした。

「レスシェイヌさんは、なんの獣人なんですか?」

「……狼だ」

「狼」

 彼の頭の上で揺れるプラチナの耳を見る。

 それはたしかに犬というには大きい。


 ヨンシが説明を付け加える。

「王族はみなさま上位の獣人なんですよ」

「上位って?」

「狼や、獅子です」

「へえ」

 なるほど、と納得する。獣人にも種類と上下があるのだ。

 部屋に戻ったら、さっそく例の「わかったこと手帳」に書き加えなくてはならない。


 巡は無邪気に尋ねた。

「ヨンシは?」

「私は犬ですわ。ウィーダもそうです。獣人のほとんどは犬なんです」

「じゃあ、私の猫っていうのは珍しいんですか?」

「それほど珍しい感じはしませんわね。十いたら、二は猫です」

 巡は少しだけほっとした。

「よかった。やっぱり、なんの獣人かは匂いでわかるんですか?」

「もちろんです」


 ためしに巡は鼻をすん、と鳴らしてみた。しかしそれは焼き立てのクッキーの香りを拾うだけであった。


 巡にはちっともわからないが、きっと獣人たちにはもっといろいろなことがわかるのだ。

 獣人の耳としっぽと鼻はきっと人間よりも多くの情報を拾う。


 巡は獣人たちの仲間に入りたいと強烈に思った。

 耳としっぽと、それから鼻。

 それはいま巡がほしいものだ。




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