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第7話

 ふたり言葉もなく鏡台の前に立ち尽くしていると、ヨンシが声をかけてきた。


「もうお話は済みまして?」

 ヨンシは大きな音がするや否やすぐさま駆けつけたのだが、二人が向かい合っているのを見て様子をうかがっていたのだ。


「大きな音がして慌てて来てみれば……なんですか、これは。レスシェイヌ様は女性の部屋の訪問方法を間違われていませんか」

「あ、いや、これは」

「ごめんなさい」

「どうしてメグル様が謝られるんですの」

「私が髪を切ろうとして、レスシェイヌさんが誤解させてしまって」

「……まあまあ! それはわたくし気が回りませんでしたわ」

「え?」


 巡が戸惑っている間に、ヨンシは鏡台の前の椅子を引いてそこに巡を座らせた。

「せっかくきれいな御髪なんですもの。少し切って、整えてみましょうか」

「え!?」

 巡はうきうきとハサミを拾い上げるヨンシを見た。

「あら、お嫌ですか?」

「ううん……その、ヨンシが切るんですか?」

「もちろん。こう見えて、この城の娘たちの髪はぜんぶ私が切っているんですからね」


 ヨンシはにこっと笑った。

 ここのところずっと引きこもっていた巡を責めるわけでもなく、ただ笑う彼女。

 巡はゆっくりと肩から力が抜けていくのを感じた。


「どんな感じになさりますか?」

 数回口を開いたり閉じたりしたあと、巡の口から情けない言葉が出た。

「どうしたらいいですか……?」

「せっかくきれいな色をしているのだから、編み込んだり、高く結い上げたりしてもきれいだと思う」

「レスシェイヌ様は黙っていてくださいまし」

 ヨンシにぴしゃりと言われて、レスシェイヌは眉尻を下げて黙った。


「メグル様の髪なんですから、メグル様のお好きになさってよろしいんですのよ」

「好きにって……」

「お好きな髪形はございませんか?」

 好きな髪形。そんなこと、考えたことがなかった。

 いままでは鬱陶しい長さになったら切る。それだけだった。

 たしかにクラスメイトたちは雑誌を片手におしゃれについて話していたが、それは巡とは遠い世界の話だ。


 困ってしまった巡に、レスシェイヌが助け船を出した。

「あこがれている女性を真似たらいいのではないか」

「あこがれ……?」

 その言葉を聞いたとき、巡の脳裏には母親の姿がよぎった。

 それで、巡は「ちょっと毛先を切って」と言おうと思った。それはよく母親が美容室に行く前に言う台詞だった。

 母親が「あ~もうそろそろ毛先を切らなきゃ」というのを真似てみたい気がしたのだ。


 しかし、口を開いたものの、その台詞は音にならない。

 巡の口は何度か掠れた音を出したあと、思いもかけない台詞を吐いた。

「……み、短く」

 その言葉に一番驚いたのは、ほかならぬ巡本人であった。

 鏡台にむかって目を丸くしている巡に、ヨンシが確認する。

「いいんですか?」

「えっと」

 次は、ちゃんと巡の意思でうなずく。

「う、うん」

「肩の上あたりですか?」

「ううん。もっと。うなじが見えるくらい……」


 それは昔本屋で見た雑誌の表紙に載っていた女の子だ。彼女は金色の髪に、ショートヘアでものすごくかわいかった。

 巡はその子に強烈にあこがれたのだ。彼女はまだそのときの感情が忘れられないでいた。


(それに……)


「ヨンシも短いですもんね」

 世話好きで、巡に対して愛情深く接してくれている彼女の髪は短く切りそろえられている。

「あらやだ。わたくしが短くしているのはくせ毛がひどいからなんですよ」

「私が短くしたら、へ、変だと思いますか?」


 レスシェイヌとヨンシ。どちらにともなく尋ねる。ふたりは屈託なく笑った。

「似合うと思う」

「きっと素敵ですわ」




「乙女の身支度ですよ」という言葉とともに、レスシェイヌは部屋から追い出された。

 ふたりきりになった部屋で、ヨンシはテンポよくハサミを動かして髪を切っていく。

「切った髪はとっておきましょうね」

「どうして?」

「長い髪には願掛けの力があるそうですよ。なにかお願い事ができたときのために」

「切っても有効なんですか?」

「切ったから有効になるんですよ」

 ヨンシはよくしゃべった。巡もそれによく答えた。思えば、他人とこんなに話すのは久しぶりであった。


 いくらかもしないうちに、ヨンシはハサミを置いた。

「さあ、できましたよ」

 鏡に映ったのは、それまでとは違う自分だった。

「わあ……」

 巡はさっぱりとしたうなじをみて喜んだ。そしてなんとなく、いまになってようやく自分がこちらの世界に生まれ変わったのを感じた。

「ありがとう、ヨンシ」

「いえいえ。大したことではございませんわ。ささ、お着替えを」

「え?」

「新しい髪型になったんですもの。お披露目しなくてはね?」


 巡はヨンシに言われるまま着替えたあと、おそるおそる部屋から出た。

 自分が選択した髪型を誰かに、ほんの少しでもいいから認めてほしいという欲が出たのだ。部屋の外では騒ぎを聞きつけた侍女たちが息を飲んで巡が出てくるのを待っていた。


 ――叡盟城の侍女たちは巡が期待した以上の反応をみせた。


「あらまあよくお似合いで」

「素敵ですわ。小さなお帽子を乗せてももっと素敵かもしれませんわ」

「いえいえ。せっかくかわいらしい人間のお耳が見えるんですもの。必要なのは耳飾りですわよね?」

 侍女たちは笑顔で巡を取り囲んだ。巡は自分の選択が間違っていなかったことに安堵した。


 そうして侍女たちに褒めちぎられ、その後着せ替え人形のようになって、やがて豪奢なドレスに趣味のいいアクセサリーを身に着けた状態になった。

 そのころになってようやく、ヨンシがレスシェイヌの存在を思い出した。

「ああそうだ。レスシェイヌ様にもお見せしなくては」

 巡は頓狂な声をあげた。

「ええ!?」

「どうかなさいました?」

「まだ、いらっしゃるんですか……?」

「女性の身支度を待てないような野暮な男ではありませんわ」


 そのまま応接室に連れていかれて、レスシェイヌと対面した。

 彼はずっと巡の支度が終わるのを待っていたらしい。

 応接室のテーブルの上には紅茶とお菓子、そして本が数冊乗っていた。

「お、おまたせしてすみません」

「いや」


 巡は緊張していた。

 さきほどは窓の外から飛び込んできた彼に驚いて緊張するひまもなかったが、いまこうして改めて対面すると何を話したらいいのかわからず頭が真っ白になっていく。


 巡は言葉を絞り出した。

「お久しぶりです」

 巡がそう言うと、レスシェイヌは少し自嘲ぎみに笑った。

「会いに来ても、なかなか会ってくれなかったからな」

「いや、それは……」

 言われて、そういえばそうだったと思い至る。

 彼の顔色をうかがうと、痛みを我慢しているような表情がそこにあった。


(もしかして傷ついている? 彼が?)


 ふと浮かんだ疑問を、頭を振って否定する。


 それから、慌てて自分の髪に手をやった。

 ばっさりと切った、その髪。侍女たちは褒めてくれたし、自分も気に入っている。しかし、よく考えるとこれは人間の耳をあらわにして、巡の異端性を強調しているようにも思えた。


(もしかして、この髪型が嫌なのかな)


 巡はうかがうように彼を見た。

 巡の視線に気が付いて、レスシェイヌは言った。

「ずいぶんと思い切ったな」

「は、はい……」

 ふ、と彼は笑った。

「似合っている」

 その言葉に、ぶわっと巡の顔がほてるのを感じた。

「あっ、あ、えっと……」


 巡は何かを言わなくてはいけないのだと思ったが、うまく言葉が出なかった。

 これはヨンシの腕がいいだけなのだ、侍女のドレスの選び方がいいのだ、いろいろな言葉が彼女の頭によぎる。

 いろいろ考えて、そしてどうにかこうにか「ありがとうございます」という言葉を絞りだすことに成功した。






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