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第4話

 巡には友人がいない。


 いや、正確にはひとりだけいたのだが、いまは疎遠になってしまっていた。

 その友人の名前は田中光莉。名前のとおり、眩しいくらいに人気の子だった。


 光莉は中学一年生の二学期に引っ越してきた転入生だった。このころはまだ巡も学校に溶け込もうと努力をしていた。


 たまたま光莉が隣の席になって、その日一日机をくっつけて教科書を見せて、そして仲良くなったのだ。

 光莉は頭がよくて、運動神経もよくて、明るくて、やさしくて、流行りの筆箱を持っていて、最新のスマホをもっていて、みんな彼女と仲良くなりたがった。

 それでも、光莉の最初の友達は巡だった。

 巡はそれが誇らしくて、それでいて申し訳なかった。

 人気者の片りんを見せている彼女に、自分なんかが釣り合うと思えなかった。


 光莉が巡の友達でいてくれたのは半月ほどだった。

 半月もたつと、彼女は巡を避けるようになる。

 トイレに行くのも、教室移動も、給食の時間も、巡はまたひとりぼっちに戻ってしまった。そして、巡が学校に行けなくなったのはこのころからである。


 以来、光莉には会っていない。

 彼女がコンビニでアルバイトを始めたという話を聞いてから、一度だけ遠目に見に行った。彼女ははきはきと「いらっしゃいませ」とあいさつをして、くるくると働いていた。

 ――眩しい彼女に、話しかけることなどできなかった。



「メグル様?」

 声を掛けられて、巡は顔を上げた。そして目を数回瞬かせる。ヨンシが心配そうにこちらを覗き込んでいた。

「どうかなさいましたか?」

「ううん。ごめん、考えごと」

 巡は精いっぱい笑ってみせた。


 巡とヨンシを乗せた馬車は石畳の道をゆっくりと進んでいく。

 街に行きたいという巡の希望は、その翌日には叶えられた。

 今朝、レスシェイヌのもとから護衛がふたりやってきたのだ。

 その護衛たちのうちひとりは御者席に、もうひとりは騎乗して馬車の後ろにいる。


 彼らはそれぞれ「メジェハ」と「ガレス」と名乗った。彼らはふたりとも立派な虎の耳としっぽをもっていた。きっと虎のように強いのだろう。その腰には巡の腕ほどもある太さの剣を佩いている。


 ヨンシによると、護衛をおくるにあたって、レスシェイヌは「好きなようにさせてやりなさい」と言ったらしい。巡はその言葉をどう受け取ればいいのかわからなかった。


 馬車の窓から外を見る。

 かわいらしい絵本から飛び出してきたような街並みだった。煉瓦の赤い屋根の家、石畳の道、木の看板を出しているお店。


 眺めているだけでわくわくしてくる。

「獣人ばっかりですね?」

 往来の人々はみな耳としっぽをもっている。

「ええ。獣人の国ですもの」

「国の名前はなんていうんですか?」

「さあ……。ただ、獣人の国、と。街の名前はレプレニカですわ。王都、という意味ですわ」

「レプレニカ」


 巡はメモ帳を取り出してすばやくそれを書き留める。こちらの世界にはボールペンやシャープペンシルといった便利なものはない。

 使うのは羽ペンとインクだ。揺れる馬車の中でインクの瓶をあけるのが怖かったので、紙にペン先を押し付けて文字の跡をつける。


 レプレニカ。耳に馴染のない音だ。こうして書き留めておかなくてはすぐに忘れてしまいそうだった。


 巡はさらに尋ねる。

「じゃあ、人間の国も?」

「東のどこかにあるという話ですね」

「他には? 他には何の国があるんですか?」

「北には竜人の国、南には精霊の国がありますわ」

「竜人に、妖精、かぁ……」

「竜人は乱暴者が多いといいます。妖精は、そうですね、いたずら好きが多いとか」

「へえ」

 巡は目を丸くした。


(ほんとうに、ファンタジーの世界みたいだ)


 もっとも、そこで巡は冒険もしなければ魔法も使わないのだが。


 馬車が一度大きく揺れる。

 石畳の道は日本の舗装された道のように平らではなく、また馬車の車輪はゴム製ではない。それで、ときおり大きく揺れてはぎしぎしと音を立てた。


 ヨンシが言った。

「大丈夫ですか? 酔いませんか?」

「うん。平気」

「あら、帽子がずれていますわ」

「え? ああ……」


 巡は灰色のワンピースに薄い黒のカーディガンを羽織って、つばのある黒い帽子をかぶっていた。

 ヨンシは「春ですから、もう少し明るい色でも」と別の服を勧めたのだが、巡は「自分には明るい色は似あわない」と言って頑として受け入れなかったのだ。


 ヨンシは巡の帽子を直してやりながら言った。

「いいですか。街では帽子をかぶって、絶対に外してはいけませんよ」

「人間ってばれてはいけない?」

「いえ、そういうわけではないのですが……」

 ヨンシは言葉を濁す。


 彼女は巡の質問には答えず、話題を変えた。

「どこか気になる場所はありましたか?」

 巡たちは目的地を決めないまま城を出た。ヨンシはあれこれと提案してくれたのだが、巡は決めることができなかった。ヨンシに任せたかったのだが、ヨンシは巡が決めるべきだと引かなかった。

 それで馬車で適当に市内を回って、気になる場所があれば降りよう、ということになったのだ。


 少し悩んだあと、巡は口を開いた。

「あの、ええっと、人と知り合うにはどこに行けばいいですか?」

「人と、ですか」

「あ、獣人って意味で」

「ああ」

 ヨンシは首をひねる。

「学校が多いと思いますが……」

「学校かぁ……私もそのうち学校に行くんですか?」

「メグル様はレスシェイヌ様の番ですから。家庭教師を呼ぶことになります」

「そっか」

 少しほっとする。


「あとはパーティーでしょうか」

「パーティー?」

「ええ。パーティーではお知り合いをつくれますよ」

 巡はちょっと考えて、それから肩を落とした。

「でも、それって最初に誘ってくれる友達が必要ですよね?」

「まあ、そうですが」

 友達をつくるのに、友達がいる。まったく世の中はたいへんよくできている。巡はため息をついた。


 その巡の唇に、ヨンシが指を押し当てた。

「いけませんわ」

「……へ?」

 驚く巡に、ヨンシは片目をつぶって言った。

「ため息をついたら幸せが逃げますわよ」

 巡はあっけにとられた。なんとなく気恥ずかしくて、もごもごと言う。

「……それ、こっちの世界でも言うんだ」

「あら、つまり間違いない、ということですわね。きっとため息はどこの世界でも幸せを逃がしてしまうのですわ」

「……そっか」

 ヨンシの指が唇から外される。巡はヨンシに触れられた場所を撫でた。なんとなく、まだ気恥ずかしい。


 巡がもじもじしていると、ヨンシが明るく提案した。

「市場を見に行ってはいかがでしょうか」

「市場?」

「ええ、本来なら高貴な方をご案内する場所ではないのですが。人が多くてにぎやかですわ」

 にぎやかな場所。かつては絶対に選ばない場所である。しかし、巡は生まれ変わると決めたのだから。

「うん。そこにします」

 巡はつとめて笑顔を作った。




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