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第7話 Past and future(3)

 午前の授業を終え、ランチルームで食事をとっていると、校内放送で僕の名前が呼ばれた。至急、医務室へ来るようにとのことだった。


 心当たりのない僕は、訝しく思いながら、残りのスープをあわてて飲みこんだ。医務室は西棟にある。昼休みで生徒があふれる廊下を通り過ぎ、エレベーターで十階まで上がった。


 扉が開くとエレベーターホールにレキシアが立っていた。

「レキ……エヴァレット先輩」

「こっちだ、ミハエル」


 前置きもなく、レキシアが「ついて来い」と歩き出す。

「どうして先輩がここに?」

「俺が保護したからだよ」

「犬? 猫を……?」

「違う、人だよ。女の子」


 話が見えず僕は聞き返した。レキシアが振り返り立ち止まる。

「フィーネという子を覚えてるか?」


 レキシアがその名前を口にした瞬間、全身が凍りついた。

 フィーネが……どうして、ここに。なにかの間違いじゃ……。


「どうした、ミハエル」

 言葉を失くした僕の肩にレキシアの手が触れた。無意識に一歩後ずさった。


「その子が……どうしたんですか。保護したってなんですか」

「正門前で倒れたんだ。ひどく衰弱してる。俺は今日歩哨ほしょう補佐で正門にいたんだ」


 歩哨補佐は生徒が持ち回りで担当する軍の疑似業務のひとつで、正門の警備と訪問者対応が主な仕事だった。


「フィーネはミハエルを訪ねてきたと言っていた。だからおまえを呼んだんだ」


 医務室に入ると、左右に並んだベッドの一番奥に女の子が眠っていた。点滴の調整をしていた校医のメアリ先生が手招きする。室内にいるのは僕たちだけ。とても静かだ。心臓が不穏に騒ぎ出す。


 息をつめて近づいた。肩で切りそろえられた金髪と、まつ毛の長い愛らしい顔立ちは、確かにフィーネだった。


「この子はいくつかしら」

「十五歳です」

「そう……体つきからして栄養が足りてないみたいね。あるいは、病気なのかも」

 メアリ先生は自分の子供を心配するように言った。


 フィーネと出会ったのは母さまが亡くなったあとだ。わずかな期間、一緒に過ごした。士官学校の入学報告をして以来、会うのは二年ぶりだった。時間は経ったけれど、フィーネの外見はあまり変わってなかった。


 着ている服は以前会った時と同じものだ。襟にあしらわれた赤いリボンは色あせ、ベッドの下に揃えられた黒のエナメル靴は、ところどころ擦り切れている。


「リルシュくん、フィーネさんのご両親を知っている? 連絡が取りたいのだけど、お財布も身分証も持ってないのよ」


「フィーネに両親はいません。連絡するなら、孤児院に」

「まあ、そうだったの。もしかして、コルヌは孤児院の名前?」


 僕は混乱していた。コルヌは店の名前だ。なにから説明を……いや、しないべきか? 逡巡していると、不意にフィーネが目を覚ました。僕を見とめ、安堵に顔をほころばせる。


「ミハエル……嬉しい。やっぱりこの学校だったのね」

「久しぶりだね」


 普通ならここで元気そうだねって声をかけられるのに、フィーネの顔は青白く声も弱々しい。差し出された手も骨ばっていて、健康から遠いところにいるのがわかった。


 僕はそっとフィーネの手をとった。

 質量がないんじゃないかと思えるほど、軽かった。

「どうやってここに来たの? 荷物は?」


「夜行バスに乗ってきたのよ。荷物はね、今朝ターミナルに到着したら、お財布と一緒になくなってたの。寝てる間に盗まれたみたい。ごめんね、ミハエルにおみやげを用意したのになくなっちゃった」


 フィーネは寂しげに微笑んだ。僕は胸の奥にひりつくような痛みを感じた。


「ここまでターミナルから歩いてきたの?」

「ポケットに残ってたお金でタクシーを拾ったの。ここは素敵な街ね。ストルテの田舎とは大違い」


 地方都市のストルテは僕たちの故郷だ。緑豊かな景色と港町が目の前によみがえり、瞬きとともに消えた。


「……わたし、孤児院から逃げてきたの」

「どうして……?」


「さよならを言いに来たの。最後に会いたくて……。わたしは思うように生きられなかったけど、ミハエルは新しい道を見つけた。寂しかったけど、嬉しかった。あなたはきっと、なんにでもなれる。ミハエルはわたしの誇りよ」


「ねえ、さよならって、どこへ行くの? 当てはあるの」

 僕と同じ天涯孤独の君が。


「天国へ行くのよ。わたし、病気なの」

「治療は」

「したわ。でも治らないみたい。前の仕事が原因だろうって、お医者様が……」

「そんな」

「ミハエル、わたしの分まで生きてね。立派な軍人さんになって、デミトリオスを守って。ずっと、応援してるわ……」


 そこまで話すとフィーネは意識を失った。少し遅れて救急隊員が到着し、病院に搬送する準備を始めた。


「リルシュくん、最後に声をかけてあげて」


 促されたけど、僕はひと言も発することができなかった。ただ、フィーネと握手するのが精いっぱいだった。


 最後の力をふりしぼって会いに来てくれたフィーネに感謝を伝えるどころか、ほかのことに気を取られ、僕の思考は飽和していた。


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