艦橋経由で通路に出ると、下りのオートウォークにエリックの姿が見えた。名前を呼んだのに無視された。
「もう……。相当へそ曲げてる」
僕はダッシュしてエリックを捕まえた。短い距離とはいえ全力で走ったせいで息が切れる。
「エリック、無視するってひどくない?」
軽く文句を言うと、眉間に深いしわを刻んだままエリックが振り向いた。
「おれなんかにかまわなくていいよ」
「そんな言い方しないでよ」
上りのオートウォークに乗った兵士たちがすれ違いざま、こちらに敬礼しつつ、僕たちのやり取りに耳をそばだてていた。
それに気づいたエリックが小さく舌打ちする。
「ミハといると目立つな」
「目立ってるのはエリックだよ」
背が高くピアスや指輪でキラキラしていて、活発な性格も相まって存在感がある。僕は平均身長で装飾ゼロだ。
「ちょっとこっち」
エリックが僕を手招きしてオートウォークを降りた。
人通りのない横道にそれて向かい合うと、エリックはためらいながら反省の言葉を口にした。
「ええと、その。おれが公私混同してた。レキ殿の判断が正しい。大人げなく席を立って悪かった。ただ、」
「うん?」
「おまえ、危なっかしいところがあるから、心配なんだよ」
エリックがため息まじりに言った。そうだろうか。思い当たる節がない僕は首をかしげた。
「別に危なっかしくないよ。作戦中のこと? 僕ミスったかな?」
「戦闘艇乗ってるときは問題ないんだよ。ほかに前科があるだろうよ、艦内で行方不明になったり、パントリーでやけどしたり」
「不可抗力だよ。どっちも故障が原因だったんだ」
機関士に異音がすると呼び止められ、確認のため機関室に一緒に入ったら、ドアのセンサーが作動しなくなり外へ出られなくなった。
電波の悪い場所でイヤーピースも役に立たず、交代の機関士が来るまでしばらく閉じ込められていた。
パントリーのほうはサーモの故障だった。直そうとしたら熱湯があふれて止まらなくなった。やけどは軽かったけど、レキシアに出入りを禁止され、お茶はラウルが淹れてくれるようになった。
「ウミガメを助けた時だって、ミハが転んで」
「エリック、ディスるのストップ! ケルサスでは機関室に入らないし、パントリーも近寄らないよ。ウミガメも助けない」
「そうしてくれ。おれの心の平和はミハにかかってる」
「大げさな」
なんだかんだ、みんな僕に対して過保護な気がする。
僕はエリックより年下だけど、心配いらないのに。逆に上官として頼りなく思わせてしまう自分が情けない。
「きちんと務めを果たしてくる。心配しないで」
「任務遂行能力は完璧だって言ったろ? 不安なのは付随して起こる突発的な摩擦だよ」
摩擦は僕に限らず、誰にでも起こる不可避なものだ。人と人が交わる場には必ず生じる。
「無事を祈るしかないってのが、歯がゆいよ」
「ひと月後には帰って来れるんだよ。あっという間だよ」
僕は楽観的に言った。
負の材料なんていくらでも思いつくけれど、いまは考えないようにしてる。
「エリックが機嫌直してくれて良かった。じゃ、また後でね」
わざとらしくない程度に明るく振舞って、僕は上りのオートウォークに飛び乗った。落ち着かず、無意識に走り出していた。ドレッドノートを離れる時も、平常心でいられるだろうか……。
*
指令室に戻ると、ラウルが茶器を載せたトレーを手に退室するところだった。
「エリックの気は静まりましたか?」
弟を心配する兄のような面持ちだ。頷くとラウルが安堵の息をもらした。
「お手を煩わせましたね」
「全然だよ。こっちこそ遅くまでありがとう。お茶とケーキごちそうさま、美味しかったよ」
礼を言うと自動扉が閉まる寸前、ラウルは少しだけ寂しげな笑顔を見せた。やっぱりラウルも僕のこと危なっかしいって憂えてるのかな。複雑だ。
「ねえ、レキ。僕って頼りなさそうに見える?」
「エリックに何か言われたのか」
「そういうわけじゃなくて……年下だと、心配されがちなのかなと」
「経験上、年齢が見くびられる要素にはなるな。だがラウルとエリックは違うだろ。おまえを心配してるんだ。許してやれ」
「許すも何も、ありがたいと思ってるよ。ただ、ケルサスで舐められるのは嫌だなって」
レキシアがデスク周りに広げたフローティング・ディスプレイを閉じた。
「優しさを封印しろよ。相手に付け入る隙を与えるな。戦闘艇に乗ってるときはいつもそうだろう」
レキシアの言う通りだ。相手の隙を突くことしか考えてない。優しさは弱さに直結する。「無」に徹することが生き延びる必須条件だ。
「まだ時間がある。おまえも少し休めよ」
レキシアが上着を脱ぎベッドに腰かけた。バルツァーの指定した時刻まであと五時間弱。シャワーを浴びて体を温めたら、少しは緊張が解けるだろうか。
「レキ。ここにいたら迷惑かな」
「そんなわけないだろ。好きなだけいろよ」
レキシアにはこの指令室とは別にもうひとつ私室がある。そちらのほうが広くてベッドも大きいのだけど、上着を脱いだということはここで休むらしい。
僕も重い上着を脱いで、レキシアの隣に座った。大きな窓の向こうには星の海が広がり、小さな星々は不平不満も言わず闇の中、健気に輝いている。
引き渡しのことを考えると気が滅入る。
命の保証はないし、要人でもない。僕が命を落とそうとプライマリに打撃はないんだ。最悪捨て置かれる可能性がある。レキシアの意向とは無関係に、上層部の都合で。
「いま不毛なこと考えてるだろう」
図星をさされてどきりとした。だめだな。二人でいると気が抜けるみたいだ。
「必ずおまえを迎えに行く。少しの間だけ、我慢してくれ」
負担をかけちゃいけないひとに負担をかけてる。それがとても心苦しかった。
「僕なら大丈夫だよ。ありがとう。レキも、ラウルやエリックがいるから大丈夫だよね。少しの間、留守しても……」
「いなきゃ困るんだよ。おまえは航空部隊の中核だぞ。あの老害クソ元帥、細胞レベルで腐ってやがる」
「レキ、口が悪い」
年相応なレキシアの悪態に笑いがこぼれた。
空気が変わる。十代の頃に戻ったみたいだ。
「僕さ、レキに出会えて良かったよ」
「……何を今さら」
レキシアは窓の外に向けていた視線を室内に戻し、訝しげに僕を見た。
「レキは優等生だったよね」
「おまえだって卒業年度には首席だったろ」
「同じ艦に乗りたくて頑張ったんだよ」
僕とレキシアは同じ士官学校出身で、出会いは十年前に遡る。
女手ひとつで育ててくれた母が十歳の時に亡くなり、その後、紆余曲折を経て、十一歳で孤児院に引き取られた。
士官学校を知ったのはちょうどその頃だ。孤児支援の奨学金制度があり、卒業後軍務につけば五年分の授業料返還義務はない。
院長先生の勧めで入学を決意した。愛国心は欠片もなかった。いずれ孤児院にいられなくなる。ただ生きるために選んだ道だった。