私の家は母子家庭だった。しかも、血の繋がりのない家族。
私の育ての母は、魔女だったのだ。
人間界に来たその日、森に捨てられていた赤ん坊の私を拾って育ててくれたのだという。
女手ひとつで育ててくれた母は既に高齢で、だから私は、大好きな母を楽させてあげたくて、高卒で地元の市役所に入った。
配属されたのは魔法関係を対応する部署。
窓口対応が多く、魔法を使うことができず、しかも人見知りな私には、どう考えても不向きな部署だった。
それに、もともとマイペースな性格をした私は、とろくて仕事覚えも悪い。
今日まで、怒られてばかりの毎日だった。
おまけに大きな失敗をしてしまって、落ち込んでいたところだ。
「お前なら大丈夫だよ」
イロハさんが優しい顔で、私を見つめる。
「え」
「お前は、強い」
「強い……?」
――私が?
そんなこと、言われたことない。
「優しさは、一番の強さだ。お前は、私たちのことを絶対に否定しなかった。それは、きっとお前の一番の武器になる」
「イロハさん……」
イロハさんの言葉に、目に涙が滲んだ。
頬を伝う涙はあたたかくて、それは皮膚からじんわりと内側に染み込んで、心まであたためる。
「そうね。それに、ミオちゃんは言うほど人見知りじゃないと思うよ」
今度はナツメさんが言った。
「え……そうですか?」
「えぇ。だって、初対面の私たちとふつうに会話してたし」
「あっ……そういえば」
あまり緊張しなかったかも、と漏らしてから、思わず口元を押さえた。
「もしかしたら、人見知りというのはミオちゃんが自分でじぶんにかけた呪いのようなものなのかもしれないわ」
――呪い……。
「そっか」
それは、私がいつの間にか私にかけてしまった呪い。
周りの輝きに圧倒されて、勝手にじぶんに自信を失くして……。
「周りと比べて設定した自己評価なんて、あてにならないものだ。正しいのは、じぶんを認めてくれるひとの評価だ。お前は、私たちの評価とじぶんのことだけを信じればいい。私たちとお前自身だけは、うそをつかないから」
「じぶんを……?」
「そうだ。お前は、今のままでいい。今のまま胸を張って生きろ」
イロハさんは優しく微笑む。ナツメさんやハルさんも、私を見て笑顔で頷いていた。
「……はい!」
なんだか嬉しくなって、私はくすくすと笑った。
「……みなさんと話していたら、元気が出ました。みんないろいろ悩みがあって、その中で日々を頑張って生きてるんですね。強そうなひともきれいなひとも、元気なひとも……それぞれなにかを抱えてる。私、もう少し頑張ってみようと思います。この仕事」
そう宣言すると、ハルさんが私の腕に絡みついてきた。
「うん! 頑張れミオ!」
「えらい! 一緒に頑張ろう、ミオちゃん!」
「はいっ!」
ナツメさんも、優しく私の頭を撫でてくれる。ナツメさんはなんだか、優しいお姉さんみたいだ。
「……とはいえ、どうしても辛いときは我慢するなよ。体調を崩したら元も子もない。一番大事なのは、お前の健康だからな」
「はい! ありがとうございます、イロハさん」
イロハさんの言葉に、私は元気よく頷いた。
***
「あ〜今日は楽しかったな〜!」
帰り道、ハルさんは水の中をくるくると回転しながら、手をぐんと伸ばした。
「こんなに楽しい夜はいつぶりだろ〜!」
本当に、こんな夜は初めてだ。
水の中に身体が慣れたのか、私はゆっくりだけど泳ぐことができるようになっていた。
「ねぇ」と、ハルさんと前を歩いていたナツメさんが、振り向く。
「私たちって、似ているようでぜんぜん違うのね。ひとりになりたかったはずなのに、今日……すごく楽しかった。私……三人と話してると、なんだか息がしやすくなる気がする」
「私もです。肩肘張らなくていいっていうか……私は私でいていいんだって思えます」
「お互い、ひとには言えない秘密をバラし合った仲だからな。今さら気遣いもなにもないんだろう」
「もし、また会えたら今度は違う場所でたくさんお話がしたいな!」
「楽しそう」
「同じ町に住んでるんだ。どうせどこかで行き合うだろ」
「だね〜っ!」
顔を上げると、ほんのりと光が見えてきた。洞窟の入口が近付いてきたのだ。
洞窟を出ると、眼前に広がる海は既に薄紫色に染まっている。朝焼けだ。
「もう朝なんですね」
「あっという間だったな」
「見て、朝焼け!」
「また一日が始まるのね」
四人で過ごす不思議な夜は、驚くほどあっという間で、まるで夢を見ていたのではないかと思ってしまうくらいだった。
でも、違う。
これはたしかに現実だったのだと、靴の裏についた砂や海の匂いのする服が教えてくれた。
――帰り道は、べつべつに。
そう言ったのは、イロハさんだった。
私たちはもう、それぞれでもちゃんと歩いていけるから大丈夫だと。
「それじゃあ、ここで別れよう」
「はい、また」
「バイバイ」
「ありがとうございました」
森の出口。
私たちはそれぞれ、紫色に染まる朝焼けの下でさよならをした。
また会えますようにと、明け星に願って。
***
ひとり暮らしをしているマンション『
化粧をし直して、バッグを持って、もう一度玄関の扉に手をかけた。
昨日はあんなに重かった足が、今日は羽根のように軽い。昨日の不思議な出会いのおかげだろうか。
私の中で、きっとなにかが変わった気がする。
「よし! 行ってきます」
鏡の前で笑顔を作って、勢いよく玄関の扉を開く。
――と。
タイミングよく、となりの部屋と、そのまた向こうの部屋が同時に開いて、中の住人が顔を出した。
そういえば、おとなりさんとはまだ顔を合わせたことがなかった。
ちょうどいい。
挨拶をしてみよう。
少し緊張するけれど、きっと大丈夫。だって私は人見知りじゃない。
昨日だって初対面のハルさんたちと話せたんだから。
「あっ……あの、おはようございます!」
私は覚悟を決めてパッととなりを見た。
「――え?」
「――は?」
顔を向けた先には、ついさっきまで一緒にいたはずのひとたちがいた。
「えっ……と、イロハさんに……ナツメさん? え……えっ!?」
ふたりとも、きょとんとした顔のあと、みるみる目を丸くした。
「お、お前ら……まさか、同じマンションだったのか」
「……みたい……ですね」
驚いて言葉を失くしていると、背後の扉が開いた。振り返って、反対側の部屋を見ると――。
「へっ?」
顔を出したのは、やはりと言うべきか。
みずみずしい高校の制服に身を包んだハルさんだった。
「わぉ! なに? もしかして私たちって、同じマンションだったの?」
「そ、そうみたい……です?」
「うっそぉ!」
……世界は、私たちが思うよりずっと、不思議と奇跡に満ちている……らしい。
全員顔を見合わせて、笑い合った。
「近過ぎだろ……」
「まさかおとなりさんだったなんて……」
「すごい縁ですね」
「なぁんだ」
私たちはそれぞれ忙しい日々に追われていて、そんなことにすら気付いていなかったのだ。
青々とした空を見上げる。
同じ青なのに、昨日の洞窟の景色とはぜんぜん違う。
私たちが俯いているこの瞬間も、世界は目まぐるしく移り変わっている。
ずっと俯いていたら、きっと私たちはなんの変化にも気付けないまま。
花も草木も枯れて、あっという間に季節は過ぎ去ってしまう。
ちょっとした不思議も、楽しみも見落としてしまう。
だから、辛いときこそ顔を上げて。
きっと、気付いていないだけで手を差し伸べようとしてくれている仲間がいるから。
私が好きになれない私を認めてくれるひとは、ぜったいにいるはずだから。