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第4話

「――さぁて、到着!」

 洞窟の中は、一面青色に光っていた。

 ――これは、なんの色なんだろう。

 疑問に思ってその光を眺めていると、ハルさんが教えてくれた。

「その光はね、ウミホタルっていう生き物なの」

「ウミホタル……」

「これは見事だ」

「きれい……」

「海には……こんなにきれいな生き物がいるんですね」

 ほう、とため息が漏れる。

 神秘的な空間に、それぞれ無意識に声を漏らした。

 淡い青色の光を見つめたままぼんやりと佇んでいると、ハルさんに手を取られた。

「ねー、きれいだよね。でもこの子たちは、私たちを楽しませるために光ってるんじゃないんだよ」

「え?」

「そうなのか?」

「うん。この子たちは、敵を威嚇するために光ってるんだ。もしかしたら、私たちを警戒してるのかもね」

「へぇ……」

「……そうなんですか」

 生き物って不思議だ。

 淡い光をそっと両手で包むように掬うと、発光が強くなった。

「大丈夫。怒らないで。私はなにもしないよ」

 そっと呟くと、光が少し弱まったような気がした。気のせいかもしれないけれど。

「さっ、こっちだよ」

 ハルさんに手を引かれ、そろそろと奥に進む。

 まるで、見えない結界があるようだった。

 ――どぷんっ。

 入った瞬間、世界が、いや、それまでの常識がぐるりと変わる。

 そこには、この世とは思えないほど神秘的で鮮やかなあおの世界が広がっていた。

 洞窟は、水の中に沈んでいた。

 それなのに、息ができる。目の前を、たくさんの色鮮やかな魚の群れや、イルカたちが通り過ぎていく。

 まるで、自分が魚になったかのような感覚になった。

「なんだこれ……人魚の魔力が強いことは知っていたが、まさかここまでとは」

 戸惑いの声を漏らしたイロハさんに、ハルさんが得意げに言った。

「ま、海は人魚の縄張りテリトリーだからね! ここは、私たち海の世界に住む生き物にとっては秘密の楽園なんだ」

「すごいわ……なんだか、夢を見ているよう」

「あはは。夢だなんて! フェアリーにそんな言葉をもらえるとは光栄だよー」

 ハルさんが不思議な空間をすいっと優雅に泳ぎながら、仰向けになって目を閉じた。

 いつの間にか彼女の姿は、人間の女の子から、銀青色の髪とうろこを持った人魚の姿に変わっている。

「すごい……」

 ハルさんの身体はしなやかで、水の中をすいすいと自由自在に泳いでいる。

 ヴェールのような半透明の尾びれがひらひらとなびく姿は幻想的で、夢でも見ているかのようだった。

 ――いいなぁ……私もできるなら、あんなふうに。

 そう思って、私もハルさんのように泳いでみようとするけれど、泡が生まれるだけで上手く前に進まない。

 すると、「無理に泳がなくていいんだよ」と、ハルさんが笑った。

「私ね、いやなことがあったときとか、寂しくなったとき、いつもここにくるの。ここはどんなときでも、どんな私でも受け入れてくれるからさ。だから、ミオりんはミオりんのままで大丈夫なんだよ」

 ――どんな、私でも……。

「……はい」

 泳ぐことをやめて、水の流れに身を任せてみる。

 ハルさんの言うとおり、ゆっくりだけど私の身体はちゃんと流れに乗って、先へ進んでいた。

「ねっ?」

「はいっ」

 ふうっと息を吐くと、自然と身体から力が抜けていく。それで自覚する。

 私は少し、力み過ぎていたのかもしれない。

「私ね、ずーっと人間に憧れてたんだよ。だから、頑張って魔法の勉強して、人魚をやめて陸に来たの」

「……どうして? ハルさんはどうして、人間に憧れたんですか? 人間なんて、人魚と違って魔力もなにもないのに……」

「まあ、それはたしかにそうだけどさ。でも、ミオりんは、私にはない足を持ってるでしょ?」

「足?」

「そ。足。だから、憧れたんだ」

「へぇ……」

 私にとっては、広い海の中で自由に優雅に泳げる人魚のほうが、よっぽど羨ましいのに。

「私ね、高校ではね、念願の陸上部に入ったんだ!」

「陸上! すごいです。ハルさん、足速そうですもんね!」

「うん! ずっとやりたかったことができてて、今はすごく楽しい! ……だけど、たまにちょっと寂しくなるんだ。海の世界が、海のみんなが恋しくなる」

 ハルさんは、ほんの少し声のトーンを落としてそう言った。

 分かる気がする。

「ま、好きなことやってるだけなのにって、みんなには思われるかもしれないけどね」

 わがままだよね、と自嘲気味な笑みを漏らすハルさんに、私はぶんぶんと首を横に振る。

「……そんなことないですよ。好きなことをやっていたって、辛いときはあります。好きだからこそ、周りと比べて落ち込んだりとか……」

 私の周りを行ったり来たりと忙しなく泳ぐ魚たちを見つめながら、ぼんやりと思った。

 コツン、と音がした。

 驚いて振り向くと、私のすぐそばにナツメさんが立っていた。

「……うん。その気持ち、私も分かるわ」と、ナツメさんが静かに頷いた。

「ほんと?」と、ハルさんが嬉しそうに訊く。

 ウェービーなセミロングの髪は透明感のある黒色で、長いまつ毛に縁取られた瞳は憂いげに伏せられている。

 ――きれい。

 初めて見たときも思ったが、ナツメさんはとてもきれいなひとだ。

 雪女も、妖精も、容姿端麗の種族だと聞く。そのハーフともなると、やはりその美しさは別格だった。

 魅入っていると、ぱちりと目が合った。

 ハッとして、慌てて前を向く。すると、ナツメさんがくすりと笑った。ちらりと目を向けると、その笑みは思いのほか柔らかくて驚いた。

 ナツメさんは私のとなりに佇んで、魚を見つめたまま、言った。

「……私、よく誤解されるの」

 現在大学三年生だというナツメさんは、雪女と妖精のハーフということから、容姿がとても整っている。

 そのせいか、周りに勝手なイメージを持たれがちで、自分を偽る毎日を過ごしているという。そんな日常がたまに息苦しくなると、ふらりと見知らぬ街に来て、海辺や森を散歩したくなるらしい。

「私、あまり笑わないし口数も少ないから……よく、冷たいひとって思われる」

「あぁ〜たしかにね。きれいなひとって、笑ってないとツンとしてるって思われがちだよねぇ。美人あるあるってやつ?」

「……でも本当は違う。ただ人見知りだから……上手く笑えないだけなの」

「わ、私も人見知りなので、その気持ちはすごくよく分かります!」

 共感して大きく頷く私を見て、ナツメさんは優しく微笑んだ。

「家ではよくお笑いを見て、笑うのだけど」

「えっ!?」

「ナッちゃんお笑い好きなの!? 意外過ぎ〜!!」

 ハルさんがけらけらと笑う。そんなハルさんを見て、ナツメさんはわずかに眉を寄せた。

「お笑いは好き……だけど、大学の友だちはみんな私を大人しくて上品な子って思ってるから、イメージと違うって思われるのが怖くて……お笑いの話とかできない」

「あぁ……」

 ハルさんが頬を掻く。

「分かるー……イメージ作られちゃうと、本音とか話しづらいよねぇ。私も顧問からよく、お前は叩いて伸びるタイプだからとか勝手に決め付けられて、結構厳しく言われるんだ。男友だちからも女の子扱いされなかったり……でもそれ、いやって言えなくて。空気壊すし」

 ひとは、それぞれ勝手にイメージを抱く。

 たとえば、ハルさんは元気で無邪気な女の子。

 ナツメさんはきれいで物静かなお嬢様。

 イロハさんはまっすぐで強いひと。

 私が今抱いている三人への印象だ。

 でも、それはきっと間違っているのだろう。

 ハルさんは、緊張とか萎縮とかとは無縁のムードメーカーだから、周りは少しくらい悪ノリしてもいいだろうとか、雑に扱ってもいいだろうとか思って接されがち。

 本当はそんなことはない。

 ハルさんだって、周りと比べられたら落ち込むし、からかわれたりしたら傷付く。なんでもないふりをして、笑っているだけなのだ。

 ナツメさんだってそう。

 外見に恵まれていて、みんなから羨ましがられる。みんなに優しくしてもらって、愛されている。だけど、だからこそみんなからの期待に応えなきゃいけないと思って、本当のじぶんを出せないでいる。

 好きなことを好きとすら言えない。もしイメージと違ったら、じぶんを愛してくれるひとたちを裏切ることになってしまうから。

 ――気付かないうちに、私もそうしてしまっていた。

 そのひとのなにも知らないというのに、服装とか声のトーンとか、肩書きなんかで勝手に人物像を想像する。

 そして、自分が構築したそのイメージが崩れると、ギャップを感じる。ときにはそれがマイナスに働いて、裏切られたと思うこともあるかもしれない。

「私は、好きなものを好きって言えない自分がきらい。勝手なイメージを押し付けてくる周りがいやになることもある。……だから、日常に窮屈になったとき、こうやって宛もなくひとりで散歩をする。私のことをだれも知らない場所に行きたくなる」

 ナツメさんの言いたいことは、とてもよく理解できた。

 私も、すぐ落ち込むじぶんがきらい。不器用なじぶんがきらい。言いたいことを呑み込んでしまうじぶんが、だいっきらい。

 変わりたいけど、変わるのは怖い。

 周りに変な目で見られるかもしれないと思うと、足がすくんで動けなくなってしまう。

 だからつい、我慢してしまう。

 けれど、その我慢はいつまでもは続かない。埃のように心に降り積もって、いつか、キャパを超える。

 その我慢が限界になったのが、今夜だった。

 だって、家に帰ったら、また諦めてしまうから。

 家に帰りたくなかった。いつもと同じようにお風呂に入って、ベッドで眠れば、また、いつもと同じ朝が来てしまう。

 だから、バスを降りることができなかった。

 ふと、ナツメさんのそばに、小さな生き物がふわふわと近付いてきた。

「可愛い……」

「クリオネ? 初めて見ました」

「私も」

 ナツメさんはひっそりとした笑みを浮かべて、クリオネを両手で包んだ。

「あなた、もしかして慰めてくれてるの?」

 クリオネはふわふわとその場で漂って、ずっとナツメさんから離れない。 

「わぁ……可愛いですね。ナツメさんに懐いてるみたい」

 ナツメさんの心に共鳴しているのかもしれない。ハルさんとナツメさんと、三人で海の妖精に和んでいると、

「――くだらない」

 水を割くような鋭い声がした。と同時に、どろり、とその場で凝っていた水が動いた。


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